子ども大人の境界線なんて明確には知らないけど、なんとなく中学生と高校生の差は大きいと漠然と思っていた。
 入学式の日、今までとは比べ物にならないくらい大人っぽい同級生たちが周りにいて、思わず不安を覚えたことを今でも鮮明に覚えている。自分と同じ「普通」で形成されているであろう子たちも、夏を超えると一気に髪色や制服の着こなしが変わったりして、華やかになっていった。わたしだけ置いてけぼりにされたらどうしようと焦る時もあったけど、幸い友人たちに恵まれたのか特別可愛くもないし派手でもないわたしだけど、それなりに楽しい高校生活を送れている。
 それでも周りの同級生や今見ているファッション雑誌に載っている同世代のモデルさんを見ると、やっぱりキラキラと輝いているように見えて少し羨ましくなる。髪を明るく染めたら、メイクを覚えたら、服装を変えたら、わたしも少しは周りから眩しく見えるだろうか。そんな事を考えながらページをめくっていると、突然頭の上が重くなる。頬をくすぐったのは、頭上から降るわたしとは違う色の髪の毛。

「暇」
「蘭ちゃん髪の毛伸びたね」

 後ろにいたのを忘れていたくらい、わたしは雑誌の中のまぶしい世界に夢中になっていたらしい。わたしの外見とは何もかも正反対で華やかなこの人は、周りが羨ましいなんてつまらない事を考えたりはしないだろう。開いていた雑誌を閉じて、真正面から向き合い伸びかけの髪に触れる。中学生の時は三つ編みが出来るくらいもっと長かったけど、一度色々あってすごく短くなって、今に至る。ツートンカラーで構成されている髪色がよく似合っている。この世のものとは思えない美しさと近寄りがたさが共存しているとは、こういう事なのだろうとワケの分からない感情を抱いてしまう。

「わたしも髪明るく染めようかなー…」
「どーした急に」
「やっぱりなんか垢抜けたい」
「めちゃくちゃ直球に言うじゃん」
「髪色をパッと変えるのが1番効果あると思わない?」
「そーかもだけど髪痛むぞ」
「ちょっとくらい大丈夫」
「…そしたらオマエの髪こうして撫でなくなるかも」
「え?!」

 確かに、撫でる側は細胞が死んだ指通りの悪いゴワゴワの髪なんて触りたくはないだろう。蘭ちゃんの骨張った手で頭や髪を撫でられる時間が、わたしにとってはこころ穏やかでいられる時間のひとつ。「でも、蘭ちゃんはカラーしてても髪痛んでないよね」と言いたくなったけど、今こうして髪を撫でられているのが恍惚としてしまうほど心地好くて、このひとときを崩したくなくてこれ以上は何も言えなくなってしまった。うまく丸め込まれたような気がしないでも無いけど、まあいいか。

「じゃあわたしもピアスホール開けたい」
「ダメ」
「えー、またそれ。高校生だし校則違反じゃないし、開けたって良いじゃん」
は絶対ェ痛いって言うからダメー」

 耳に飾られている蘭ちゃんのピアスにやわらかく触れると、余計羨ましくなってしまう。過去にも何度かピアスホールを開けたいと思ったことはある。イヤリングはあまり種類が無いし、すぐ無くしてしまうから、思い切って開けてしまう方がきっと楽だ。何より、自ら選択した痛みを乗り越えるからか、少し大人に近づけるような気がする。放課後の教室で穴を開け合う友人同士に、痛そうと思いつつも憧れた。もちろん、蘭ちゃんの許可なんて取らずに勝手に開けてしまえば良いんだろうけど、それもなんとなく躊躇ってしまう。

「でも痛いのなんて一瞬でしょ?」
「どーだろーなぁ」

 長い指が、わたしの耳朶を擦るように触れてくるのでくすぐったい。そのまま耳のラインに沿うように撫でられるので、身体が少し緊張してしまう。形の良いくちびるが緩く弧を描いたと思ったら、その艶っぽい笑みとは反対にかわいらしいリップ音が近くで奏でられて、ちいさな音なのに鼓膜を揺らされたような気がした。そのままロリポップキャンディーを舐めるように、わたしの耳が溶かされていく。心臓の音が速く大きくなっている筈なのに、耳に響く音の方が脳を占領する。ふたつの目が熱くなってきて、このあと訪れるであろうひとときを想像していると、夢を醒ますみたいな衝撃に突然襲われる。

「…っ!!痛っ!!」

 骨ごと甘く溶かされるような感覚に陶然としていると、耳朶を思いっきり噛まれた。今まで与えられていた感覚と正反対の痛覚がいきなり貫くように注がれて、思考回路が混乱する。今までも身体の色々な箇所を噛まれることはあったけど、それは甘噛みと言われる範囲内で痛いと思ったことは一度も無い。けど今回は引き千切られるかと思うくらい痛くて、さっきまで宿っていた熱とは別の熱さが勝手に生まれてくる。下まつげに沿うように、涙が溜まっていくのが分かった。

「え、痛い!何?!」
「痛い?」
「痛い!え、めちゃくちゃ噛んだでしょ?!」
「穴開けるとこれより痛ぇけど良いの?」
「うっ…」

 絶対耳に穴を開ける方が痛くない、と思ったけど、わたしのことを誰よりも理解してくれている蘭ちゃんだからこそ心配の裏返しでいつも反対してくれているというのは、心のどこかでわたしもいつも分かっている。だから、その反対を押し切ってまで穴を開けようとは思わなかった。蘭ちゃんの気持ちも分かるけど、それでも今日は痛すぎる。我慢出来ずまばたきを一度すると、ぽろっとした生温かい大粒が頬を滑っていった。不思議なものでひと粒出ると、あとを追うようにポタポタと流れ落ちて来る。指で涙を拭ってくれるけど、もう痛みは落ち着いた筈なのに何故か溢れる涙は止まってくれず、蘭ちゃんの手を濡らしていく。もう無駄だと思ったのか、蘭ちゃんはぎゅっと抱き締めて頭を撫でてくれた。

「つーかマジでどうした急に。誰かに何か余計なこと言われたか?」
「別に、そんなこと、無いけど」

 鼻水が混じった汚い声と歯切れの悪い回答が嘘くさいということは、発言した自分自身でも実感した。
 蘭ちゃんはただでさえ有名なのに、このビジュアルの持ち主なので隣にいるわたしにも視線が自然と向けられる。自分のつまらなさと蘭ちゃんの持つカリスマ性の差なんて、天秤にかけなくても前々から自覚していて、自分を卑下するレベルを通り越しているので誰に何を言われても気にしていないつもりだった。けど、例えばテストで悪い点数を取ったり落ち込んでいる時とか、周りの同級生がどんどん可愛くなっていくとか、素敵な女の子や女性が蘭ちゃんの周りにいるのを見掛けた時とか、そういう感情が沈んでいる時に自分のことを言われるのはともかく、蘭ちゃんのことまで悪く言われてしまったらどうしようと負のループに入ってしまうときがある。だから、せめて自分のビジュアルレベルを少しでも上げたいと思ったのかもしれない。

「相変わらず分かりやすいな、オマエ」
「だって、」

 自身が傷つけた耳朶を愛しむように触れて、わたしを安堵させるようにやわらかなくちづけが耳元に落とされる。思いっきり抱き着くと、蘭ちゃんの薄くて硬い胸板から心臓の音が子守唄みたいに聞こえてきて、きっとこれはわたしだけが独占出来る音なのだと思うと少しだけ落ち着いてきた。

「オレが今の好きなんだからそれで良くね?」

 閉じていた暗いこころのカーテンが勢いよく開いて、眩しい陽光が差し込むように感じた。目から鱗とはこの事だろうか。つい瞳孔が開いて、その後にまばたきを数回繰り返してしまう。目に溜まっていた水分は、いつの間か消えていて、頬を流れていた涙の道は知らない間に拭われていて、とっくに乾いていた。

「…それもそっか」
「単純〜」
「どうせバカだなとか思ってるんでしょ」
「んー…まあ思ってっけど」
「…けど?」

 言葉の続きの代わりに、微笑むというにはあまりに罪な扇情的なくちびるが、強引に重ねられる。
 聖母のような優しさとかを持ち合わせているわけでもないし、誰もが目を奪われるような容姿でも無い。特別何かを頑張っているわけでもないし、ただ毎日を普通に楽しく過ごしているだけ。それでも、蘭ちゃんが好きと言ってくれるわたしがいるのであれば、わたしも今のわたしのことを少しだけ認めてあげよう。