洋服を選ぶみたいにどれにしようかなと、かわいらしかったりスタイリッシュな小瓶たちに指をかける。桜みたいなベビーピンクの小瓶を取り、蓋を開けるとマニキュア特有のツンとしたニオイが鼻腔を刺激した。決して良いものではないけれど、自分のキレイとは言い切れない爪も少しばかりは良く見えるような気がして、学校が休みの度にネイルを塗り替えている。背中に感じるあたたかさと肩に乗る重みが少し鬱陶しくも感じるけど、そんな障害は無視して自分の指先に集中する。

「暇、眠い〜」
「あと少しだからちょっと待ってて」
「終わったらちゅーして」
「ええ〜」
「じゃあ今ちゅーして良い?」
「なんでそうなるの」
「だってオレ暇だもん」

 ちいさい子どもみたいに不満を言いつつも、なんだかんだ見守ってくれる。自分が興味無いことには一切何も示さないくせに、例えばわたしがファンション雑誌を読んでるときは今みたいに後ろから抱きついてきて「これに似合いそう」とか言うし、歌番組でお気に入りの男性グループが出てカッコイイとか言うと「は?」って少し怒ってくる。普段雑誌やテレビを読んだり観たりするの?と聞けば興味無いと言ってくるから、わたしといっしょにいる時にしか見る機会が無いらしい。

「出来た、どう?かわいい?」
「うん、かわいーって言ってるがかわいい」
「爪を見て欲しかったんだけど」

 わたしに対して思ったことは何でも素直に言ってくれるから、ちょっと前までは「かわいい」とか「好き」とか言われると恥ずかしくなってしまうわたしがいた。けど、慣れってこわい。わたしの心臓をくすぐっていたそのあまい言葉たちは、今では「眠い」と口癖のように言ってくる言葉と大して変わらない。
 ちゃんと爪も見て、と言うと更にぐっと近づく距離感。万次郎の髪が首筋に当たってくすぐったい。スッと後ろから手が伸びてきて、わたしの手首を取り青白い血管を辿って指まで上へ上へとゆっくり触れる。わたしよりすごく背が高いというわけでもないのに紛れもなくゴツゴツとしたその手は、わたしの手をすっぽり包み込み、爪先に触れないように指をそっと撫でてきた。

「オレ、の爪っていうか手すき」
「え、何で?」
「なんか触りたくなるから」

 指と指の間を上から縫うように絡ませた手は、まるでひとつになったみたい。家では家事を手伝ったりもするから爪は短いし手は荒れるし、ネイルを塗らないとわざわざ見たいとは思わない自分の手。でも、万次郎はいつもびっくりするくらいやさしく触れてくれるから、わたしの手そんなに悪くなのかもと少し自惚れてしまう。わたしが照れたのが分かったのか、耳へリップ音が響くように頬にキスをされると体温が上昇してしまう。そんな感情を誤魔化すように「じゃあ乾かすまでもうちょっと待ってね」と言うと子どもみたいにまた文句を言う。でも、なんだかんだいつも付き合ってくれる事をわたしは知っている。

「え、1時間も手使えねーの?」
「うん」
「ふーん」
「…いや、無理。かわいく出来たから絶対崩したくない無理」
「まだ何も言ってねーけど」

 首をぐいっと万次郎の方に向けられそうになったので、必死に首に力を入れて抵抗する。不満そうな表情を一瞬見せたけど、すぐにいつもの笑みに戻って耳朶をやさしく噛まれた。驚いた隙を狙うかのように後頭部を固定されて、長めのくちづけが理性を緩慢と奪っていく。いつもなら万次郎の服を掴むなりなんなり出来るけど、普段出来ない行動が少し制限されるだけでこんなにも鼓動が速くなってしまった。何もできないわたしの頬を撫でて、火照ったくちびるを親指でぷにぷにと押してくる。

「すげー、手パーなの絶対崩さないじゃん」
「まだ乾いてないからネイルが崩れる」
「じゃあやめて良いの?」

 今度はくちべにを塗るみたいに指でその輪郭を縁取るように撫でてくるから「…もっとして」って頑張って言ったのに「え?聞こえない」と意地悪な笑みを浮かべて楽しそうにしている。口をへの字にしていると「かわいい」って言われて、もうその言葉にはときめかないと思っていたのに不意にドキドキしてしまった。おそらくいつもより少し低い声とたまに見せてくるあまったるい表情のせいだ。
 短いキスのあとに続いた朦朧とするくちづけに、このまま秒針が止まってしまっても良いとさえ思ってしまう。縋るように伸ばしてしまった行き場のないかわいそうな手が、爪に触れないようにやさしく結ばれた。