「す〜は〜」
「落ち着くっス、!」
「う、うううううん」
「(こりゃダメっスね)」


普段は割と綺麗な台所。お味噌汁や焼き魚の匂いなど家庭的な匂いが広がるいつもの台所と違い、今日は滅多に感じることの出来ない 甘い匂いが広がっている。台所の机の上には茶色い液体のようなものが所々散らばっており、このまま放っておくと蟻さんが来てしまう のでは?とは思いつつも、それどころではない興奮が勝っている。は何とかして作った愛情いっぱいの固形物を丁寧に包むとゆっくり深呼吸をした。


「よ、よし!準備オッケー」
「あとは心の準備だけっスね」
「!あわわわわ!それを言われると・・・」
「落ち着くっス!ただチョコ渡すだけじゃないっスか」
「そうなんだよね、そうなんだけれども!」


深呼吸をしたものの、すぐに緊張と焦りの気持ちが沸騰してくる。来島また子は、それを見兼ねて何度も落ち着くようにアドバイスを しているが、一向に落ち着く気配がない。は単純にその大事に包まれた茶色い固形物、つまりチョコレートを恋人に贈ろうとして いるだけなのに。何も初めて物を贈るわけではないし、そもそも恋人に贈るのだから、そんなに緊張する必要なんてないのではないか? とまた子は思うのだが、あまりに緊張しているの前では何も言えない。


「何をしているでござるか?」
「あ!万済さん!」
「ちょうど良いとこに来たっス」
「はい、これ。また子ちゃんと私から」
「ほう。そういえば今日はバレンタインデーでござるな」
「一応うちらの手作りなんスよ!」
「ありがたく頂くでござる」


甘い匂いを嗅ぎ付けてきたであろう河上万済が台所を覗きにきた。タイミングが良いと言わんばかりに、万済に渡す予定だったチョコを 2人で渡した。とまた子は日頃のお礼も兼ねて何人かに義理用にチョコを作っていたのだ。「あと渡すのは武市さんとー・・・」 「武市変態先輩は別に良いんじゃないっスか」なんて会話をしている時に、また子はふと思った。


「つーか!」
「えっ!何、また子ちゃん?」
「万済先輩にはあっさりチョコ渡せてるじゃないっスか!」
「あ・・・そうだね!」
「それがどうして晋助様だとすぐに緊張しちゃうんスか!」
「えっ・・・あっ、う・・・また緊張してきた!」
「何だ、晋助にまだあげてなかったのでござるか?」
「さっきからこの調子で全然ダメなんスよ」
「ふむ。悲しいが愛情の違いということでござるな」
「ど・・・どうしよう!」
「悩んでてもしょうがないっス!女は度胸!」
「ええ!?」
「何を今更・・・さっさと渡してしまったほうが良いでござる」


半ば無理矢理といった感じで、また子はの背中を押した。丁寧に包まれたチョコを両手でぎゅっと持ち、しばらく下を見ていた だがついに勇気を出し、一歩前へ進んだ。ここまで一緒にやってくれて応援してくれたまた子ちゃんのためにも、何だかんだで応援して くれる万済さんのためにも頑張らなきゃ!という決意表明をし、2人に「行ってくるね!」と伝え、は高杉晋助のいる部屋へと向かうのだ。

そんなを送り出したまた子と万済だが、やはり心配である。あれだけ頑張ってチョコを作り、あれだけ頑張って渡す勇気を振り絞っ たのだから、その頑張りが実らないほど可哀相なことはない。「もしもの時」、何てことはまず高杉に限ってないだろうが、が緊張し すぎて結局渡せなくなってしまう可能性は若干だがある。そんなもしもの時に何とかしてあげなければ、と2人は同時に思い、顔を見合 わせのあとをついていくことにした。


「晋助さーん、失礼しまーす・・・」


は緊張しながらも高杉がいる部屋まで来た。そして、持っていたチョコを着ている着物の胸元に隠し部屋の中にいるであろう高杉に声をかける。 とは言っても高杉から返事はない。しかし、返事がないことは毎回なのでも気にせず部屋へ入る。襖を開けると、高杉が片膝を 立てて座っており、何か本のようなものを読んでいたのが目に見えた。改めて高杉の姿を見たは余計緊張し、襖を開けた状態で固まってしまった。 勇気を振り絞ってきたものの、やはり本人を目の前にしてしまうとより緊張してしまう。


「・・・入んねェのかァ?」
「あっ・・・!すすすすみません!」


緊張しながら襖のところにいたら高杉に声をかけられたのでは少し慌てた。そんなとは対称的に高杉は書物に目を落としたまま落ち着いた様子でに声をかけた。は慌てて部屋の中に入り、高杉の傍へと移動した。高杉の横に座り、高杉が読んでいるであろう 書物を横から覗いてみたが、内容が難しそうでにはよく分からなかった。なのでそのまま高杉の横にいた。 この光景は珍しくない。大抵、は高杉と一緒にいる時は横に寄り添っているだけだ。もちろん会話を交わすこともあるが、ただ 静かに横に寄り添っている時もある。高杉の肩にもたれ掛かり、あまりの居心地の良さにそのまま眠ってしまうこともよくある。にとって高杉の横でのんびりしている時が、何よりも温かくて何よりも幸せであるのだ。

しかし、今日はそんな呑気なことをしている場合ではない。バレンタインデーという今日この日に高杉のために作ったチョコレートを 渡したいからだ。ただ、それ以前にの頭には疑問があった。それは、そもそも高杉はバレンタインデーという存在を知っているのだろうか? ということだ。世間の情勢には詳しそうには見えるが、知らない可能性は大いにある。いや、それよりもバレンタインデーという行事を知ってはいるが 嫌いというほうが余計困る。「んなモン興味ねぇよ」と軽く言われそうだ。それどころかチョコレートというものを食べてるところも 見たことはない。そんなことを考えるとの頭には不安しか浮かんで来なかった。


「し、晋助さん。あ、あの・・・バ・・・バ・・・」
「・・・・・」
「バ・・・バ・・・バイトでもしてみようかなーとか思わなかったり!」
「・・・どっちだよ。つーかどっちみちお前ドジだから無理だろ」
「あ、そ、そうですよね」


そうですよね・・・じゃなくて!とは内心思いながらも、極度の緊張からかそんなことはどうでも良かった。「バレンタイン」 と言いたいのに、なかなか言えない。「バ」までは言えたのだから、この続きを普通に言えば良いだけのこと。それなのに全く違うような ことを言ってしまうのは相手がやっぱり晋助さんだからだろうか、とも気づいた。ただ、それと同時に本に夢中な素振りをしているのにも関わらず、 ちゃんと自分の話を聞いていてくれてることが嬉しい、なんて一人でうっとりもしていたりした。しかし、すぐにそのうっとりしている 時間は飛び、再び「バレンタイン」という言葉を言うことに専念した。もうチョコレートを渡すのではなく「バレンタイン」と言えるか どうかのような状況になっている。


「し、晋助さん。バ、バ、バレ・・・」
「・・・・・」
「バレーボールとかしてみたいですよね!」
「・・・・・」
「(、何言ってんスか!?)」
「(最早意味不明でござる)」


少しだけ空いてる襖からバレないように覗いているまた子と万済でさえも、ツッコミを入れたくなるほど今のは支離滅裂だった。 フォローしたいところだが、こればっかりは本人が頑張らないと意味がない。また子はちょいちょい「今っス!」などと 小声で言っているが当然には聞こえない。おそらく高杉は二人が覗いていることに気づいているだろうが、特にいつもと変わらずの 様子で過ごしている。また子と万済の二人はただ、が無事にチョコレートを渡すことを祈るだけしか出来なかった


「あ、あの、晋助さん!私・・・バ」
「おい」
「は、はいぃぃぃぃぃ!」
「さっきから何なんだよ」
「いやっ、そのですね、あの」

「は、はい!」
「お前、俺に渡してぇモンがあんだろーがァ」
「えっ・・・!」
「さっさと寄越しな」


、いや、また子と万済さえも驚いた。元々、勘の良い男ではあるがまさか高杉からそのような事を言ってくるとは思わなかったのだ。 は驚いて言葉も出ない。ただでさえ大きい瞳を瞬きもせず開けていて、数秒経ったあとに2回程瞬きをした。そんなの全く動こうとしない 雰囲気に苛立ったのか、高杉はへと手を伸ばした。


「きゃ!」
「出すならさっさと出しやがれ」
「どこ触ってるんですか!?」
「んなとこに入れてるからだろーがァ」
「だって他に隠し場所なかったんですもん」
「なんなら俺が取ってやろーか」
「なっ・・・!ダメです!」


の胸元を指の第2関節を使って扉をノックするかのように小突いた。は慌てて胸元をさっと隠した。胸に近いところを触られる のもそうだが、何より高杉にチョコレートを取られてしまっては意味がない。自分で渡したい、という強い気持ちを持っていた。 はおずおずと自分の着物の中に手を入れて、中からキレイに包まれたチョコレートを出した。そしてそれをしばらく見つめ、とうとう 勇気を振り絞る。


「し、晋助さん・・・どうぞお納め下さい」


両手で頭を下げながらスっと差し出す。その光景にまた子と万済は「殿に貢物を捧げる村人か」と思ったが、ここはお互い何も言わず ただただ見守る。高杉は静かに差し出されたものをじっと見つめていた。この間、およそ数秒であろう。しかしにはとてつもなく 長い時間に感じた。それは先ほどから不安に感じていた、もしも受け取ってくれなかったらどうしようという思いがあったからだ。 しかし、そんな不安は杞憂に変わり、高杉は片手で静かに受け取った。受け取ったのを感じると、はおそるおそる顔を上げ、 高杉を見た。高杉は意外にも丁寧に包装を剥がしていった。その動作にさえも思わずうっとりしてしまうのは惚気だろうか。まだ食べてもらっていないのに も関わらず、は少し感動していた。同時に傍で見守っていたまた子も「やったっスね!」と万済と喜びを分かち合っていた。


「あ、あの・・・もしお嫌いだったら食べなくても全然構いませんから!」


が作ったチョコレートはシンプルだった。ただ型に流し込んだだけのチョコレート。シンプルなほうが少しでも食べてもらえるかも しれないと思ったのだ。もちろん、美味しいなんて言ってもらうつもりはない。ただ、日頃の感謝の気持ちを伝えたかっただけ。 だから受け取ってもらえればほぼ満足だった。


「あっ・・・!」


しかし、高杉はの作ったチョコレートを口に入れた。食べているところを見ると、嫌いではないのだろうか。吐き出されたりして いないということは、不味くはない・・・というところだろうか。は高杉が何かを言ってくれるのを待っているが、高杉は食べて いるだけで何も言わない。食べてくれなくても受け取ってもらえれば、それで幸せ!と思っていたであるから、何も言わなくてもそこまで不安はない。しかし、ようやく高杉が口を開いた。


「おい!」
「は、はいいい!」
「お前じゃねーよ」
「え?」
「万済、襖閉めろ」
「え!?万済さん!?あ、また子ちゃんも!」
「し、失礼しましたっス・・・」
「・・・ごゆっくりでござる」


声を急にかけられた万済とまた子は一瞬ビクつき、すぐに高杉に言われた通り、襖を閉めた。はまさか万済とまた子が覗いているとは 知らなかったため「な、何であの2人が!?」などと慌てていたが、高杉はそんなには構わず、チョコを食べていた。は万済とまた子を追おうと立ち上がろうとしたが、それは高杉に腕を引っ張られ敵わなかった。 勢いよく引っ張られたせいかそのままバランスを崩し、高杉の胸元へと倒れこむ。


「きゃ・・・」
「おい、
「(わっ、近い)な、何でしょう?」
「褒美やらァ」
「えっ・・・んん!」


口内へと広がるその甘さが美味しさを物語っていた。とは言ってもは甘いものが好きだからかもしれないが、今まで食べてきた チョコより何倍も美味しいと感じてしまった。それは単にチョコレートの味なのか、高杉からの甘い口づけによってなのか定かではないが 広がるチョコレートに酔いしれてしまいそうなのだ。きゅ、と高杉の着物を掴むの手を包むように手を重ねてくれる高杉に は優しさを感じながら溶けていく。 ようやく甘さから解放され、はすっかりとろけそうな目で高杉を見ると、ますます妖艶に笑っている高杉が見えた。「あ・・・」 と小さく声を漏らせば、いつの間にか着物の合わせ目から侵入してきた高杉の手が動く。余計に甘い時間へと変わる合図が聞こえたのだった。








確かに漂った甘い香り
(バレンタインも悪くねぇなァ)




今回のテーマというかネタは「俺に渡してぇモンがあんだろーがァ」というセリフ。