猫という表現が一番しっくり来るかもしれない。彼女を形容する言葉はいくつか存在するかもしれないけれど、自由気ままにくっついて来たり突然離れて何かを始めたり。ひとつの名詞で喩えるならやっぱり猫が適当だ。彼女との付き合いはもう長く、ふたりで部屋にいるときは各々好きなことをして過ごすことも多い。散歩がてらに行ったレンタルショップで、借りてきた映画をどちらかの部屋で一緒に観ることもあるし、料理をすることもある。反対にひとりは本を読んでひとりはテレビを観ていることもあるし、お互い気を遣わないで同じ時間を共有出来るような関係だと言っても過言ではない。今日だって、彼女の部屋の主役と言っても良いくらいの大きいソファーの上で、静かに本を読んでいたオレに寄り添うようにくっついて来ては一緒に活字を眺めていた彼女だけど、短く「あ」と何かを思い出したような言葉と共に離れていき、再び戻ってきた。箱のようなものを持ってきた彼女は窓を先ほどよりも開け、淡い色のカーテンがすこしだけ風でやさしく揺れる。ローテーブルの上に箱を置いてカーペットの上に座ったのちいさな背中は、何やら楽しそうだ。彼女の手元を背中越しに見ると、箱から色鮮やかな小瓶を取り出してどれにしようかと選んでいる。どうやらマニキュアを塗るらしい。彼女の爪にキレイな色が静かに落とされていく。器用なものだなと最初は彼女の手を見ていたけど、こんなに何かに集中してる彼女はとても珍しく、ついその表情を見たくなって彼女の隣に座ってみた。集中していたのか、なかなか気づかなかったらしい彼女はオレが予想以上に近くにいることを知ると「わ」とすこし驚いたようだった。

「あ、もしかしてシンナーくさい?」
「いや、そんなことないよ」
「良かった」
「…」
「…」
「え、どうかした?」
「ああ、ごめん。一生懸命なが可愛くてつい」

 今まで笑った表情はもちろん、頑張ってる顔も泣きそうな顔も悲しそうな顔もしあわせそうな顔もたくさん見てきた。まさかまだ知らない表情があったなんて、新鮮であると同時に不思議と自分の中に嬉々とした感情が芽生える。色々な表情を見れることが嬉しくて、おまけに愛らしいその表情は写真に残しておきたいほどだ。でも、そんなことをしたら怒られてしまうだろうから大人しくこころの中にだけ残しておく。

「え!?」
「いや、いつも可愛いなとは思ってるけど何だか微笑ましいなって思って」
「そ、そんなこと聞いてないのに…」
「じゃあオレが言いたかっただけ」
「…見られたら集中出来ないから本読んでて」
「善処はするよ」

 仕方なくソファーの上に戻り、本を眺めるフリをしながら時折彼女の方を見遣る。飾られていない無垢な彼女の爪も好きだけど、美しく輝くような彼女の爪にも惹かれる。どうやら明日、友人の結婚式へ出席をするらしくシンプルな色のネイルを10本塗っていくようだ。時折ピンセットのようなものを使って、指では絶対に掴めないようなちいさなキラキラとしたものをゆっくりと落としていく。女性というのはみんなこんなに器用なのだろうか。ネイルというものにこんなに労力が使われているだなんて知らなかった。何せ、遊びに来ている恋人を邪険にするほどなのだから。まぁ、それは彼女を見過ぎているオレがいけないのかもしれないけど。これからキレイに彩られた女性の爪を見るときは、その掛けられた時間にも敬意を払わなければと少しだけ思わされた。

「ふう」
「無事に終わった?」
「うん、あとは乾かすだけ」
「まだ時間が要るんだ。大変だね」
「ネイルは長期戦だから」
「そろそろが傍に来てくれないと寂しいよ」
「何それ…ずるい」

 カーペットの上に伸ばしていた脚を曲げ、ソファーの上に戻ってきてくれた。けれど指だけ不自然に伸ばしたまま、ぎこちない動きでこちらへやってくる。どうやらマニキュアが乾いていないときに爪が何かに触れると、今まで重ねてきた時間が一瞬にして崩壊してしまうらしい。「う〜」とちいさな呻き声みたいな言葉を漏らし、彼女は必至で何かと格闘してるようだ。どうやら猫みたいな彼女もそろそろ温もりが恋しくなったらしい。抱き着きたいけど抱き着けない、そんな風に葛藤してる姿でさえ愛らしい。ここで彼女に触れてしまうのは簡単だけど、こちらは暫く邪険にされていたのだ。少しくらい焦らしたって良いだろう。けど、あまりに熱っぽい双眸でこちらを見上げてくるので、情けないとは思いながらも結局は折れて彼女の頬に触れてキスをしてしまった。

「あ、ちょ、ちょっと待って」

 当然一回では満足できず、幾度もやさしいキスを重ねる。その間も彼女の指は不自然に伸ばされたままで、いつもキスが濃くなると必ずオレの腕や肩を掴んでくる彼女の手は何も握ることが出来ず、たまに指の関節を曲げたりはしているが、開かれたままだ。何だか少し可哀想な気もしてしまうけど、たまには良いだろうと自分の欲を優先させる。

はそのままで良いよ」
「良くないよ!」

 せっかく良い雰囲気になったと思ったのに、額に軽い頭突きをされ「ネイル崩れたら怒るから!っていうか泣く!」と涙目で言われてしまったので、仕方なくネイルが乾くまで待つことした。待ってる間、オレをソファー代わりにしてのんきに雑誌を読んでいる彼女を今日はどうやって愛そうか考えることにしよう。