秒針の速度は決して変わってないはずなのに、まぼろしみたいに時間がゆっくりと流れてるようで息が苦しい。こんなとこに来ようなんて言い出したの誰だっけ…俺か。休日の水族館はそれなりに混んでいて、周りは家族やカップルばっかだ。これだけ人がいるのに、俺たちみたいに男2人と女1人で来てる組み合わせは全くと言って良いほど見当たらない。
「犬飼先輩はやくはやく!」
「そんなに慌てなくたって魚は逃げないよ」
高校生には思えないほどのテンションでひとり少し前を歩くちゃんは、同じ学校で同じ図書委員会に属している謂わば後輩の女の子だ。寝てる間に勝手に図書委員に決められていた俺と違って、自らの意志で挙手し図書委員になったらしいちゃんは普段から真面目で委員会の仕事もよくやってる。放課後の図書室は日当たりが良いから、委員会の仕事なんて忘れてついつい机の上で重い瞼を閉じきらないようにウトウトしていたら、高い位置にある本に手が届かなくて爪先立ちをしてるちゃんが見えた。ダルイ身体を働かせて代わりに本を取ってやると、どこの少女マンガだと思うくらいの勢いでちゃんが頬を赤くした。その後「ありがとうございます!」と図書室にしては大きな声を出してハッとしたちゃんは、辺りに人があまりいないことを確認してホっとしてた。その様子が何だか印象的で、人を好きになるってなんて単純なことだろうと思わされた記憶が今でもある。
「だって水族館久々で…!辻くんは?」
「うん、俺も久々に来た。小学生の時以来かもしれない」
そんなちゃんはボーダーで同じ隊に属している後輩の辻ちゃんと同じクラスで隣の席らしい。俺はすこし驚いた。たまたま辻ちゃんにボーダー関係の伝言があって教室に行ったら、女の子と滅多に話さない辻ちゃんがちゃんとは普通に喋っていたことに。昔から、なんとなくだけどそういう勘というものは働く方で、2人の関係だとか距離感というものが一瞬で分かってしまった。休み時間の教室でそれなりに賑やかなのに、2人がいる場所だけ妙に穏やかだったから。もちろん、そんな穏やかさを壊すように辻ちゃんに話し掛けて「あれ、辻ちゃんとちゃんって仲良いの?」とか言ってみたりして。そっから3人でもたまに話すようになって俺の思いつきで今日に至った。
「えーと、イルカのショーって何時から?」
「わたしイルカのショーすごく見たいです!」
「あ、そういえばパンフレット貰ってくるの忘れてましたね」
「じゃあ、俺取ってくるから2人ゆっくり歩いててよ」
後輩2人に「すみません、ありがとうございます」と声を揃えて言われて、ナニソレ仲良し?なんて思ったりしながら、歩いてきた道をすこし戻る。パンフレットを3枚手に取り戻ろうとしていると、2人が水槽を指さしたり解説を読んだりしながら本当にゆっくり歩いてる姿が目に入った。俺だったら、急に好きな女の子とこんな暗い中で2人にされたらそのまま攫うように連れ出しちゃうかもしれないって思ったけど、辻ちゃんはきっとそんなこと絶対にしない。そんな辻ちゃんだからちゃんも辻ちゃんが好きなんだろうね、なんて思ったら水に呼吸が奪われたみたいに苦しくなった。違うことを考えようと試みたけど、ふと視界に映ったくらげがちゃんのスカートみたいだなとかバカみたいなことを思ってしまったり、水槽に細い指を当ててやたらとキラキラした目で魚を追う様子が可愛いなーとか結局そんなことばっか考えてる。すこし広い場所に抜けると、そこはちょっとした階段になっていて水槽の目の前でも階段の上からでも魚がよく見えるような空間が設計されていた。2人並んで歩かずに、辻ちゃんがちょっとだけ前を歩いてその後ろをちゃんがちいさい歩幅で歩いてるのが2人らしい。
「わっ…」
「さん?!」
辻ちゃんの焦った顔なんてきっと滅多に見れない。戦闘中だってあまり表情を崩さないのに、これはなかなか貴重なショットだ。ついでにその後に一瞬だけ見せた安堵と複雑が混じった顔に至っては見たことがない。フラットパンプスの薄い靴底を滑らせて、転びそうになったちゃんが転ばなくて良かったっていうのと、それを助けたのが自分じゃないっていう、誰もがこころの中に持ってるであろうモヤモヤしたものが思いっきり顔に出てるよ辻ちゃん。
「ちゃん、大丈夫?」
「あ、犬飼先輩…………あっ!ス、スミマセン!」
「暗いから足元気を付けないとね」
咄嗟に掴んだ腕は思っていたよりずっと細くて、力入れ過ぎてなかったかな…なんてらしくない心配をした。ちゃんにパンフレットを一枚渡してから、一歩前を歩いている辻ちゃんの横に並ぶ。パンフレットを渡すと律儀に「ありがとうございます」と言ってくるところが辻ちゃんらしい。辻ちゃんとの距離を縮めてちゃんには聞こえないよう辻ちゃんに話しかける。足元気をつけてって言ったのに、ちゃんは相変わらず水槽の中にいる魚たちに夢中だ。今だけは好都合だけど。
「ダメだよ〜辻ちゃん」
先輩なりの忠告をしてあげよう。俺って良い先輩だよね、なんてひとり自画自賛しながら頭に?マークを浮かべた辻ちゃんの耳元でちいさく話す。これから俺が言う言葉は、きっと辻ちゃんの平和な心臓に鮮明な爪痕を残すに違いない。
「好きな女の子はちゃんと守ってあげなくちゃ、」
この場所は相変わらず息苦しいけど、辻ちゃんの頭の中も感情が溺れるみたいになっちゃうんだろうなあ。やっぱりヒドイ先輩でごめん、なんて思いつつも、こんな暗くて冷たくて寂しい場所にひとりでいるのは嫌だから、すこしだけ道連れにさせてもらおうかな。それに、ただ簡単に得られる平穏な未来なんて、きっとつまらないよね。
「とられちゃうよ?」