彼女と約束をしていた場所で、彼女の両手を取りひたむきな双眸を向けていた男には見覚えがあった。
「赤司くんは、わたしがいなくてもきっと平気だよね」
冬の夜にとけこむように呟かれた彼女の言葉は、あまりにも小さくて聞き逃してしまいそうだった。聞こえていたくせに聞こえなかった素振りを見せ、何と言ったのかを聞き返せば「なんでもないよ」とさみしい言葉が白い息と共に彼女のくちびるから吐かれる。手を繋いでいるのに、彼女の手はおどろくほど冷たかった。
そんな出来事があった1ヶ月後。黄瀬から連絡があり、久々に飲みに行くことになった。一年に数回ほどではあるが、当時の友人たちとは今も連絡を取り合ったりしているのでそこまで久々ではない。然し二人で飲みに行くというようなことはこれまでになかったと思う。店に入ると、見慣れた男がバーカウンターでグラスを回している姿が見える。先にお店に着いていたらしい黄瀬の隣に座りオーダーを済ませると、いきなり「今日は謝りたいことがあるんス」と重い口調で告げられた。いつもとは違う表情に「何だい?そんな事を言うなんて珍しいね」と微笑みながら言葉を返せば、暫しの沈黙が訪れる。テーブルに反射した黄瀬の表情をちらりと見遣ると、深刻な表情をしていた。グラスの中の氷が揺れる前に一気に酒を飲み干した黄瀬だが、言葉は飲み込まなかったらしい。
「オレ、のこと好きになっちゃった」
特に驚きはしなかった。正確には好きになった、ではなく以前からずっとのことが好きだったのだろう。
と黄瀬は高校と大学が一緒だった。オレは二人が通う大学の学祭に、中学時代を共に過ごしたかつての友人たちと遊びに行った時にと出会った。黄瀬の方がとは長い時間を一緒に過ごしているだろうし、もしかしたら黄瀬はのことが好きなんじゃないだろうかと思ったことは今までに幾度もある。「って本当赤司っちのこと好きっスよね」だとか「二人見てるとオレも彼女欲しいって思ってくる」などのことを話す時の黄瀬の表情はいつもやわらかく、さみしそうだった。も、黄瀬とはよく飲みに行ったり相談をしたりすることもあると言っていた。大人数でも二人きりでも。流石に二人と聞くと焦燥感や嫉妬にも似たような感情がじわじわと込み上げても来るが、それを言葉にしてしまうのは何だか情けない気がして何も言えなかった。最近は仕事が忙しくてのことを気にかけてやる時間があまり取れず、二人が会ってるのかどうかも知らない。
「そうか」
「それだけ?」
「オレが何か言って変わるようなものでもないだろう」
「そう、っスね」
「それに、そういうことはオレではなく本人に言うべきだ」
「え…良いんスか?」
「お前の気持ちはお前のものだし、答えを決めるのはだからね」
小さな声で礼を言う黄瀬は今にも泣きそうなのに笑っていた。黄瀬がを想う気持ちに嘘が無いと分かっているからこそ、こんなにも心が軋む。にさみしい思いをさせてしまっている自分が、黄瀬の一途な想いを否定するなんてこと出来るわけないのだ。
▼▼▼
冬のこの時期になると毎年と二人でミッドタウンにあるイルミネーションを見に行っている。もう何度目になるだろうか。毎年、彼女は光の数々よりも輝くような表情を見せてくれる。その顔をいちばん近くで見れるのが好きだったし、何よりしあわせだと思った。「キレイだね」と言うに「君の方がキレイだよ」なんてクサいセリフを吐ける余裕はなくて、ただ「そうだね」と呟き手をぎゅっと握ったのは初めてここに来た時だっただろうか。
先日電話をした際、今年も例年通り約束をしたがの声のトーンは沈んでいたようだった。会うのはに「赤司くんは、わたしがいなくてもきっと平気だよね」と言われた日以来である。あの頃から、の様子はおかしくなり日に日に彼女からの連絡も減っていったように思う。やり取りしていたメッセージの内容も淡泊で、以前のような明るさはあまり感じられない。今日の待ち合わせを断られなかっただけ良かったとも思うが、が来てくれるかどうかは分からない。
そんな思いで待ち合わせ場所であるツリーの下へ向かえば、との両手を取っている黄瀬が向かい合っている光景が見えた。装飾された光の輪郭がぼやけて、その先に二人の姿が見える。あんなに緊張した様子の黄瀬は見たことがなかった。に渡そうと思っていたプレゼントをポケットの中で握りしめ、その場を後にした。
夜だと言うのにこんなにも道は明るくて、白い息が生まれるというのに歩いている人々はちっとも寒そうじゃない。木々は彩り華やかな光に包まれ、道はどこまでも続いている。こんなところをひとりで歩いている人間は自分くらいしかいないからだろうか。ひとりで見るイルミネーションに、特別な感情は何も生まれなかった。この美しい景色はと見て初めて色を持ち、輝くことにようやく今気づいた。歩く足を止め、深く息を吸い、吐いた息を夜の冷たい空気に紛れ込ませ消す。自分の気持ちにひとつ、区切りをつけるように駅へと足を向ける。まるでひとり逆流しているようだが、あたたかい光に溢れたこの場所にはこれ以上いられない。
「どこ行くの?!」
突然、何かが後ろからぶつかるような突進してくるような衝撃を与えられた。腕を取られ、驚きながら振り返るとそこには走って来たのか息を切らせているがいた。驚きのあまり言葉を失っていると、息を整えたがすこし怒った表情を浮かべている。何でも我慢してしまったり、何かあっても自分の中で抱え込んでしまうタイプのは声を荒げたりすることはもちろん、怒りという感情をむき出しにすることもない。そのことがすこし寂しくて、同時に自分が頼りないのかもしれないと勝手に思って衝突をしたことは何度かある。だが、今まで喧嘩らしい喧嘩もしたことがないため、こんなに必死になっているを初めて見た気がした。
「待ち合わせ場所から勝手にいなくなるなんてヒドイ」
「…すまない」
「ボーっとしてどうしたの?」
どうしたのはこっちのセリフだ。しかし、ここで黄瀬の名前を出すのは躊躇われて結局言葉は何も出てこない。こんなに戸惑ったことは今までの人生で初めてかもしれない。は相変わらず頭に?マークを浮かべているが、それさえも愛おしく感じる。上着越しに掴まれているだけなのにの体温を久々に感じることが出来たような気がして、身体の内側がじんわりと熱くなってきた。
「そっちは駅だよ。戻ろう」
「…良いのか?」
「何が?」
「今年もこの景色をオレと見ることになって」
「赤司くん以外、誰と見るの?」
腕を引っ張られ無理矢理方向転換をさせられ再び光の道を歩く。今度はひとりじゃない。「わたしは赤司くんと見たいの」と言うについていくような形で歩くと、先程まで特別何とも思っていなかったこの景色があまりにもキレイで涙が出そうになるほど眩しい。
「…わたし、気づいた。赤司くんは何でも自分で出来ちゃうし、もしかしたらわたしなんて必要な…」
「そんなことない」
驚き動揺していたこころが落ち着き、やがて同じ歩幅でゆっくりと並んで静かに歩く。半分ほど戻ってきたところで、が口を開き始めた。せっかくが紡いだ言葉を途中で遮断させてしまった自分に自分が一番驚く。人の話を最後まで聞かずに自分の言いたいことを優先してしまうなんて。然し、それだけ伝えたい想いがあったということをならきっと理解してくれるだろう。相手に気を遣って思っていたことを言えないのはだけじゃなくて、自分もだった。負担になってしまうのではないかと怯えて何も言えないなんて、相手も自分も救われない。
「が傍にいてくれて、オレは初めてしあわせになれるんだ」
「うん」
瞳を潤ませたの表情には光の粒が何千万あったって敵わない。そんなに似合う眩しいくらい輝く光をその指にプレゼントするから、どうかオレの隣で一緒に輝いてほしい。二人で歩く光の道は、きっと終わりを知らずにどこまでも続いているはずだ。