「ねえ、堅治くん。リモコン取って」
「ん」
年下の堅治くんと付き合ってどれくらい経つだろうか。付き合い初めのあの頃に存在していたときめきだとか、特に何も考えずただ少しでも一緒にいたいと始めた同棲当初のやさしくてあたたかい恋人同士みたいな雰囲気は枯渇しつつある。すごく良く例えたらの話だけど、恋人とか夫婦通り越して家族みたいな関係になってるのかもしれない。本当にすごく良く例えた場合だけど。今だって、ふたりでいても勿論それぞれ違うことをしている。堅治くんはラグの上に座って雑誌をパラパラと読んでるし、わたしはソファーの上に座って大して興味の無いテレビ番組をただ眺めてる。ふたりでどれにしようと悩んで買ったラグもソファーもローテーブルも、今ではただの物に過ぎない。
なんとなく暇になって、部屋の中をうろついてるとガラス製のジュエリーボックスに入ったネックレスが目に留まった。いつかの誕生日に堅治くんからプレゼントしてもらったものだ。特別几帳面で無いわたしが乱雑に入れてしまったせいか、チェーンの部分が絡まってしばらく放置していたのを思い出した。特にやることもないので、そのネックレスを取り出し再びソファーに戻る。戻る途中、カーテンがすこしだけ開いていたので閉めようと手を掛けた時、眩しいくらい大きなまんまるの月が見えた。冬の冷たい夜の中でも輝く月は優美だ。そういえば、占い師に見てもらったあの時も、満月の夜だった気がする。数時間並んで待ってようやく見てもらって開口一番が「あなたは結婚出来 ないわね、多分」だった。当時、結婚なんてイメージも湧かないわたしだったけど、社会人になってしばらく経った今ならよく分かる。今まで喋ったこともない人に言われたたかが占いの結果。しかし、されど占い。こうして堅治くんと付き合うようになってからもう数年経つ上、一緒に住んでるのに結婚の「け」の字も出てこない。付き合って3年くらい経った時くらいから、みんなして「結婚は?」だとか「一緒に住んでるのに結婚しないの?!」だとか親切なのかお節介なのかよく分からないことばかり言ってくる。その時くらいからだろうか、「結婚」と言うものに憧れを持たなくなったのは。いっそのこと、もうこのまま結婚しなくても良いやとさえ思い始めてる。それなのにいつからか周りの友人が結婚していくと祝福だけじゃなく羨望の気持ちも抱くようになってしまった。おまけにわたしの方が堅治くんより年上だし、もういい年だから焦りみたいのも生まれてきちゃって、わたしはやっぱり堅治くんと結婚したいのかも、と自分でもよく分からない感情に潰されそうになって自己嫌悪してしまう時がある。
夜という深い暗さがあるからこそ美しく輝く今宵の月は、眩しくて見ていられない。カーテンをしずかに閉じてソファーに戻った。
「さん、暖房の温度上げても良い?」
「いーよ」
堅治くんは相変わらず雑誌に目線を向けながらわたしに話しかけてきた。わたしもわたしで、華奢なネックレスのチェーンを解こうとする自分の指先に集中している。自分のことを不器用だとは思わないけど、特別器用だとも思ってない。こういう細かい作業は嫌いじゃないけど、こんなにも絡まってると少し途方に暮れてきた。これはきっと罰だ。せっかくプレゼントしてもらったネックレスを放置してがんじがらめに絡ませちゃったから、わたしたちのこころもぐちゃぐちゃに絡まったまま動けないんだ。しかし、今更悔いても仕方がない。大人しく少し伸びた爪を使いながらゆっくりと解いていく。
「さん、冷蔵庫の中にあるプリン食べて良い?」
「いーよ」
「さん、テレビ消しても良い?」
「いーよ」
「さん、俺と結婚してくれない?」
「いーよ……え?!」
特に頭を働かせず、無意識に返事をしていたから大事な言葉を聞き逃してしまったような気がする。空耳だったかなと思って堅治くんの方を見てみてると、わたしの方を一直線に見ていた。さっきまで雑誌しか見てなかったよね?何で急にこっち見てるの?目をまんまるにさせてるわたしの表情が、堅治くんの双眸に映ってる。
「今…なんて」
「いや、本当はもっと早く言うつもりだったんだけど…タイミング掴めなくて」
開いていた雑誌を閉じてテーブルの上に置き、俊敏な動きで正座をした堅治くんは背筋をしゃんと伸ばしてこちらを見据えて来た。つられるようにわたしも手にもっていたネックレスをテーブルの上に置いてソファーから降り、ラグの上に正座した。
「ちゃんとした場所でちゃんと言うべきだっていうのは分かってるんだけど、我慢出来なくなっちゃって」
「うん」
「さん、俺と結婚してください」
たった一言。堅治くんのこの一言だけど胸の中でくすぶっていたぐちゃぐちゃなこころが一気に軽くなった気がして、心臓は震えてる。
正座して頭を下げられるなんて、今まで体験したことがない。けど、頭を下げてくれたおかげでわたしの今のゆるんだ表情が見られなくて良かったかもなんて思ったり。同じようにわたしも頭を下げ「よろしくお願いします」と言うと、ラグが少しだけ濡れた。頬を濡らさなくて良かったと思うことにして、顔を上げるとそこには安堵を浮かべながら嬉々とした表情の堅治くんがいた。
「じゃあ早速婚姻届もらいに行こう」
「え、もう夜の21時だよ?」
「大丈夫、夜間窓口とかあるから」
わたしより年下とは言え、もう立派な社会人のくせにまるで少年のように目をキラキラとさせてる。この時間から歩くことなんて滅多にないけど、堅治くんと一緒なら良いかと立ち上がる。ふとテーブルの上に視線を向けると、あれだけ絡まっていたネックレスはキレイに解けていて、わたしってやっぱり器用なのかもとどうでも良いことを思ったりした。
「うわ、足しびれた。立てない」
「え、あれだけで?」
「堅治くんと違って若くないから」
「あんま変わんないじゃん」
差し出してもらった手を握って立とうとするけど、なかなか立てない。今更だけど、自分の体重というか重さが分かってしまうのは何となく恥ずかしい気がして、堅治くんの手を軽く取って立ち上がるつもりだったのに、びっくりするくらい脚の感覚がなくて立ち上がれない。結局堅治くんに全体重を預けて引っ張ってもらってようやく立てた。それでも上手く歩けなくて「生まれたての子鹿みたい」なんて言われてしまうほどだ。一歩進んでみるも、よろけてまたしても堅治くんに全体重をかけてしまった。「ごめん」と言うとそのまま抱きしめられて頭をポンポンされて、なんだかドキドキしながらもすごく落ちついた。
マンションを出て、寒い空気に鼻が冷たくなる。それでも久々に繋いだ手はあたたかくて、久しぶりにドキドキして、わたしはやっぱり堅治くんが好きなんだなって思った。
深い夜の中で輝く月はやっぱり美しいけれど、もう眩しくはない。
< 企画サイト「大人だって恋がしたい!」さまに提出させて頂きました。 >
