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何処から来たのか分からない苦味が口内を浸食する。その苦さに顔を歪めれば、追い打ちをかけるかのように、 自分が今どれだけ 不細工な顔をしているかということも 嫌でも理解してしまう。自分が今、どれだけ汚い声をしているかということも理解している。そんな醜いだらけの 自分を、携帯の電話越しに曝け出しているなんて恥辱で仕方ないが、そうしなければこの想いは皹が入ってバラバ ラに砕けてしまいそうなほど、今の私は脆弱なのだ。 『っち、泣かないで』 静かな誰もいない体育館の外で、携帯の受話口から聞こえる声はかつてのチームメイトである涼太くんだ。久々に 聴いたかつての友人の声に安心したのか、それとも自分の話を聴いてくれた事に安心したのか、私は自分でも気づ かない間に涙を流していたらしい。涙を流せば自然と鼻水が出る。鼻水を啜るために不細工な音が鳴る。女の子の 涙に敏感な涼太くんは、すぐに私が泣いていると察したのだろう。けれども、泣かないでと言われて簡単に泣き止 む事が出来るなら、とっくにそうしている。そんな簡単に泣き止めるほど、私は器用じゃないのだ。 『ご、ごめ・・・っ』 『赤司っち、傍にいないんスか?』 『うん・・・今は監督とミーティングしてる』 『まぁ、傍にいたらっちがこんな状態なのに俺と話なんかさせないっスよね』 電話の受話口から渇いた笑い声が脳を掠める。しかし、今の私はその笑い声に反応出来るほど余裕なんてない。 何故なら私の涙の原因は、先ほど名前が出た赤司くんで、その名前が出ただけで声が震えてしまうくらいだからだ。・・・いや、 人のせいにするのは良くない。私が単に弱いからこんなに醜い感情を抱いてしまって、おまけに汚い顔まで作って しまうのだ。 だって「ただ寂しい」だなんて、理由にもならないような理由に縋って泣いているのだから。 中学の頃から帝光を引っ張って、常に忙しくしていた赤司くん。それは高校へ進学しても同じ。むしろもっと忙し くなったような気さえする。そのくせ相変わらず勉強は出来る。それでも彼には有無を言わせない余裕があるせい か、誰にも心配や不安を与えさせない。もちろん、私だって心配はしていない。何故なら「彼なら大丈夫」という 絶対の信用と信頼があるからだ。ただ、それでも、純粋に寂しいと思ってしまう。以前にも増して二人でいる時間は減ってしま った影響も大きい。それでも彼にとってバスケがどれだけ大事か理解はしているので、咎める気は全くない。 こうして自分が泣いて、それで終わりで良いと思ってる。 『そう、かな』 『赤司っちに言えば良いのに』 『そんな下らないこと・・・赤司くんに言えないよ』 『下らないって・・・』 「僕に言いたいことでもあるのか?」 「・・・え!?」 まるで、心臓をナイフで抉られたかのように感じるほど、私の胸がざわついた。背後に君臨するかのように赤司くんが 立っているのだ。色の違う双眼は私を静かに見下ろしている。驚きのあまり身体が硬直してしまい、遠くで涼太くん の『もしもし?』という音だけがスローモーションのように響く。けれども私がそれに反応することはなく、赤司くんに金縛りで もかけられたかのように身体が動かない。数秒間動かないでいると、赤司くんの腕が私へ伸び、手に持っていた 携帯を奪われるように取り上げられた。乱暴ではないけれど、私に畏怖を与えるのには充分だ。彼は電話を耳に当 て、涼太くんが何か言っているのを聞くとすぐに、邪魔な存在を強制的に排除するかのように電源ボタンを押した。 「あ・・・ミーティング終わった?」 「言いたいことはそれだけ?」 「え?」 「何か僕に言いたい事があるんじゃないのか?」 呼吸さえ赦されないようなその圧迫感に肺が押し潰されそうになる。何故、私が責められているような感覚を味わ されなきゃいけないのだろうか。しかし、だからと言って赤司くんを責める気にはならない。何故ならこれは完全 に私の問題で、私の弱さが起因しているのだから。けれども、心のどこかで彼に伝えたいという想いを潜めている のかもしれない。それでも必死に言葉を飲み込んで、嘘を吐いてでも隠し遠さなければいけないと思ってしまった のは無意識から生まれてしまった罪なのだろうか。 「そんなこと・・・」 「はっきり言え」 「・・・・・」 「僕を欺けられているとでも思ったのか?」 硬直しきっていた身体に体温が与えられ熱が上昇し出したのは、彼が私の腕を引っ張り抱き寄せてくれたからだろう。 頭を撫でてくれるその心地好いリズムが、私の心を潤してくれる。たったそれだけで、胸と目頭が熱くなるなんて、 何て馬鹿な女なのだろうか。赤司くんにそう思われるのが嫌で、その汚い顔を醜い感情と一緒に押し込むように 彼の胸へ埋め込んだ。彼のジャージに自分のその情けない涙が沁みを作っていく。色の濃くなったその部分に気づかない フリをして、彼の優しさに甘えてしまうなんて、情けないほど愚かな自分を自覚する。 「の考えてる事なんてわかるよ」 彼は私のことなんてお見通しなんだろう。今、こうして隠している顔の正体も、私が抱えていた無駄な寂しさも全 て理解しているのだ。それらを全て理解して、私に蔑みの言葉を掛けずただ受け入れてくれるのは、他の人には 到底理解されない、私だけが知っている彼の優しさだろう。 数秒経っただろうか、少しだけ距離に隙間が生まれる。 赤司くんは私の隠したくても隠せなかった、涙で不細工な顔を見ていつものように微笑した。涙が溜まった目頭に 赤司くんの唇が静かに触れると、その涙を私の代わりに飲み込んでくれたかのように思えた。 「泣きたいなら泣けば良い」 彼は泣いて良いと言う。涼太くんには「泣かないで」と言われた言葉を上書きするかのように言葉を降 り注ぐ。その泣いて良いという赦しの言葉は、不思議と私に安堵感を与えてくれた。今の現状を変えるのは難しい。 けれども、無理はしなくて良いと言ってくれてい るような気がして。涙を流したら今みたいに拭ってあげるから、と言われたような気がして、 重たくて仕方なかった心が宙を浮遊出来るようになったくらい、軽くなった気がした。 声を出さずにゆっくり頷くと、彼は満足したのか鮮やかに私の唇を誘拐する。 「但し、泣くなら僕の前でだけ泣け」 その言葉に私の意見なんて求めていなかったのだろう。私の言葉を聞かずに、むしろ奪うように塞がれ重ねられた 唇は、今日も彼によって泣かされる。 |
救った涙で
世界を潤す
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