生まれて初めて恋をした。
ほとんどの人が10代のうちに経験するであろう恋というものを、恥ずかしながらこの年齢になってようやく知ることになった。恋なんてしなくても「好きだよ」なんて簡単に言えるし、手だって繋げる。抱き締めることだってキスすることだってセックスすることだって、嘘をつくみたいに簡単に出来る。退屈だとは思ってないけど、つまらないと思ってた、今までは。
「何、考えてるの?」
「さんと出会う前のオレのこと」
ホテルの大きな窓からは光が差し込んでいる。リネンのシーツの上で熱を持っていた肌はいつしか落ち着いていて、今までセックスしたあとはすぐにシャワー浴びてサッパリしたいとか思ってたけど、離れるのが惜しいなんて子どもみたいなことを思うようになっていた。それはいっしょにいる相手がさんだからなのかもしれないけど。
特別長いというわけでもなく細いというわけでもない、でも触り心地が良くてすべすべしたさんの脚を撫でると、くすぐったそうに笑った。この時間が愛しすぎて夢なんじゃないかと思ってしまうくらいしあわせで、つらかった。
「それって幸男と涼太くんがいっしょにバスケしてた頃のこと?」
「…とか、学生の頃のこととか」
生まれて初めて恋をした相手は、センパイの奥さんだった。センパイが当時の海常バスケ部のメンバーに、結婚報告を兼ねて元々は大学の同級生だったさんを自分の奥さんとして紹介したのが出会いだった。初めて会った時は挨拶程度で、何とも思ってなかった。こう言っちゃアレだけど、モデルの仕事でかわいい子やキレイな人はたくさん見てきてる。だから特別外見に惹かれることはなかったし、センパイの奥さんだけあって気が利く人だなくらいにしか思ってなかった。
「涼太くんはわたしと出会わなければ良かったって思ってる?」
けど、何回かみんなで会ったりしてるうちにいつの間にか惹かれていて、確かさんが観たいって言ってたDVDをオレが持ってたから貸すことになって、本当はセンパイづてに渡そうと思ってたけど、センパイが2週間くらい出張だからってことでふたりで会うことになって、その時すげー緊張したのを今でも覚えてる。待ち合わせ場所のカフェのテラスにさんがいるのが見えて、知らないうちに駆け足になってる自分がいた。脈打つ音がやたらと響いて聞こえる気がして、さんの名前を呼ぶだけでドキドキした。
「オレ、さんと出会えて良かったよ」
その時、初めてオレは恋をしたんだなって思った。きっと周りからしたら中学生の恋みたいに見えていたと思う。さんから連絡が来るだけで喜んで、やわらかい声で名前を呼ばれるだけでやさしい気持ちになれた。たのしそうに笑ってるところを見るとオレもしあわせな気持ちになれた。さんがセンパイの奥さんでなければ。初めて恋というものをしたからか、それともさんがセンパイの奥さんだからか、どっちかは分からないけどオレはさんとの距離の詰め方が分からなかった。もしかしたら、これが初恋でなければセーブがかかってこんなことにはなっていなかったかもしれない。けど、どうしたら良いか分からなかったオレはただ、さんに自分の気持ちを伝えることしか出来なかった。
「まるでお別れの挨拶みたいだね」
まだ微睡みの中にいるようなさんを残して自分の上半身を起こした。散らばった服を集めて、くしゃくしゃになったジーンズに自分をねじ込む。
さんに気持ちを伝えた時、告白というものはこんなにも緊張するものなのかと初めて知った。別に報われたいと思っていたわけじゃない。どうしたら良いか分からなかったから、ただ伝えただけだった。その時のさんはひどく困っていた。そりゃそうだ。オレにとってセンパイは信頼出来る数少ない人だし、さんにとっては大事な旦那さんだ。そんな人を傷つけるなんてオレだって望んでない。でも、戸惑ってるさんを見たら全く脈がないわけじゃないって思えて、強引に抱き締めてキスまでしてしまった。
「センパイにもだけど、さんにはしあわせになってほしいから」
触れるだけのキスをしたあと、さんの顔を見たら少女みたいに顔を紅くしていて、すぐにもう1回キスをしてしまったことを今でも思い出せるのはきっと、あのときの胸の鼓動を覚えてるからだ。これが俗にいうドキドキって感情かー…なんてのんきなことを思っていた気がする。同時に嬉しかった。自分にもこんなに好きな人が出来るなんて。けど、センパイへの罪悪感はいつだって消えない。
「でも、しあわせに出来るのはオレじゃないこともわかってる」
それはさんも同じで、多分さんの頭の中にはいつだってセンパイがいる。オレと手を繋いでるときだって、キスをしてるときだって、肌を重ねてるときだって、きっとセンパイのことを考えてる。オレのことを好きでいてくれてるかもしれないけど、一生をいっしょに過ごしたいと思ってるのはやっぱりセンパイなんだと思う。オレはそれをぜったいに超えられないし、超えたいわけじゃない。罪悪感でさんが潰れないうちに、彼女を解放してあげるのが、きっとオレに出来る最後のこと。
「涼太くん、ごめんね」
初めてしあわせになってほしいって思った人を自分でしあわせに出来ないつらさがあるなんて、知らなかった。さんと出会えてなければ知ることが出来なかった感情が数えきれないほどたくさんある。
「最後にひとつだけお願い」
この部屋を出たら、さんとオレが会うことは多分ない。みんなで会うこともなくなると思う。もう、さんの薬指の指輪を見て苦しくなることもない。そんなオレを見て、さんがつらくなることも、もう一生ないから。だからせめて最後にひとつだけ、部屋の扉に手をかけてわがままを言い残す。
「今日だけ、オレのためだけに泣いてくれる?」
生まれて初めて恋を―、
