理由という答えのようなものが無いと、形の無い感情だとか行動だとか関係だとかが何れ失くなってしまったときに納得出来ない気がして、すぐに「〜だから」という解答を求めてしまう自分がいることを、わたしは知っている。例えば今、テーブルの上に手持ちのハンドクリームを並べて今日はどれにしようかと悩んでいるけど、それは手がものすごく乾燥しているからだ。香りが良いもの、見た目がかわいいもの、保湿に優れたもの。自分で買ったものだったりプレゼントで貰ったり、たくさん。乾燥しているからと思って塗ろうと思ったハンドクリームだけど、夜ごはんも食べ終わってリラックスタイムの今にちょうど良い、花の香りがするハンドクリームを塗ることにした。そう、元々のきっかけなんてあっという間に忘れるから、理由なんて必要ないことも多々ある。
「ええニオイすんなぁ」
ちょうどお風呂から上がってきた信介くんが髪をタオルでわしゃわしゃ吹きながらやってきて、後ろのローソファーに腰掛けた。鏡も見ず、あっという間にドライヤーで髪が乾く信介くんが羨ましい。でも「の髪はキレイやな」って前に信介くんが頭を撫でながら言ってくれたから、わたしは多分しばらく髪を伸ばし続けてしまう。そう、単純な女なんです、わたしは。そんなどうでもいいことを頭の中で思っていると、いつの間にか信介くんの腕がお腹に回されていて、後ろから抱っこされてるみたいになる。信介くんの髪からシャンプーの良い香りがして、ハンドクリームの香りとレイヤリングしてるみたいにバランス良く重なってうっとりしそうになった。
「手、乾燥しとるん?」
「うん、この時期だしすぐカサカサになっちゃうから」
急に近づいた距離にすぐ順応できず自分の心臓がとてもうるさい。あまり耳元でしゃべらないで欲しいな、なんて言えないくらい自分の身体が熱いのがわかる。いやいや、きっとお風呂あがりの信介くんの身体が熱いんだ、そうに違いない。ハンドクリームなんてもうとっくの前に塗り終わってるくせに、両手の指を動かしたり擦り合わせたりしてそんな自分を必死に誤魔化す。でもきっと何もかもお見通しなんだろう。そんなわたしの指を撫でるように上から手を重ねられて、お互いの指ががぎゅっと縫いつけられるように握られた。信介くんの指の関節、ゴツゴツしてて好きだなあなんて。
「そらかわいそうやな」
100歩譲って握られている右手は良しとしよう。しかし信介くんの左手はどこにあるかというと相変わらずわたしのお腹にある。ただ手をやさしく乗せられているだけ。がっちり掴まれてるわけではないのに身体が固まったみたいに微動だにすることも出来ず、触れられている部分とは反対に逃がさないという圧をどこからか微かに感じる。
「あの、お腹あまり触らないで…」
「嫌なん?」
「嫌とかじゃなくて、ゴハン食べたばっかでお腹出てるから…」
たくさんの恥ずかしいが幾重にも重なって、今すぐここから脱出したいのに多分きっと出来ない。信介くんが今、どんな顔をしているかなんて見えないから全然分からないけど、ちいさい笑い声が耳に落とされたのは分かった。「全然出とらんよ」なんて言いながらお腹を撫でたりポンポンされるものだから余計に恥ずかしくなる。そりゃあ信介くんは食べても全然お腹出ないし良いよね、って言おうと思ったけど「鍛えとるからな」って言われるだけな気がして何も言えなくなってしまった。その間もずっと右手はにぎにぎしてくるし、左手はお腹や腰を撫でるように触れてくるし、でもやめてよとも言えないしで、結局ひとり動けないだけ。
「耳真っ赤やで」
「い、言わないでよ」
「かわええなと思ってな、つい」
「…今日どうしたの?」
隙間なんて存在するのかなっていうくらいふたりの距離はゼロ。日常になりつつあるその距離感が嬉しくてたまらないけど、もしかしたら何時か失くなってしまうものなのかなと思うと同時にすごくかなしくてさみしくて。特に信介くんとのことはいつも何かにつけて理由を探してしまう癖がある。「なんで?」「どうして?」と常に聞きたくなっては我慢するけど、たまに言葉が明確な答えを求めに勝手に飛び出してしまう。
「理由もなく俺がくっついたらあかんの?」
いつもと違って少しあまえた感じなのもそうだけど、予想外の返答にも少し驚いた。別に自分の中で答えを用意していたわけじゃないけど、理由がないことが嬉しいと思う自分に何よりびっくりした。目から鱗というかなんというか、今まで頑なだった価値観のようなものが解けた感覚さえある。
もうこういうのが当たり前になっているのが嬉しくて、首を横にふるふるするだけで答えると、お腹に回されていた腕がぎゅーっとしまって余計に体温が上がってしまう。少し首を動かしたら、ふと信介くんのくちびるがわたしの耳に触れて、身体が反射的にピクッとなってしまった。ゆっくりと首を傾け、信介くんの顔を見ると「あ、確信犯だな」ってこの時になってようやく分かった。
「信介くん、意地悪…」
「今更やろ」
くちびるにふわりとキスを落とされて、それじゃあ足りないと縋ってしまったことに理由もなければ、信介くんがそれに応えてくれることに理由なんてもう求めない。今はただ、このひとときにやさしく包まれるだけ。
