
エントランスのオートロックを抜け、部屋へ向かうと自分の部屋の窓から明かりがついてる様子が窺えた。もしかしたら彼が来ているのかもしれないと、さっきまで足枷がついたみたいに重かった足が一気に軽くなる。
「おかえり、遅かったね。お邪魔してるよ」
「…ただいま」
いつも真っ暗な部屋に帰ってきて、ただいまも何も言わず一言も発さずにご飯を食べて風呂に入って寝る。そんなつまらなくて退屈な空間に、光が灯ったみたいな明かりがついていて、彼がいて「おかえり」と言ってもらえて「ただいま」と言える現実が生まれるだけで、大袈裟かもしれないけど生きてて良かったと思える。今日は金曜日だからきっと泊まっていってくれるはず。ひとりで過ごす寂しい夜から久々に解放されるのだ。そう思うとすこし力が抜けて、玄関まで迎えに来てくれた彼の胸に身体を投げるように預けた。玄関の段差分でいつもより彼の顔と距離が遠いのが気に入らないけど、彼の胸に中に一度ダイブして落ち着いてしまったので、暫くはこうしていたい。
「、どうかした?」
「…充電中です」
そう言うと、あたたかい手が頭に乗せられて不思議と重かった身体だけじゃなくてこころまで少し軽くなった。しばらく甘えて「充電完了」と言うとやさしく「手洗って着替えておいで」と言われたので、元気になった単純なわたしは「はーい」と軽く答えて洗面所へ向かった。
せっけんのポンプを押して、洗面所の鏡と向き合いながらふと思う。彼だっていつも遅くまで仕事をしてるし、今日はたまたま彼の方が早く終わっただけだ。疲れてるのはわたしだけじゃないはずなのに、と思うと彼がすごいのか自分が情けないのか分からない。
リビングへ戻ると、彼が「じゃあ今日はオレがに何か美味しい物を食べさせてあげるよ」と言うので思わず「辰也くん、料理出来たっけ?」と言ってしまった。料理は基本いつもわたしがしている。わたしの部屋に彼が来るときも、わたしが彼の部屋に行く時も基本はわたしがして、彼がたまに手伝ってくれる感じがルーティーンだ。
「遅くまで頑張ったんだから、は大人しく待ってて」
「う、うん。何かあったら呼んでね」
若干の心配、というか不安を残してキッチンの方をちらちら見てしまうけど、言われた通りリビングにあるソファーで大人しく待ってることにした。夜の22時をとっくに過ぎてるし正直もう夜ごはんなんて食べなくても良かったけど、気遣ってくれる気持ちが嬉しくて、太ろうが不摂生だろうが今日は気にしないことにしよう。しばらくすると美味しそうな香りがゆっくりと漂ってきて、身体は正直なのかお腹がぐぅっと小さく悲鳴を上げた。ごはんものではなく、この時間でも食べやすいシチューにしてくれたのは彼の気遣いなのかもしれない。大きいブロッコリーや不器用に切られた人参たちが彩り華やかで美味しそうだ。
「いただきます」
「どうぞ。って言っても美味しくないかもしれないけど」
「…かひゃい」
「え?」
「人参がまだかたいかも…」
「どれ…ああ本当だ。煮込み時間が短かったかな」
ごめんと心底申し訳なさそうに謝って来てくれた彼は、あまり見たことのない顔をしていて何だかすこし愛しくなってしまった。「みたいにうまく出来ないな」と困ったように笑うその表情に、どうしてか分からないけど心臓がきゅっとなった。なんだか涙が出そうになってしまったので、すこしかたい人参を噛むことで意識を逸らしてみる。けど、無理だった。
「…美味しいよ」
「え?」
「人の作ってくれたご飯がこんなに美味しいなんて、思わなかった」
あたたかくて、ほっとする。自分で作ったシチューならきっと人参だってやわらかいしシチューのとろみだってもっとある。けど自分で作った料理じゃ、きっとこんなに落ち着けないし涙なんて出ない。堂々と流れてしまった涙で視界がすこしぼやける。彼の作ってくれたシチューがあまりにあたたかかったから、こころの中でカチカチに固まってた何かが溶けて涙となって溢れ出たのかもしれない。
残業続きで疲れ果てていたわたしのことを、彼はぜんぶ分かっていたのだろう。わたし以上にわたしのことをよく理解してくれてると思う時が何度もある。隣に来て、ぽろぽろと涙を零すわたしの頭をそっと撫でてくれた。
「よしよし、はよく頑張ってるね」
「あまっ…甘やかさないでよ」
「オレの前でくらい、もっと甘えて良いんだよ」
誰かに認めてもらえることや受け止めてもらえることで、こんなにも気持ちが軽くなるなんて知らなかった。仕事に追われる毎日だけど、たまには思ってることぜんぶ吐き出してちゃんと休んで楽しい時間を過ごせば、わたしの人生だって悪くない。それに彼の前では甘えて良いというのなら、きっと来週からの毎日は今までとはすこし違う、明るい世界に見えるはずだ。