キャミソールとショートパンツ姿で化粧をしてるの髪の毛を、ベッドの上で寝転びながら梳くように触れた。同じシャンプーを使ってるのに、からは香水よりやわらかく柔軟剤より鮮明なニオイがして、せっかく起きたのにまたひと眠りしたくなる心地に包まれる。薄い背中に羽が生えてるみたいな肩甲骨を撫でると、くすぐったいのか割と真剣な声音で「やめて」と言われた。アイラインがガタガタになる、と睨まれたけど昨夜の余韻のせいかむしろ扇情的にさえ見える。その白い首筋から背中にかけて散りばめられてる赤に、優越感のような感情を抱いて眺めている今のこの時間は嫌いじゃない。
「あ、わたし今日の夜いないから」
「あー…バイト?」
「うん、バイトの飲み会」
「ふーん。…………は?飲み会?」
「そ、お酒デビューしてきます」
微睡の中を彷徨うような心地好さに、雷みたいな亀裂が入った。コーラルピンクの薄いリップを塗ったのくちびるから、その純真さとは似合わない「飲み会」の単語が生まれて思わず耳を疑う。は?酒に興味なんてあったっけ?オレが飲んでても隣でいつもオレンジジュース飲んでただろ。
「なんで?」
「なんでって…行きたいから」
「それ、オトコいんの?」
「バイトの飲み会だもん、当たり前じゃん」
「無理」
「いや、無理って謎」
「やめとけ、酒なんて美味くねーし飲み会なんて楽しくねーよ」
「でも蘭ちゃんだってお酒飲んでるし誰かと飲んだりもするでしょ?」
「オレといっしょに飲めばいーじゃん」
「そうじゃないんだよなぁ」
化粧を終えたらしいはクローゼットを開けてしばらく悩んだ後、リブニットのトップスをハンガーから取り出した。トップスに合わせるようにいくつかのボトムスを合わせながら、ようやく1枚のスカートに決めたらしい。レースが使われているスカートは、風が吹いたらゆらゆら揺らぎそうな軽さ。よく似合ってるけど、そうじゃねえ。
「行くの反対〜」
「やだ行く!絶対行くから!」
真面目なのか自分なりのこだわりだったのか、は20歳になるまで頑なに酒を飲むような場には行かなかったし、家でも飲んだりしてるとこは見たことない。そもそも酒に対してそんなに興味が無いかと思ってけどちょっと前に20歳になったし大学のトモダチとかに飲み会の楽しさでも聞いて行きたくなったってとこか。が飲んだとこ見たことねぇから酒に強いのか弱いのか、酒乱なのか酒豪なのか、泣き上戸なのか笑い上戸なのかも分かんねえ。とりあえず行くなとは言ったけど珍しくの目からは強くて固い意志を感じた。多分オレが反対すればするほどの行きたい願望は強くなる気がする。
「分かった…けど21時にはあがれよ」
「そんなの1次会の時間じゃん」
「いーから、場所どこだよ。その頃迎えに行くから」
「新宿。蘭ちゃんって本当過保護っていうか心配性だよね」
無邪気に笑うにこちらも笑顔でこめかみに静脈を薄く浮き出してやった。人の気も知らねぇでのんきなヤツ。しかも新宿かよ。場所によっては変な連中いそうだし余計油断出来ねーじゃん。サバンナにウサギ放り込む気分になってきた。「夜はやべぇヤツいるかもしんねーから、行くまでも気をつけろよ」と言えば「えー、蘭ちゃんがそれ言う?」と言われたのでやわらかい頬の形を変えるようにつねってやった。
「じゃあ大学行ってくるね、鍵よろしく」
「つーかちょっと待て」
「何?授業遅れちゃう」
「今日そのまま飲み会行くのかよ」
「うん、授業夕方まであるからちょっと時間潰してからそのまま行くよ」
「着替えろ」
「え?」
「トップスはもっとゆるめのハイネック、あとスカート禁止〜」
「えー厳しすぎる!お父さんみたい」
玄関でパンプスを履きかけていたを強制連行して連れ戻す。クローゼットを開けてオレが選んだ服を渡すと「今日の気分じゃない」と言いながら駄々をこねるガキみたいに頬を膨らませるので、その頬を指で潰して無理矢理着せた。スキニーデニムで脚のラインが出てんのがまあ微妙だけど他のパンツは洗濯中なのか無いから仕方ねぇ。相変わらずゆるやかな表情で「じゃあ行ってきまーす」というを見送ったあと、なんもしてねぇのに疲労感に似たような感情が襲ってきて、誰もいない部屋にため息を吐きだした。
△▼△
六本木と同じ、いやそれ以上に人工のネオンで昼より明るく感じる夜の新宿は、流石眠らない街と呼ばれるだけのことはある。カラオケやら居酒屋が立ち並ぶ靖国通りは、目がチカチカするほど眩しい。とりあえずが行くと言っていた大衆居酒屋が入るビルの前で、ガードレールに腰掛けて待つことにした。待ってる間に何人かの女や歌舞伎町のホストクラブのオーナーらしき人間たちに話掛けられたような気ぃするけど、視界に入ってねぇから多分ガン無視してたと思う。携帯のデジタル時計が21時を表示したけど連絡は一切無い。19時からって言ってたからそろそろ終わるはず。もしかしてもう酔っ払ってんのか。
「あ、蘭ちゃ〜ん」
こんなに五月蝿い新宿の中でもの声だけはハッキリとした輪郭を持って耳に届いてくる。ただ、今までに聞いたことねぇくらい甘ったるい声。頬は紅潮して目は潤んでる。おいおい、男に腰抱えられて出て来てんじゃねぇぞ。つーか誰だよそいつ、殺すぞ。
「酔っ払い」
ここがむしろ新宿で良かったな。梵が拠点としてる新宿で騒ぎを起こすのは避けたい。とりあえず無理矢理その男から無言でを引き剥がして、バランスを崩したを抱き寄せた。ちいさな手で服を握ってくるから、鎮火とまでは言わねえけど少しだけ苛立ちが落ち着いたような気がする。
「え…あ…ちゃんの彼氏?彼氏いたの?」
いや、やっぱ全然落ち着かねえわ。気安く「ちゃん」なんて呼んでんじゃねえ。バイト先のセンパイだか何だか知らねえけど、の肩を抱きながら黙ってその男を見下ろす。男は程よく酔っていたのか、と近づけて喜んでいたのか、先程まで紅潮していた顔面をみるみるうちに蒼白させていった。かなり怯えた様子で「あ、じゃ、じゃあオレみんなのところに戻るんで!ちゃんよろしくお願いします!」と早口で捲し立て、逃げるように去って行く。この新宿の人混みを縫うように走って、背中が小さくなっていくのを見ているとが人形みたいに首を思いっきり勢いよく後ろに反らせてこっちを見上げて来た。
「蘭ちゃんなんでいるの?」
「迎えに行くっつったろ」
「ふふ、うれしーありがとー」
「オマエ何杯飲んだらそんなになんだよ」
とりあえず帰る前に水でも飲ませて少し休ませるかと、覚束ない足取りのを支えながら適当に公園へと向かう。大通りに面している繁華街とは違って、やっぱり公園はどこもある程度静かだ。酔っ払い含め変な連中はいなそうだけど、ベンチにこんな無防備なを置いていくのは一瞬でも躊躇われる。自販機まで一緒に行って、出てきた冷たい水のペットボトルを頬に当ててやると「つめたーい」と言ってはしゃいでいる。近くのベンチに座らせて、ペットボトルの蓋を開けて渡すとふにゃふにゃの笑顔で「ありがとー」と言われた。水を飲んだあと、そのままペットボトルから手を離して水を零しそうになるのを察知して、素早くキャッチする。手が掛かるヤツだなと思いつつも、悪い気はしてない。
「蘭ちゃん、あのねあのね、好きー」
ちょっと待て。さっきから何となく思ってはいたけど普段のと全然違ぇな。普段のは恥ずかしがり屋で「好き」なんて滅多に言わねぇしこんな風に自分からもなかなかくっついて来ねぇ。突然の真っ直ぐな言葉に暫く思考回路が追いついてなかったけど、擦り寄ってくるの頭を撫でると猫みたいに嬉しそうに笑う声が聞こえたから、とりあえずこの時間を楽しむことにした。
「蘭ちゃん、ぎゅーしてちゅーして」
「んー…やだ」
いつも外でキスしようとすると全力で拒んでくるはどこ行った?加虐心が煽られて、つい拒否をしてみる。公園の街灯しかない暗い空間の中なのに、熱っぽさを宿していた目は光を反射するみたいに潤んでくる。眉毛は下がって、濡れたくちびるはきゅっと結ばれてる。ナニソレ、無意識でやってんの。もう飲み会とか行かせられなくなんだけど。
頬を撫でると予想通り甘ったるい熱を感じる。さっきまで他の男に触れられていた部分を掻き消すように腰を引き寄せ、くちびるを重ねる。元々力がそんなに入っていなかったのか、薄く開いていたくちびるに舌をすべり込ませるのはいつも以上に容易な事だった。どちらの舌なのか分からなくなるほど溶け合うように熱い。から力なく漏れる吐息がいつもより艶っぽくてこっちまで酔いそうになる。
「酒の味する、飲み過ぎ」
やっぱりここが新宿で良かったな。帰るまでの時間さえ惜しくなった。このまま夜の新宿に溶け込んで、朝の新宿に触れた時、酔っぱらったことを後悔しろ。
