
「あ、もしかしてシンナーくさい?」
「いや、そんなことないよ」
「良かった」
「…」
「…」
「え、どうかした?」
「ああ、ごめん。一生懸命なが可愛くてつい」
今まで笑った表情はもちろん、頑張ってる顔も泣きそうな顔も悲しそうな顔もしあわせそうな顔もたくさん見てきた。まさかまだ知らない表情があったなんて、新鮮であると同時に不思議と自分の中に嬉々とした感情が芽生える。色々な表情を見れることが嬉しくて、おまけに愛らしいその表情は写真に残しておきたいほどだ。でも、そんなことをしたら怒られてしまうだろうから大人しくこころの中にだけ残しておく。
「え!?」
「いや、いつも可愛いなとは思ってるけど何だか微笑ましいなって思って」
「そ、そんなこと聞いてないのに…」
「じゃあオレが言いたかっただけ」
「…見られたら集中出来ないから本読んでて」
「善処はするよ」
仕方なくソファーの上に戻り、本を眺めるフリをしながら時折彼女の方を見遣る。飾られていない無垢な彼女の爪も好きだけど、美しく輝くような彼女の爪にも惹かれる。どうやら明日、友人の結婚式へ出席をするらしくシンプルな色のネイルを10本塗っていくようだ。時折ピンセットのようなものを使って、指では絶対に掴めないようなちいさなキラキラとしたものをゆっくりと落としていく。女性というのはみんなこんなに器用なのだろうか。ネイルというものにこんなに労力が使われているだなんて知らなかった。何せ、遊びに来ている恋人を邪険にするほどなのだから。まぁ、それは彼女を見過ぎているオレがいけないのかもしれないけど。これからキレイに彩られた女性の爪を見るときは、その掛けられた時間にも敬意を払わなければと少しだけ思わされた。
「ふう」
「無事に終わった?」
「うん、あとは乾かすだけ」
「まだ時間が要るんだ。大変だね」
「ネイルは長期戦だから」
「そろそろが傍に来てくれないと寂しいよ」
「何それ…ずるい」
カーペットの上に伸ばしていた脚を曲げ、ソファーの上に戻ってきてくれた。けれど指だけ不自然に伸ばしたまま、ぎこちない動きでこちらへやってくる。どうやらマニキュアが乾いていないときに爪が何かに触れると、今まで重ねてきた時間が一瞬にして崩壊してしまうらしい。「う〜」とちいさな呻き声みたいな言葉を漏らし、彼女は必至で何かと格闘してるようだ。どうやら猫みたいな彼女もそろそろ温もりが恋しくなったらしい。抱き着きたいけど抱き着けない、そんな風に葛藤してる姿でさえ愛らしい。ここで彼女に触れてしまうのは簡単だけど、こちらは暫く邪険にされていたのだ。少しくらい焦らしたって良いだろう。けど、あまりに熱っぽい双眸でこちらを見上げてくるので、情けないとは思いながらも結局は折れて彼女の頬に触れてキスをしてしまった。
「あ、ちょ、ちょっと待って」
当然一回では満足できず、幾度もやさしいキスを重ねる。その間も彼女の指は不自然に伸ばされたままで、いつもキスが濃くなると必ずオレの腕や肩を掴んでくる彼女の手は何も握ることが出来ず、たまに指の関節を曲げたりはしているが、開かれたままだ。何だか少し可哀想な気もしてしまうけど、たまには良いだろうと自分の欲を優先させる。
「はそのままで良いよ」
「良くないよ!」
せっかく良い雰囲気になったと思ったのに、額に軽い頭突きをされ「ネイル崩れたら怒るから!っていうか泣く!」と涙目で言われてしまったので、仕方なくネイルが乾くまで待つことした。待ってる間、オレをソファー代わりにしてのんきに雑誌を読んでいる彼女を今日はどうやって愛そうか考えることにしよう。