ガラスの向こう側は、まるで別世界のようだと思った。
休日の昼過ぎ、撮影の仕事まで時間が空いてしまったため、よく訪れるカフェで時間を潰すことにした。適当にエスプレッソを注文して窓際の一番奥のカウンター席へ座る。大きいガラスで作られた壁は、当たり前だけどやたらとクリアで、外の景色を鮮明に映している。オレは、このカフェのこの席から外を見るのがなんとなく好きだった。腕時計を見ながら早足で歩くスーツ姿のサラリーマン、たくさんの買い物袋を両手に持っている女性、手を繋ぎながら歩いている恋人同士など、たくさんの色々な人がいて外の道が色を持っているみたいに明るく感じた。どうしてかは分からないけど、それがとても眩しく感じて少し憧れる。今日も頬杖をつきながら外を眺めていると、ひとりの人間と目が合った。一瞬驚いたあとすぐに見せられた彼女の微笑みに思わず目を奪われて、ガラスが微かに振動したような感覚が全身を駆け巡る。揺れたのはガラスじゃなくて、オレの心臓だ。
「黄瀬くん?!久しぶりー」
「久しぶり。元気そうっスね」
白いワンピース姿で小さいバッグを持って店内に入ってきたは、中学の時の同級生だった。目が合ってビックリした勢いでオレに会いに店内に入ってきたというは、「ここ良い?」と聞いてオレの横にバッグを置くと改めて飲み物を注文しに行った。ホットカフェオレの、ほのかに甘いミルクの香りを漂わせながら戻ってきたは、オレの右隣に座るとカップにそっと口をつけ「おいし」と小さな声で呟いた。
「、全然変わってないからすぐ分かったスよ」
「そう?」
「普通女の子って高校生になるとみんな可愛くなるんスけどね」
「…それってわたしが全然あか抜けてないってこと?」
「うそうそ。は昔から可愛いっスよ」
「黄瀬くんに可愛いって言われても全然信じられない」
少なくとも、白いワンピースがそんなに似合うなんて知らなかった。中学の頃より伸びた髪は程よいウェーブがかかっていて、睫毛の長さは相変わらずだけど桜色の頬とくちびるは愛らしかった素顔を少しだけ大人にさせている。数少ない、オレが名前だけで呼んでる「女の子」は確実に「女」になっていた。その事実に、恍惚と憂愁というよく分からないふたつの感情が混ざって心の中でぐるぐるしてる。
「じゃあ誰が言うなら信じられるんスか?黒子っち?」
「えっ…ちょ、そ、そんなこと」
「っていうかこれから黒子っちとデート?」
「な、なんで分かったの?」
「そんなオシャレしてたら誰だって分かるって」
嘘がへたくそなところは相変わらず変わってない。照れると耳がほんのり赤くなるところも変わってない。オレの気持ちも、何も変われてない。
中学時代、オレはひそかにが好きだった。けど、その間オレは他の女の子と付き合ったり別れたりを数回繰り返していてとは友人という関係でしかなかった。可愛いとは思うけど、特に好きでもなんでもない女の子を彼女にするのはそんなに難しくないのに、本当に好きな女の子に想いを告げるということを体験したことがなかったオレは、最後までに何も言うことが出来なかった。おまけにある日、友達の付き添いでバスケ部の練習を見に来たというは、目立たないけど一生懸命練習をしながらも他人への気遣いを忘れない黒子っちに惹かれてしまったのだ。恋をしている女の子を見て、ナイフで切られたみたいに胸が痛くなったのは初めてだった。まるで少女マンガやドラマにありそうな悲惨な展開になってしまい、自分の感情を必死で誤魔化していたらいつの間にかオレがふたりの仲介をしていて、卒業前にふたりは恋人という関係になってしまった。どうせ卒業だし、ふたりとは違う高校だし、こんな想いそのうち泡沫みたい消えるだろうと思っていたのにこの感情はしぶとく生き残っている。未だに心の底から好きだと思える人に出会えないのは、きっとのせいだ。
「オレを時間潰しに使うなんてくらいっスよ」
「ち、違うよ!本当は駅前の本屋に寄ってから行こうと思ったんだけど黄瀬くんが見えたから」
「はいはい」
「久々に黄瀬くんと話したくなっちゃって」
「…そういえば卒業して以来っスかね」
「そうそうって…あ!」
話している途中で声色が少し変わったの視線の先を見ると、ガラス越しに黒子っちが立っていた。「さっき黄瀬くんとここで会ったことメールで伝えたんだ」というは無邪気に笑っていて、黒子っちはそんなを見ながら優しそうな顔をしている。オレと黒子っちは卒業しても部活の関係で思っていたより会う機会が多いせいか、そんなに懐かしいという感情はお互い持ち合わせていなくて、黒子っちは相変わらず丁寧な仕草でオレに頭を下げた。そんな黒子っちに手をひらひらと振っているとが席を立つ。椅子が地面を擦る音がやたらと大きく聞こえて、夢なんて全く見ているわけじゃないのに現実に引き戻されたようなもどかしさが募った。けど、当然の腕を引っ張って引き止めるワケにも行かず、黒子っちに手を振ることで何とか疼く右手を誤魔化した。
「じゃあわたし行くね」
「黒子っちと仲良くするんスよ」
照れながらも「ありがと」と言っては去って行った。ガラスの向こうで、黒子っちの傍に駆け寄っていくの表情は先ほどまでと全く違う。オレが見てることに気づいたのか、は手を振り黒子っちはもう一度会釈をしてふたりは駅の方へと向かって行った。今でもが飲んでいたカフェオレの香りがまだ残ってるような気がして、現実に戻るために飲んだエスプレッソは自分で選んだくせに、やたらと苦い。しばらくすると信号を渡ったふたりは指を絡めて寄り添うように笑顔で歩いている。外の世界が眩し過ぎて、身体に滲んでいく苦みが猛毒のように感じた。
たとえ境界線のようなこのガラスが割れたとしても、オレはに恋をしている限り永遠に向こう側へはいけない。
