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日々、バスケ部のマネージャーをする上で驕りなんてものはもちろん持ち合わせていないし、調子に乗っているつもりもない 。自分なりに神経を遣って毎日を過ごしているつもりだ。それでもやはり油断とい うものは存在するわけで。例えば天気が良くて日差しが気持ち良くて、とても過ごしやすければそれだけで嬉しくな ってしまう。体育館での競技に天候はあまり関係ないが、マネージャーである私にとってはとても重要な要素のひと つである。洗濯物が早く乾けば乾くほど、私の仕事は捗るのだから。けれども、そんな感情を抱いてしまうことが既に 私にとっては油断だったのかもしれない。 今日は快晴。部員が奏でるボールをドリブルする音をBGMにしながら、洗濯をしようと外へ向かうつもりだった。 しかし、あまりの天気の良さに心が高揚し鼻歌を歌いながら途中の階段を下りていたせいか。いや、それとも山積みにした 洗濯物を持っていて前が見えなかったからか。原因は自分でも分からないが、 案の定階段を踏み外し、それはもう盛大に階段から落ちた。神経を遣っている、なんて言葉を取り消したいほど間抜 けな成れの果てである。膝からは痛々しく傷が悲鳴を上げており、足首は無言ながらも全く動く気配を見せてくれな い。プレイヤーでない私はあまり捻挫をすることはないが、今まで部員の怪我を何回も見てきたのですぐに捻挫だと いうことが理解出来た。不思議なことに、それが捻挫だと分かると徐々に痛みが襲ってくる。ここはあまり部員の人 が通る階段ではないため、やたらと静かな空気が余計に不安を煽る。体育館はすぐそこなので大声を出せば何 とかなるのだが、恥ずかしい。というか情けなくて躊躇われた。誰かが発見してくれるまで待とうとぼんやり思って いると、すぐに玲央先輩が偶然通り掛かった。その時、私は彼のことを救世主だと思ったが、その想いは一瞬にして 儚く散る。動かない私、辺り一面に散らばった洗濯物。階段から落ちたということを瞬時に理解してくれたのだ ろうが、玲央先輩は何故か慌て出し、座り込んでる私を起こすなんてことをせず、一目散に目の前から去って行った 。そして玲央先輩のその行動に、今度は私がひとり虚しく慌てた。予期していたように、今度は私の前に赤司くんが やってきた。 「・・・何してるんだい?」 「洗濯を・・・しようと思って」 無表情で問い掛けて来る赤司くんに、私は出来るだけ無駄を省こうと説明した。慌てた玲央先輩は恐らく赤司くんに 伝えに言ってくれたのだろう。出来れば赤司くんには知られたくなかったが、ひとりではどうすることも出来ない。 赤司くんは私の膝、そして足を一瞥すると溜息をひとつ吐き、周りの散らばった洗濯物は全て無視して私の元へやっ てきた。馬鹿だとか愚かだとか、そういう言葉を恐らくシャワーのように浴びせられると思っていたので、少しばか り身を固まらせた。それが好都合だとでも言うように、彼は私を抱き上げたのだ。 「えっ・・・えええええ!?」 「うるさい」 すぐに「はい、すみません」と言い、自分の手で口を覆った。赤司くんが、あの赤司くんが私を抱き上げるなんて。 赤司くんは全く気にしていないのか、いつもと変わらず堂々と校内を歩いていく。これがたくさんの生徒がいる平日 だったら、間違いなく注目の的だろう。おそらく世間ではお姫様抱っこと呼ばれているのだろうが、そんなことが存在するのは ドラマや漫画の世界だけだと思っていた。赤司くんって、そんなに大きい身長ではないけど、意外と 逞しい・・・なんてことは口が裂けても言えない。それに赤司くんが黙ってろというので、私は何も言葉を発さず、 そして彼も何も言わず、たどり着いたのは保健室だった。休日なので保健室の先生はいなかったが、赤司くんは私を ベッドへ下ろしてくれると、慣れた手つきで戸棚から薬品やら包帯やらを取り出してきた。 「怪我見せて」 「え・・・まさか赤司くんが手当てしてくれるの?」 「良いから見せろ」 滅多に見られない優しさにきゅんとしたが、それはすぐに警報のアラーム音へと変わる。その警報には2つの要素があ るが、一番大きいのは赤司くんを私の怪我のせいで占領してしまっているということだ。赤司くんはこの洛山のバス ケ部キャプテン。多くの部員が彼に信頼を寄せて、毎日練習に励んでいる。彼の指示が部員にとっては神のお告げ みたいなものだろう。そんな彼を練習中だと言うのに私が占領してしまっているのだ。普段の私は、彼と一緒にいた いと思っているが、自分自身が彼の邪魔をしてしまうことは何よりも嫌だった。だからせめて、一歩後ろでマネージャーとして少 しでも良いから支えることが出来れば、と思っていたのに、そんな彼に私なんかの手当てをさせてしまうなんて。 「あ・・・私、自分でやるから赤司くん戻って良いよ」 「・・・・・」 「申し訳ないし・・・痛!!」 彼の目を見ないで告げた私が悪かったのだろうか。赤司くんは消毒液を私の膝に思いっきりかけてきた。突然の衝撃 に思わず大きな声を出してしまった私はまたしても自分が恥ずかしくなり口を閉じた。彼はそんな私を気にすること もなく、手当てを進めてくれる。選手なのに、いや今までずっとキャプテンを務めてきたからか、とても慣れたよう な手つきで私の傷も捻挫も手当てを進めていく。先ほどは思いっきり私に痛みを与えてきたくせに、今は恐ろしいほ ど優しい手つきだなんて本当に狡い。痛さのせいか、優しさのせいか、自分の情けなさのせいか分からないが、何故か自分の目が少し潤んでい るような気がした。 「あの、ごめんさい・・・」 「何が?」 「手間かけさせるような女で・・・」 「おまけに馬鹿で鈍くさいね」 こういう事を言われるのはもちろん初めてではなかった。いつもなら何かしらの言葉を返せるのだが、今日は何ひと つ言葉が出なかった。代わりに生み出されたのは気まずく漂う空気。私ひとりが勝手に感じてるだけかもしれないけ れど、その空気に蝕まれるようにどんどん自分が情けなく思えて仕方なかった。 「ごめんなさい・・・」 「謝ってほしいなんて思ってない」 やっとのことで絞り出した言葉は先程と同じ単純な言葉だった。そんな言葉を彼もお気に召さなかったらしい。刺さ るような言葉に聞こえたのは、私が今弱ってるからかもしれない。そもそも彼の顔を見ていない時点で、完全に逃げ ている証拠だ。でも、迷惑や負担をかけるくらいなら逃げたいと思うような思考回路に今はなってしまっていたのだ。 「あ・・・も、もしかして…愛想つきた?」 「・・・・・」 「わ、別れたくなったらい、嫌だけどいつでも言ってね」 絶対にこんな馬鹿で鈍くさい自分を彼は疎ましく思っていると思った。そもそも、前々から赤司くんと私では釣り合い が全く取れていないと思っていたのだ。それは自分の自信の無さからも来ている醜い感情だと彼はよく言っていたが 、やはり差というものは、どうしても生じてしまう。いつもいつかフラれるんじゃないか、別れを切り出されるんじ ゃないかと思っている。だからさっきの言葉は自分が少しでも傷つかないようにしておこうという、守りの言葉であ った。瞬間、赤司くんの腕がすっと私の顔へ伸びた。いつもより少しばかり強めに掴まれた顎が嫌でも彼の目と合わさ れる。そして気づいてしまった怒りを含ませた赤い瞳。でも、怒りの中に少しばかり寂しさが宿っているような気が するのは気のせいだろうか。 「この口が言うのか」 「え・・・」 「そんな下らない事を言うのはこの口か」 顎を掴んでいる手の親指で唇を撫でられた。いや、撫でられたなんて可愛いものじゃない。彼の爪が微かに当たるく らいの刺激が与えられた。その威圧感か。それとも唇に触れられているからだろうか。余計に言葉を発することが出 来なくなった私は息をすることさえ困難な感覚に陥る。もうその目を逸らすことは出来ない。 「だったら、もう二度とそんなことが言えないように」 先程までは怒りを孕ませていたその顔が、今度は笑みを生んだのを私は見逃さなかった。彼の唇の両端が少しばかり 上がると、先程鳴った警報のもうひとつの原因が脳に湧き上がる。最早足の痛みなんて感じない。それは彼が手当て をしてくれたから、ということもあるのかもしれないが、それ以上にもっと別の要因があるような気がする。 「しっかり塞いであげようか」 愚かな言葉を吐いたこの唇を咎めるようなその口づけの隙間から、愛が響くように漏れ出していた。 |
花唇ひとつ
静かに埋葬
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