白いチョークで書かれたその文字の通り、大人しく自習しているのはクラスの1/3程度。ゲームやスマホ、友達と喋ってるのが1/3、残りの1/3は寝てたりどこかへ行ったのか席にいなかったり。仁王は寝てるのかと思ったら、いつの間にかどこかへ行ったようで席にはいなかった。俺はというと、近くの席の連中と盛り上がりそうなところを「トイレに行ってくる」と適当に言って抜けてきた。何となく、ただ何となく周りのバカ騒ぎから離れて一人になりたいと思った。
教室を出て、やたらと静かな階段を上って屋上へやって来た。普段は昼休みくらいにしか行かないため、こんなに静かな屋上は初めてかもしれない。別に教室が息苦しく感じるわけじゃないけど、屋上の扉を開けた時の解放感が何とも言えない感じで好きだった。限られた天井なんて存在しないどこまでも続く青空と、屋上から見える緑色のテニスコートの色合いが妙に落ち着く。もちろん、他のクラスや学年は授業中だから今は屋上にもコートにも人は見当たらない。この非日常のような時間は新鮮に感じられた。
「あれ、丸井くん?」
いつものように風船ガムを膨らましながら扉を開けると、奥の方から澄んだ声が聞こえた。どうやらひとりではなかったらしい。けど、特に厭わしいなどと思うことは一切無かった。手すりにくつろぐように寄りかかりながら頬杖をついていたのは、同じクラスのだった。ゆるやかな風での髪が少し揺れて、耳に髪をかけるその手つきがやたらと大人っぽく見えたような気がして足が少し躊躇する。不思議そうにこちらを見ているの顔を見て、夢から覚めたようにハッとしての近くに移動した。
とは特に仲が良いというわけではない。仁王の隣の席ということもあってたまに喋ることはあるけど、あとは軽い挨拶くらいだろうか。こうして1対1で喋るのは初めてな気がする。実は言うと、俺はのことが以前から少しだけ気になっていた。好きとかそう言うんじゃなくて、ただ同級生離れした落ち着きとの持つ雰囲気が、少しだけ俺の心をくすぐってついつい目で追う事が多くなっていた気がする。
「そういえば丸井くんってテニス部だっけ?」
「何だよ、急に」
「テニスコート見てたら丸井くんが来たから。確かうちのテニス部って強いんだよね?」
「まーな」
「ねえ、テニスって楽しい?」
お気に入りの風船ガムがパチンと割れた。虚をつかれた質問には、純粋な好奇心と疑問がつめられていたように思う。単純なようで深い質問というのは、答えるのが難しい。あんまり深く考えたことはなかったけど、あんなに練習がキツくても続けてるってことは楽しいこともあるからやってるんだと思う。今日の青空に広がる雲よりふわふわした答えを告げれば、の「ふーん」という言葉は風に乗るように小さくなって消えていった。何故そんなことを聞くのかと逆に問えば少しの間が空き、躊躇いがちにポツリポツリと語り始めた。
「丸井くんが羨ましいなって思って」
「俺が?」
「だって、わたし夢中になれるものなんて、何もないんだもん」
きっと同級生の女子と言えば、が言うように部活に夢中になったり、恋愛に夢中になったり、好きなアイドルの話で盛り上がったり。休み時間の度に、教室の中で女子数人の集団が盛り上がっているのを日常的に見かける気がする。けど、よくよく思い返すとのそういう姿はあまり見たことがない。は帰宅部だった気がするけど、友達だって少なくはないし休み時間なんかには数人で集まって賑やかそうに話していたりもする。ただ、その時のは盛り上がっているというよりは、友達の話を静かに聞いて楽しんでいるという印象が強い。でも、嫌々で聞いているというわけでもなく、いつも楽しそうに過ごしていると思う。大人っぽく見えたが、こんなことで悩んでるなんて意外だった。
「仁王くんに部活行こうって言ってる丸井くん、いつも楽しそうだなって思う」
「そーか?行きたくねー時もあるけど」
「それでもちゃんと行ってるんでしょ?」
「だって教室では楽しそうに見えるけどな」
「楽しいよ。でも、わたしもみんなみたいに何かに夢中になりたい」
様々な思考を巡らせているであろう中、その凛とした声音とまっすぐ伸びた華奢な背中は強い意志を表しているかのようだった。の横顔は、何かを見つけたいという希望と答えがなかなか見つからないという憂いの両方を持っていて、俺はどうしてか分からないけど妙に惹かれた。「ずっと何かに夢中になりたいって考えてるんだけど、なかなか自分の中の答えが見つからないんだよね」と呟いたに、正直何を言ってあげれば良いのか分からない。いくら頭で考えても、どこにでもありふれてるようなつまらない言葉しか出て来ない。
「じゃあ今度試合見に来いよ」
「え?試合ってテニスの?」
「そう」
正直「何で?」と聞かれたら俺自身うまく答えられない。自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からないんだから。― 答えが分からないのは、俺だって同じだ。
「答え、そこにある?」
「…さぁな。それはお前次第だろ」
皮膚に妙な緊張感が突き刺さる。けど、不思議と心地は悪くなくて穏やかな風の音がやたらとクリアに聞こえるほど心は落ち着いている。「そっかあ」と悩むように呟いたくせに、の口元は笑みが浮かんでいた。まるで、これから冒険に行くこどもみたいに無邪気な表情で、普段の大人っぽさは欠片も見えない。こんな表情もするのかと、またひとつの新しい一面を知った。
「じゃあ、応援しに行くよ」
「え?」
「だって、丸井くんがわたしを夢中にさせてくれるんでしょ?」
目を丸くしてるであろう俺の顔を見て、は太陽よりも眩しく微笑んだ。俺の心臓がびっくりしてる。けど、一息ついて俺も無意識に笑みがこぼれた。
どうやらと俺の答えは同じだったらしい。
