<未来(大学生)設定>


 卒業式の時期も後半に差し掛かろうとしている3月17日。暦の上ではもう春だと言うのに桜の木々は未だ寂しく佇んでおり、太陽が顔を出す前の朝の空気は静かに凛と澄んでいる。一軒のコンビニの中に入れば、エアコンという人工的な機械によって生まれた温度が、忍足謙也の身体を当たり前のように安堵させた。
 まだ空が薄暗い朝の6時、大学2年生になる謙也は家から5分ほどのコンビニにいた。大きなあくびをかみ殺すこともせず、何か惹かれる雑誌や本はないかと探してみる。気になる見出しが表紙に印刷されている雑誌をパラパラとめくると、乾いた音がやたらと響いて聞こえた気がした。朝焼けの輝きが窓を貫いて謙也に襲いかかる。

「あれ、謙也だ」
「おーやん…って、お前こないなとこで何しとんねん?!」
「謙也こそこんな朝早くから何してるの?」
「徹夜でレポート書いとったから眠気覚ましにコンビニ来たとこや」
「そうそう、わたしも同じような理由」
「…絶対ちゃうやろ。どうせ朝帰りとかそんなんやろ?」

 この季節の朝にしては少し薄着なトレンチコートと、近所に行くにしてはやたらと細いヒールで登場したは、謙也と同じ大学に通う同級生だ。の住むマンションはこのコンビニからは2駅先のところにある。にとってこの場所は気軽に来るようなところではない。けれど、謙也はが何故このコンビニに来たのかその理由が分かっていた。理解したくはないのに分かってしまう、そんな自分ではどうすることも出来ない苦しさにもがく日々は、相変わらず心臓がえぐられるように痛い。

「その言い方好きじゃなーい」
「財前の家から直接学校行けば良かったやん」
「自分の家に今日の1限に提出のレポート置いてきちゃったから」
「そら災難やなぁ…ちゅうか寒ないんか?」
「仕方ないじゃん」
「おーおーお盛んですなあ」
「ちょ、オヤジくさい」

 他愛もない雑談にひと区切りつけ、は朝ご飯でも買いに来たのかヒールをリズムよくゆるやかに鳴らしパンの売り場へと向かう。謙也は今までと同じように雑誌コーナーへ視線を落としているが、適当に眺めていた雑誌たちは全く脳にインプットされず、ただ文字や写真を眺めているだけになってしまった。
 にはひとつ年下の恋人が現在進行形で存在している。謙也と、2人と同じサークルに所属している財前光だ。彼と謙也は中学生時代の先輩後輩でもあり、謙也にとって財前は可愛い後輩のひとりでもある。財前が入学してきて暫くは、講義終わりに3人でご飯に行くこともそれなりに多かった。然し、そんな関係に終焉が訪れたのは財前が入学をしてきて半年が経った頃。と財前が恋人という関係になったのだ。中学生みたいに純粋な恋心をに一年以上抱いてきた謙也は、結局何かを伝えることも出来ず、何もすることも出来ずに、ただ時だけをさみしく重ねていた。

「はい、謙也」
「なんやコレ?」
「おでん」
「何でいきなりおでんやねん」
「好きでしょ、おでん」
「そらまあ好きやけど」
「はっぴーばーすでー」
「え?」
「今日は君の誕生日です」

 レジでお会計を済ませたが再び謙也のところへ戻ってきた。ひとつの袋を差し出され、謙也は条件反射的にそれを受け取ると予想以上に重くてやたらとホッとするようなニオイが鼻腔をくすぐってきた。そして、に言われて初めて今日が自分の誕生日だということに気づく。誕生日を迎えた0時の瞬間、おそらく身にもならないであろうレポートをひたすら書いていたのかと思うと項垂れたくもなるが、おでんの熱さがすこしだけそんな感情を溶かしてくれたような気もした。

「せやけど、普通は誕生日ちゅうたらケーキとかやろ。しかも朝やで…」
「ケーキとおでん、どっちが良かった?」
「そら…おでんかもしれへんけど」
「ほらね!わたしってば本当謙也のこと良く分かってる!」

 春のたんぽぽみたいなやわらかい表情で得意気な様子を見せるが、やっぱり好きだと謙也は思ってしまった。もちろん、後輩から奪おうなんて気も更々ない。けれど、同時にこのままで良いのだろうかという矛盾がぐるぐると脳内を這いずりまわり交錯する。どちらかの答えに辿りついても、謙也が何かをしたことは今までにない。
 陽気なメロディ音が鳴り、同時にコンビニの扉が開く。現れたのは財前だった。

「やっぱここにおった。あ、謙也さんもおる」
「財前、お前寝癖ついとるで」
「あれ、光くんどうしたの?」
さん、定期忘れとったから急いで追っかけて来たんや」
「うそ?!あ、本当だ…ありがとう」
「謙也さんは朝っぱらからどないしたんですか?」
「徹夜明けやったから眠気覚ましにぶらっと散歩しとったんや」
「っていうか、目覚ますより早く帰って寝た方が良いんじゃない?」
「…せやな」
「あ、さん。ついでやから駅まで送ります」

 3人で聞き慣れたメロディが鳴るドアを抜け、コンビニから出ると「じゃあまた大学で」と言ってと財前は駅の方へ向かう。
 もう慣れてるはずだった。3人で同じ空間にいることなんて、やたらと酸素が薄くて息苦しくなるようなこの感覚なんて、謙也は慣れているはずだった。なのに、いつもと少し違う行動を取ろうと思ったのは、誕生日というきっかけが生んだ過ちだったのだろうか。

「ちょお待て」

 ふたりを静止させた謙也のこころは、驚くほど静かだった。ぐちゃぐちゃした醜い感情なんて、とっくに捨てている。おでんが入ったコンビニ袋を持つ指にすこしだけ力を入れると、ビニールがこすれる音がしてまだ少し冷たい風の音と重なった。

、やっぱお前なんも分かっとらん」

 その声が少し震えていたのに気づいたのは、おそらく財前だけ。謙也本人も自覚はしていない。必死で言葉を紡ごうとする男の姿を一生懸命だと純粋に捉えるか、見苦しいと憐れむかは人それぞれであるが、謙也にとってはそんな事どうでも良いと思えるくらい、今はへの想いでいっぱいだった。もし最初から想いを伝えることが出来ていたら、どんな結果であれこんなにも心臓が蝕まれ、胸が締めつけられるような想いをしていないだろう。けれど、溢れるような想いはいつも寸前のところでブレーキをかけるみたいにストップする。

「俺はおでんのすじ肉が好きなんや」
「…え?何て?」
「牛すじが入っとらん!」
「いや、ワガママ言うな!」

 結局、ひとつ年を重ねても謙也は昨日と何も変わらない、変われない。今ここで3人の関係を壊すくらいなら自分の想いを壊していく方が良いと考えたのだ。世の中のシステムみたく、時期が来たらいつかこの胸に忍ばせたくるしい恋から卒業出来る日が来るのだろうか。

 駅へと向かうふたりの後ろ姿を、謙也はぼんやりと眺める。朝の陽の光がスポットライトみたいに自分ではないふたりをやさしく照らしていた。
 蕾にもならないひとつの想いが瞳孔から零れ落ちそうになったのは、きっと太陽が明るすぎたせいだと謙也は思う。息の根をとめるようなこの日差しが、どうしようもなく眩しくて仕方ないのだから。





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