例えば夏の暑い日、額や手に汗を滲ませることは非常に多い。例えば冬の寒い日。手が悴んで、上手く指を 動かせないなんてこともよくある。人間であるなら誰しも経験がある、或いはこれから先、経験する可能性は充分に ある。
 帝光の練習はマネージャーの私から見ても厳しい。その練習の厳しさ、激しさに吐く人間もいれば、倒れる人間 だっている。それでも、試合であろうと練習であろうと、どこか楽しそうにしている皆を見ていると、少しばかり 羨望に似た感情も芽生える。ただ、私はそんな皆を見ているのが楽しいし、そんな皆を少しでもお手伝い出来るこ とが楽しくもある。私にとっては大事な場所のひとつなのだ。


ちーん、暑ーい」
「はいはい、練習終わったらアイス食べ行こ」
「マジ?じゃあ頑張ろうかなー」
「おい、紫原。次はお前の番なのだよ。コートに入れ」


 いつも文句を言いながらも何だかんだで練習する紫原くんを微笑ましく思いながら、彼が向かっていった練習風景 を眺める。コートには黒子くん、青峰くん、黄瀬くん、紫原くんなどが入って練習しており、そのレベルの高さに 圧倒されながらも、楽しそうな様子に微笑ましくなる。自分の番を終えた緑間くんは、座ることもせず私の隣で練 習風景を眺めている。適当な雑談を交わしても、彼の呼吸はもう乱れていない。そんな緑間くんの後ろから 来た人物を見た瞬間、彼の呼吸とは対照的に私の心は情けなくも一気に乱れた。


「緑間、ちょっと良いか」
「ああ」


 我が部のトップ、赤司くんのお目見えによって、今まで穏やかだった私の心臓は荒波のごとく激しく揺れた。 こんなことを同じマネージャーのさつきちゃんに言えば、付き合ってるんだからいい加減慣れろと言われるだけだ ろう。でも、どうしたってやっぱり好きな人が近くにいればドキドキする。私もさつきちゃんが黒子くんにくっつ くみたいに、赤司くんにくっつけたら・・・なんて叶わない夢を脳内で繰り広げ、ため息をひとつ。いつも私ばか りが好き過ぎる気がするけど、それでも良いと思えるくらい、私は赤司くんしか目に入らない。


には次の練習の手伝いをしてもらいたい」
「え、私が!?」
「パスを出してくれるだけで良い」
「わ、分かった!頑張る!」


 練習の合間に極稀に見せてくれる赤司くんのこの穏やかな笑顔に私はとにかく弱い。彼からしたらパスを出すぐ らい大したことないという認識だろうが、普段全くバスケをしない初心者な私からしたら、やり始めるまで はなかなか勇気がいるもの。おまけに練習の手伝いということもあって、こんなことで失敗出来ないという プレッシャーも感じる。ぐ、と握り拳を作り、赤司くんのためにもみんなの練習のためにも頑張ろうと意を決 した。


「黒子っち、まさかイグナイトパスっすか!?」
「いきます・・・あ!」
「うわ!どこに・・・って!そっちは!」
さん、危ないです!」



 とにかく頑張ろうと決めた。それしか頭になかった。そのせいなのかは分からないが、誰かが私を呼ぶ声は聞こ えたものの、どこから聞こえて来たのかは全く分からなかった。とりあえず大きな声で呼ばれたので、辺りを見回 すかのようにきょろきょろとしていると、ものすごい勢いでこっちへ向かって来るボールが目に入った。でも、き っと時すでに遅し。この剛速球を避けるほどの反射神経は私には存在していない、ということは自分が一番よく分か っている。来るであろう衝撃を恐れるように、反射的に目を固く閉じることくらいしか出来ない。しかし、不思議 なことにいつまで経っても痛みはやってこない。バチっとボールが何かに当たる音は聞こえたものの、衝撃がやっ てこないのだ。ゆっくり目を開けてみると、そこには赤司くんの手と床を転がっていくボール。周りは誰も喋るこ となく静寂に包まれている。いくら鈍い私でも一瞬で事を理解出来た。


「え・・・え!?あ、赤司くん!?」
「・・・」
「えええええ!?あ、赤司くん、私を助けてくれたの!?」
にボールが当たりそうだったからね」
「ててててて、手!手!赤いよ!」
「黒子のパスもなかなか良いパスになってきたようだな」
「そ、そうじゃなくて!う、うそ!赤司くん、まさか骨お、折れちゃってない!?」


 完全にパニックになった。何故なら目の前にある赤司くんの手の平と指は若干赤い。黒子くんが練習している イグナイトパスは取れる人が少ないほど。それ程の威力を持ったボールをいきなりだなんて、いくら赤司くんでも 痛いに違いない。もし、もし骨が折れていたりしたらどうしよう。部長の赤司くんが私のせいで怪我をしてしまっ たら、私は赤司くんのみならず、部員のみんなへ顔を上げることなんて出来ない・・・!あああああ、皆様申し訳 ありません!


「い、痛い?」
「・・・痛い」
「!!」


 まさか、まさかあの赤司くんが「痛い」だなんて言うなんて。赤司くんはいつも強い。不意に怪我をしたところ なんて見たことないし、赤司くんに限っては怪我をすることさえないように感じる。おまけに自身の体調管理もち ゃんとしているので、赤司くんが風邪をひくという状況に未だかつて遭遇したことがない。そんな赤司くんが「痛 い」とハッキリ言葉を吐くなんて・・・!相当痛いに違いない。


さん、スミマセンでした・・・って聞こえてませんね」
「黒子っち、危ないっスよー」
「スミマセン。でも赤司くんがいてくれて逆に助かりました」
っちに当たったら・・・想像つくっスもんね」
「つーか、の慌てようマジでウケんな」
「馬鹿なヤツなのだよ。いくらを庇ったとは言え、あの程度で怪我をするほど赤司は軟弱じゃない」
「緑間くん・・・(あの程度ってさり気なくひどいです)」
「赤ちん、楽しんでるね〜」
「慌てるっちの顔が余程気に入ったみたいっスね」
「赤司見ていつも慌ててんだろ、あいつは」



「ほ、保健室!いや、救急車!?」
「救急車はいいから・・・保健室に行ってくるよ」
「あ、わ私も!というかついて行かせて下さい!」


 保健室へ向かう途中も赤司くんの手が気になって仕方なかった。ああ、神様仏様に祈るしかない!とにかく申し 訳ない思いに潰されそうで、赤司くんに話し掛けることなんて恐れ多過ぎて出来ない。というか、赤司くんは怒っ てないのだろうか。そもそも私にあのボールを避けられる反射神経能力があれば、赤司くんがこんな目に合うこと はなかったのだ。普段からそんなに喋ったりはしない赤司くんだけど、今は普通の状態なのか、それとも怒ってる のか分からなくて、余計話し掛けることなんて出来ない。

 お約束と言うべきだろうか。保健室に入ると養護教諭の先生は職員会議中らしく、中にいなかった。えええええ 、私なんかが赤司くんの手当をしても良いのだろうか。赤司くん、私を気遣ってくれているのか、手を見せないよ うにしてくれているみたいだ。うう、こんな時でも優しい。


「あ、赤司くん・・・本当にごめんね」
「良いよ。に当たってしまうことのほうが嫌だしね」
「ありがとう・・・まだ痛い?」
「・・・痛い」
「!!」


 何と!まだ痛いと!あの赤司くんがこんなにも長い時間痛みを抱えてしまうなんて・・・!黒子くんのイグナイ トパスの凄さに驚きつつも、いたたまれない気持ちが余計募る。でも、骨が折れた時の対処なんて所詮私では分か らず、役立たずな自分にショックが隠せない。彼の手に触れたいけれど触れて良いのかさえ分からない。だからせ めて、私の願いさえ届けばと触れるか触れないか程の距離で彼の手に自分の手を重ねるように近づける。


「い、痛いの痛いの飛んでけー!」


 存在しているのかは分からないけれど「気」というものを、これでもかと言うくらい込めてみた。そのせいか大 きな声になってしまって、誰もいない保健室に自分の声が響いて恥ずかしい・・・という気持ちはあまりなかった 。そんなことより、赤司くんの痛みが和らぐことに集中していたからだ。


「・・・・・」
「・・・飛んだ?」
「飛ばない」
「!!」


 そうですよね、そんなこと分かっていたけど!でも無力な自分が情けなくて、せめて気が紛れればと思ったけれ ど、どうやら無力だったようだ。小さい頃、よく幼稚園の先生とかがこうしてくれたら本当に痛みが飛んでいった ような思い出がある。だからもしかして、と思ったけど、どうやら私には難しかったらしい。おまけに赤司くんが 下を向いてしまって、本当に少しだけど震えてるような気がする。何かを我慢するような、そんな雰囲気が伝わっ てくる。もしかして悪化させちゃった!?


「あ、赤司く」


 心配になって顔を覗くと、そこにはいつもの赤司くんの表情があった。いつもの、というのは少し意地悪い顔の ことである。不思議に思ったのも束の間。彼は何と怪我をしている方の手を使って、私の頭を自身の方へと引き寄 せた。その力強さはいつもと何ら変わらない。その少しの強引さに惹かれてしまうのは、おそらく赤司くんだから だろう。そのまま押し付けられるかのように重ねられた唇に、疑問を持ちながらも享受してしまう甘さが確かに存 在するのだ。


「おかげさまでもう治ったよ」
「え・・・」


 立ち上がった赤司くんはそっと私の頭をひと撫でした。さっきまで「痛い」と言っていた赤司くんはどこへやら 。いつもと変わらない、いつもと同じ余裕さ。ワケが分からなくても胸の鼓動を抑えることが出来ない、この心臓 をもう少し厳しく躾なければ。


「オレは先に戻ってる。はその赤い顔をどうにかしてから戻っておいで」


 一度赤に染められてしまったら、もう元には戻らないということを知ってるくせに。全てを理解してもなお、私 の鼓動は鳴り止まず頬の赤は治まりそうにない。





耳をくすぐる風に
そっと息を潜めた

(そんな可愛いこと言ってくれるなんて思わなかったからつい、ね)