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「全くもって成長しないな」 その凛とした声音は体育館に響いているようにさえ錯覚する。現実はバスケットボールを床へつくドリブル音や、 バッシュのスキール音、ボールがネットを潜る音、運動部らしい掛け声。この広い体育館内で音は数えきれないほど 多く溢れているのに。それでも脳に直接刺激を与えてくるかのように、彼の声は私の頭の頂上から爪先まで一本貫く ように響くのだ。 「中学の時からそうだ。確認はあれほどしろと言ったはずだが」 「・・・ごめんなさい」 そして凄まじい程の威圧感。バスケットボール選手としてはそんなに大きい身長ではないはずだが、不思議と見下ろ されている感覚を覚えてさせられる。例えば、かつてのチームメイトだった2mを有に越える紫原敦くんに見下ろさ れてたとしても、これほどの圧迫感は感じないだろう。これは赤司くんが持っている不思議な力だ。恋人という、他 の人より近く、甘えを許されるであろう存在の私に対しても、彼はお構いなしに私を刺すように責める。 「謝るだけなら誰だって出来る」 「・・・はい」 「僕がどうしろと言いたいのか・・・なら分かるね?」 最早、私の声は喉を通らず静かに鳴き沈んだ。こくりと頷くだけで精一杯であり、あまりの自分の情けなさから赤司 くんの双眼を見ることは、出来なかった。 確かに彼の言うように、私自身が悪く、赤司くんは間違ったことを何ひとつ言っていない。今週末の練習試合の予定 を、確認を怠ったせいでダブルブッキングしてしまったのだ。幸いにも片方の学校が日にちをズラしてくれるという ことで、何とか大事に成らずに済んだ。しかし、まだまだやることはある。落ち込んでいる暇があったらその分しっ かりと自分のやるべきことをやらなければいけない。赤司くんに促され、自己嫌悪などしている隙は一縷もなく、す ぐに自分の仕事へ取り組むことにした。 帝光の時からそうであったが、彼は監督やコーチなどという垣根を容易く超えて、常に大勢を束ねる立場にある。 そんな彼の隣に並ぶことを許されているのだから、せめて恥じない程度には自分を持ち続けていたい。けれどもいつ も失敗を繰り返してしまう。先ほど彼にも言われたように、私の失敗は昔から少なくなかった。何回も失敗をし、自 己嫌悪し、彼にお叱りを受け、また自己嫌悪するという悪循環からなかなか脱出出来ないようだ。 ********* どんなに落ち込んでも、時間は無情に過ぎる。限られた練習の時間を無駄にするわけにはもちろんいかず、私はあれ から集中して自分の仕事に取り組んだ。その甲斐あってか、その後は特に不測の事態は起こらず練習は夜空が見える 頃に終了した。軽い戸締まりをしてから、鍵を職員室へ戻し、着替えるために女子更衣室へ向かう。この暗く静かな 道程が最初は怖くて仕方なかったが、今ではもう慣れたものである。それよりも自分の愚かさの方が怖くて仕方ない。 重いドアを開け、冷たいロッカーを開けると同時に、五月蝿い溜息が零れてしまった。 「はぁ・・・」 けれども零れたのは溜息だけではない。滴が一粒、二粒。寧ろ、よくここまで我慢してくれたものだ。自分の涙腺を 褒めてやりたい。彼にあそこまで刺されるように言われたのは今日が初めてだった。もちろん彼は悪くない。けれど も、その圧力ある口調と自分の情けなさに、実は涙が出る一歩手前だったのである。ポロポロと床へ堕ちる涙を手 で乱暴に拭いながら、着替えを行う。少しだけぼんやりと霞む視界が煩わしい。 「何をしている」 「・・・え!?」 「いつもより遅いから様子を見に来た」 「あ、ごめっ・・・」 「ほら、早く」 いつの間に、いつからそこにいたのだろうか。更衣室のベンチに何食わぬ顔で腰を掛けて座っていたのは赤司くん本 人だった。 彼とは暗黙の了解と言うように、練習後は帰りを共にする。そもそも我が校のバスケ部に休みなんて稀に存在するも のでしかなく、二人きりという時間は帰り道のたった数十分に過ぎない。いつもは輝くようなその短い時間も、今日 は少しばかり空気が重く感じるだろう。 「赤司くん・・・いつから?」 「さっき」 「女子更衣室だよ?き、着替えてたら・・・」 「この時間まで残ってるのはくらいだろう」 「それはそうだけど・・・」 「それにの着替えなら問題ない」 問題なくない、という彼への反論は無残にも形に残らず口の中で散った。口許に微笑みを浮かべている彼は一体何を 思っているのだろうか。先ほど擦った目が少し痛い。もしかして泣いているところを見られてしまっただろうか。い や、赤司くんの座っているベンチには背を向けていたし、涙は床に染み込まず僅かな水たまりとしてしか存在してい ない。醜い鼻水を啜る音も出ていない。今のところ会話は普通に出来ているのだから、何事も普通にすれば良いのだ。 「お待た・・・」 「」 荷物を持って赤司くんの方へ振り向くと、まるで同時と言えるほどのタイミングで赤司くんが立ち上がった。そして 私の言葉を遮断するほど、深みのある音。私の名前を呼んでくれる彼はやっぱり愛おしい。けれども甘えてばかり もいられない。私が立派に一人でも立てなければ彼の傍にいることなんて許されないのだから。次に降って来る言葉 に怯え、体を強張らせていると、赤司くんの手が空気を撫でるようにゆっくり動く。 「おいで、慰めてあげるから」 珍しく手を差し出されたので何となく、反射的にその手を重ねると、少し力強く引っ張られた。彼の胸へダイブし、 温かさを感じる。予想外の言葉に躊躇いながらも、私からは疑問の言葉さえ出ることは敵わず、ただただ赤司くんの 胸の中に顔を埋める。こんなに近くにいれるのは久しぶりだと、そんな些細なことを実感するだけで、また涙が出そ うになる。そしてそんな脆い涙腺にまた悔しさを生む。 「泣いたのか?」 「・・・え!?」 「それで隠せてるつもり?目が赤い」 「う・・・」 「は本当に馬鹿だな」 でも、その言葉に練習中に感じた刺すような威圧感は全くない。言われているであろう言葉は大差ないが、この台詞 には自惚れかもしれないけれど、何となく愛を感じることが出来た。呆れつつも笑いながら言われたその言葉に、妙 な安堵感を覚えてしまい、すっかり弱くなってしまった私の涙腺は大粒の雨を静かに降らした。今度は不細工な鼻を 啜る音が無惨にも鳴ってしまい、頭上から彼独特の喉で鳴る静かな笑いが堕ちて来た。この笑いの時の彼は、何かを 楽しんでる時によく聴く気がする。 「ど、どうせ馬鹿だもん・・・ひっく」 「分かってるなら良い」 「うっ・・・ど、どうせ・・・っ」 「泣くほど悔しかった?」 「ううっ、ご、ごめんなさい・・・ひっく」 「良いよ。ちゃんと反省してるし、そのあとどうすべきかも分かってたみたいだし」 今までの我慢が一気に爆発したかのように、私は生温い涙とぐしゃぐしゃになった顔と汚い声で、赤司くんに縋り 付くように泣いてしまった。赤司くんはそんな私を怒るかと思いきや、意外にも優しく、心地好いリズムで頭を撫で てくれる。その行為がすごく嬉しいけれど、今はそんなことを言っている場合ではないので、彼の胸で小さく喚くこ とでごまかした。けれども、彼は私のそんな浅はかな欺きなどとっくに察知しているようで、わざと優しくしてくれ るのだ。全く、狡い人。 「今っ・・・今、泣いてるのは赤司くんのせいだも・・・ん」 「そんなことは知ってる」 「うっ・・・馬鹿っ・・・ん!?」 そして彼は私の涙を止める術も知っているのだ。甘さと熱さを与えられた私の唇は、あっという間に目頭に潜んだ温 度を越える。そしてそんな私の唇だけでなく、言葉や空気さえも奪うように彼の唇が私へと食らいつく。 「を慰めるのは僕の役目だからね」 彼の唇によって止められた涙は、また彼の愛によって与えられる。 |
渇くことを
拒絶する
冷たい水滴
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