「徹は失恋したことある?」

 砂の上に体育座りをして、水平線をぼんやりとみつめているが視線を変えずに問いかけてきた。すっきりとしない曇り空が、無表情のの顔をすこしだけかなしく見せてるような気がする。

 今から1時間くらい前だろうか。から急に「徹、今ヒマでしょ?来て」と電話が掛かってきたので、確かにリビングでテレビを観ていただけだけどヒマだと思われるのが悔しくて「忙しいんだけど」と返せば「そう言っても徹はきっと来てくれるもんね」と言われてしまえばの元へ行かないわけには行かない。どこに行けば良いのかと聞くと、電話を切ったあとに1枚の写真が送信されてきた。すぐに分かったけど1時間はかかる場所で、俺はひとりで文句を言いながらもすぐに準備をするというワケのわからないことをしながら家を出た。目的の場所まで辿り着くと、ちいさく丸まってるのさみしい後姿を見つけたので、俺もその隣にしずかに腰を落とすことにした。

「わたしは初めてだった、恋をしたのも失恋したのも」

 風がすこし強くて、波はあんなにざわめいているのに、の言葉は俺の中に響くように落ちてくる。来て早々いきなり失恋したことある?なんて聞いてきて、何も答えていないし聞いてもないのにはひとりで勝手に喋り始めた。誰にとは言わないけど、今まで散々話を聞かされたり相談をされてきた俺は、その相手が岩ちゃんだってすぐに分かってしまう。そっか、そうなんだ、ドンマイ、残念だったね、つらいね。どれもきっとふさわしくない言葉で、けれどこういう時に限って気の利いた言葉なんてひとつも生まれてきてくれなくて、結局何も言わなかった。黙っていると、は目の前の海に感情を沈めるみたいにひとりでしゃべりだす。「わたしは岩ちゃんに触れたいとか傍にいたいとか思うけど、岩ちゃんはわたしのこと何とも思ってなかっ た。岩ちゃんにとってわたしはただの幼馴染だった。ひとりの女の子じゃなかった」そんなことを言うに、本当はね岩ちゃんだっておまえのことがすきなんだよ。岩ちゃんは、守るものをすこし間違えちゃっただけなんだよ、って言わない俺をふたりは許してくれるかな。ごめん、言えないだけだね。
 
「ところで、なんで海なの?」
「わかんない」
「さむいじゃん」
「さむいね」

 風はおだやかだけど、やさしくはなくて、容赦なく俺たちの身体をつめたくさせる。カイロとか持ってくれば良かった。はちいさい身体をもっとちいさくさせて、指をこの寒空の下から隠すようにぎゅっと握ってる。「なんで海に来るのに手袋持ってきてないの?」と聞くと「だって気づいたらここに来てたんだもん」と拗ねたように返された。ようやく無表情だったの顔がすこしだけ生き返ったような気がして、ホッとする。

「さむいから徹の手袋貸して」
「は?やだよ。俺が寒くなるじゃん」
「傷心の幼馴染がさむいって言ってるのに、徹は手袋を貸してもくれないひどい男になっちゃったの?」

 そこまで言われて貸さないほどヒドイ男になるわけにはいかない。「ほら」と言って渡すと、むかしと変わらない無邪気で屈託のない笑顔を見せてくれた。いつからさっきみたいなせつない表情が出来るようになったんだ。いつからおまえは女になった。そんなの俺がいちばん知ってる。だって、は俺にとってもいちばん大事な女の子だから。

「わーい、大きいけどあったかい」
「俺はさむいんだけど」

 指の先をすこしだけ余らせて、自分の頬を両手で包んでる。の雪みたいに白い肌と、俺の黒の手袋のコントラストがすこし不愉快だった。今、おまえをあたたかく出来るのは俺自身ではないと思わされてるようで、自分が滑稽に思えてしまったからだ。
 
「…外歩いててコンビニ入った時とかさ、急にあたたかくなると鼻水出てくるのなんでだろうね」

 唐突にそんなことを話し出すからぐずぐずと鼻を啜る音が聞こえる。誤魔化すのが本当に下手くそ。すこしは俺を見習ったらどうだ。今まで見たことがないその横顔は、きれいでずっと見ていたいとも思うし、さみしくてもう二度と見たくないとも思う。「鼻水以外にもなんか出てる」「知ってる」「かわいくないよ」「ひどい」雰囲気も色気もなにも存在しない無意味なやり取りが無意味じゃないことを、も俺もわかっていた。

「なんで、俺を呼んだの?」
「だって、徹の前、じゃないと、わたし、泣けない、から」
「…おまえは本当にずるいよね」

 言葉がすこしずつ途切れるのと同じタイミングで、今まで前を見ていたが俯きだす。俺は何も考えずに、多分そうしたかったからのちいさくなった身体をぎゅっと抱きしめた。やましい気持ちとかじゃなくて、ただ、漠然と、抱きしめたくなった。きっと、がたいせつにしてきた想いも、俺が10年以上ひみつにしていた想いも、岩ちゃんが必死に我慢した想いも、ぜんぶぎゅってしたくなったからだ。

「だからやめなって言ったのに。傷つくだけだよって俺言ったじゃん」
「それでも、言いた、かったの」

 ゆっくりとから絞りだされるように呟かれた「だってもうすぐ卒業だから」の言葉が俺たち3人に残された僅かな時間をカウントダウンするスタート合図のように感じた。ちいさい頃からずっと一緒だった俺たち3人は、この春から生まれて初めてちがう進路へと進む。きっと今までみたいに気軽に会うことなんて出来ない距離になる。

「…バカだね」

 あんなにに触れたい、傍にいたい、抱きしめたいって思ってたのに、こんなの全然違う。くるしくてさみしくて泣きたくなるこの抱擁を、俺はきっと一生忘れない。



 俺の手袋をハンカチ代わりにして目を擦ったの顔は本当にひどかった。今まで蓄積されてきたものが、ぜんぶ出せたのだろう。ある意味、本音を岩ちゃんに伝えることが出来たをすごいと思ったし、羨ましかった。俺は守るものなんてもう何もないくせに、目には見えない何かに怯えて、に何も伝えることが出来ていない。けど、きっとこれから先もそれは変わらないと思う。「そろそろ帰ろう、俺たちの街に」そう言って立ち上がり、に手を差し出す。ちいさな声で「ありがとう」と言う声が聞こえた気がした。

「つーか俺、受験まだ終わってないんだけど」
「あと発表だけじゃん」
「そうだけどさ」
「大丈夫だよ、徹なら。ぜったい受かってる」
「なんでそんな自信持って言えんのさ」
「だって、徹はわたしの一生自慢の、」

 風が吹いて、白波が言葉をやわらかくさらっていく。俺は10年以上前からいつだっておまえに失恋してるよ。

 たいせつにしてきたこの感情を伝えられるほど強くはないし、捨てられるほど潔くはなれない。だからせめて、この海がなき止むその時まで、もうすこしだけ好きでいさせて。