中学生の時、生まれて初めて自分から好きになった女の子がいる。あの頃からそれなりに恋多き少年だった俺は同じクラスになったある女の子を見た瞬間、言葉では形容出来ない程の衝撃に襲われ、少年ながらに今までの恋は恋なんかではなかったのだと、雷に撃たれたような感覚が身体に走った。それからの俺はそれはもう、彼女を振り向かせようと意気揚々とする日々。けれど、周囲の誰にも気づかれないようにゆっくり静かに。一言二言会話するだけでもその度に惹かれて、彼女に恋をしたことで初めて生まれる新しい感情が、とにかく楽しくて仕方なかった。
しかしある日、衝撃的なワンシーンを目撃する事になる。あれは忘れもしない中二のバレンタインデー。靴箱、机の中、ロッカー、そして俺の両手には抱えきれないほどのチョコの山。どれも可愛らしくラッピングされたそれらは、もちろん嬉しいことには変わりないけれど、一番欲しいものはこの中にはまだ無いあの子からのチョコ。彼女からチョコを貰えたらどうやって受け取ろうかな、何て言おうかなと考えてたくらいだった。そんなお花畑みたいなお気楽な頭で、残り僅かな今日をそわそわしながら廊下を歩いている途中に遭遇してしまった悲劇。普段はあまり人気がない、屋上へと続く階段。そこから聞き慣れた名前が聞こえた。「岩泉くん」と。もしかして、と思ってこっそり覗いてみると何と岩ちゃんが女の子からチョコを貰っていた。岩ちゃんがモテてる!あとでからかってやろうとしばらく覗いていると、震える手で岩ちゃんにチョコを渡している女の子は、何と俺が生まれ初めて恋をしたあの子だった。耳を塞ぐことも瞼を閉じることも敵わず、すべての動きが静止したように感じたことを今でも鮮明に覚えている。
「あ、及川くんだ」
「あれーちゃん。遅くない?どうしたの?」
「一くんと帰る約束してて、図書室で時間潰してたんだ」
「ふーん…」
「及川くんは?もしかしてまた女の子に告白されてたとか?」
「そうだったら良いんだけどね〜。進路指導室寄ってたら遅くなっちゃっただけ」
消え入りそうなほど儚い夕陽なのに、彷徨っている雲は輪郭が鮮明に浮き出ているように見えるほど眩しいオレンジ色の空。そんなグラデーションがかった空を見上げながら帰宅しようと校門へ向かうと、同じく校門へ向かうと出会った。そう、彼女が俺の真の初恋の相手。そして、岩ちゃんの彼女。
バレンタインのあの日、あの場面で俺の初恋は終了…してくれたらどんなに良かっただろうか。恋とは不思議なもので、人を好きになるのも難しければ、一度好きになった相手を嫌いになるのも難しい。おまけに岩ちゃんと彼女、はあの日を境に恋人同士になってしまったというのに、俺は決して手に入れることが出来ないその影を未だにひとり追っている。偶然なのか必然だったのかは分からないけど高校の3年間まで一緒。全く望んではいない「彼氏の友達」というポジションのおかげで成り立つ友人関係になってしまった。ふたりが仲良く並んで歩いているところだって必然的に視界の端にとらえてしまう。自分が入る隙間なんて、一ミリもない。だからと言って、ふたりの仲を引き裂く気も更々無い。岩ちゃんは俺の友達だし、岩ちゃんが悲しむところは見たくない。もちろん、が傷つく姿も見たくない。ああ、なんだ。やっぱり今のままで良いのか。俺ひとり、哀感を漂わせて感傷に浸っていれば良いんだ。なんて、自己犠牲を勝手に美化する毎日。
「じゃあ、私先行くね」
「ああ、ちょっと待って」
練習の無い月曜日が嫌いだ。望んでもいないツーショットに遭遇する確率が格段に上がる。今、こうして彼女と話している時間は俺にとってかけがえの無いしあわせな時間のひとつで。それが例え他の男の話題だろうと、俺の記憶には確かに刻まれる大事な時間。けれど、秒針を刻む度に俺の心を蝕む諸刃の剣のようでもある。せめて、俺の気持ちに勝手に気づいて勝手に困ってくれれば良いのに、なんて狡猾な感情さえ芽生えてしまいそうになる。
髪を揺らしながら去ろうとするの腕を掴んで引き止めた。驚いて俺を見上げる顔も可愛い、そんなことを思いながら下心ありの邪な気持ちでの前髪にそっと指を伸ばす。
「せっかく可愛いのに、前髪が乱れてるよ」
「え…あっ」
「女の子なんだから、彼の前では可愛くいたいでしょ?」
さらさらで滑らかなの前髪を撫でながら整えてあげる。岩ちゃんはきっと毎日この子の髪に触れることが出来て、上目遣いで見てくるその双眸を見つめて、少しだけ開いた隙だらけの無防備なこのピンクのくちびるをとらえてお互いの熱を共有するんだろうな、なんて。邪にも程があるだろうか。俺がそんなこと考えてるなんて微塵も思わないは「ありがとう、流石及川くんだね」なんて全然何も分かってないことを暢気に言う。純粋無垢、それは時に人を傷つける凶器になる。まぁこっちが勝手に傷ついてるだけなんだけど。
「オイ」
「あ、一くん!」
そしてこれまた絶妙なタイミングで騎士が俺の後ろから登場してきた。多分岩ちゃんの呼びかけの声が無くても、岩ちゃんの姿に気づいたの頬がほんのり紅潮して、夕陽に負けないくらい眩しい明るさを灯らせたこの表情を見たら、俺は後ろに岩ちゃんがいるとすぐ気づくんだと思う。をずっと見てきたからこそ気づいてしまう変化。皮肉なことこの上ない。それにしても「一体何年付き合ってんの?」って言いたくなるくらいまだ純情なふたり。片思いならまだしも、長年付き合ってる彼氏見つけて頬染めるって、今時中学生だってきっと無い。呆れてるのか、羨ましいのか、そんなことさえも分からない。だから必死に張り付けた笑顔の仮面で、心の底に在る感情を誤魔化す。
「岩ちゃん、そんなに睨むと眉間に皺ついて取れなくなるよ」
「、そいつから離れろ今すぐ。バカがうつる」
「ひどい!岩ちゃんの方がバカなのに!」
そんな俺たちのやり取りをくすくすと笑いながら見守る声が耳に入って、楽しそうにくちびるの端を上げるを見ると少しだけ場が和む。そう感じたのはきっと岩ちゃんだけ。俺からしたらその微笑みは俺の心臓にとどめをさす以外の何ものでもない。だって、その笑顔は俺じゃなくて岩ちゃんに向けられているんだから。
「本当にふたりって仲いいよね」
「仲良くねーよ」
「岩ちゃん、素直になりなよ」
「お前が言うな」
「私が嫉妬しそうになっちゃうくらいだよ」
ほら、そうやってまた意味の分からないことを笑いながら言う。岩ちゃんも「馬鹿言ってんじゃねーよ」って顔赤くして意味分からないこと言ってる。目の前で繰り広げられている会話な筈なのにどこか虚ろで、遠くの方でふたりの馬鹿みたいな会話がこだまのように小さく鳴り響いたように感じた。嫉妬ってもしかしてが俺に?俺はもうずっと、何年も岩ちゃんに嫉妬してきたっていうのに。おまけにそれを言葉にすることも出来ず口の中で噛み砕いて粉々になった惨めな感情を飲み込んでいるというのに、さらりと笑顔でそんなこと言えるなんて。嫉妬っていうのはね、どろどろでぐちゃぐちゃのみっともない感情の塊なんだよ。分かってる?そんな爽やかに言えるもんじゃないんだよ。
「及川くん、これからも一くんのことよろしくね」
「逆だろ、俺が及川によろしくされんのかよ」
もしかしたら俺はアカデミー俳優になれるんじゃないだろうか。だってふたりの前でこの醜い感情を出さずに、笑っていられるんだから。いつまでこのラブロマンス物語を見せられるのだろう。もう分かった、分かってるから。ふたりがしあわせなことくらい。けど、ふたりは分かってないんだろうな。ふたりがしあわせな時間を過ごしている間、俺の心の中は土砂降りで少しずつ水が溜まっていくような感覚に襲われて、窒息しそうになってることなんか。
「だって、及川くん以上に信頼出来る人もなかなかいないもん」
ああ、本当に嫌だ。こんなに残酷な言葉を吐くのことがそれでもこんなに好きだなんて。
しばらく話したあと「寄るところがあるから」とふたりと分かれ反対の方向へ進む。数歩進んだところで振り返ると指と指を絡ませながら談笑しているふたり。長年蓄積されてきた水が、喉まで上昇してきている。これ以上ふたりを見ないようにと視線を下に移すと、地面が濡れていた。雨でも降ってきたのかと思ったけど、そうではない。俺の足元にだけ、小さいキレイな円が描かれている。
ーどうせならのところに落ちれば良いのに。そんなバカなことを考えた俺の頬は濡れてはいない。ただ胸に秘めていたこの想いが、窮屈な世界に広がる地面を静かに滲ませただけだ。

<企画サイト「泣きたい。」様へ提出させて頂きました。>