世の女性の多くが待ち望んでいるプロポーズ。この時だけは女性の誰もがお姫様になれるんじゃないかという 幻想を抱きながら今まで生きてきた。幸運なことに、私は彼によってお姫様になれたわけだけれど、それは一瞬 だけだったような気がする。ただ、私は別にお姫様になりたいわけじゃない。私ひとりが幸せになりたいわけで もない。だからだろうか、私に彼を幸せに出来るのだろかという疑問が生まれてしまうのは。


、どうかした?」
「ううん、何でもないよ赤司くん」
「・・・違うだろ?」
「あ、ごめんなさい。征、十郎くん」
「うん」
「まだ慣れない」
「ゆっくり慣れていけば良いよ」


 少し前までは、こうしたカフェでのティータイムで私の話が途切れることはなかった。普段は忙しい彼と一緒 にいられるだけで嬉しくなってしまい、私の止まらないほど多くの話を彼はいつも微笑みを浮かべながら、静 かに聞いてくれるのだ。友人と一緒に行ったお店のケーキで私だけクリームが乗ってなかっただとか、例えそれ がどんなにバカバカしい話だったとしても、彼はちゃんと話を聞いてくれる。そんな私が今日は大人しいものだ から、彼も不思議に思ったのだろう。


「それで、良さそうな場所は見つかった?」
「あ、えっと・・・」


 彼との結婚が決まった日、私は今まで生きてきた人生の中で一番幸せな日だと思った。その日、世界で一番幸 せなのは私だとも思えたくらいだ。
 完全に勝手なイメージではあるが、私は彼が「結婚」というものをするとは思ってなかった。彼の家庭環境を 聞いたことがあるので、その影響もあるかもしれない。けれど、それよりも彼が女性と一緒に暮らすという想像が何故か出来 なかったのだ。それが例え恋人である自分だとしてもだ。ただ、たまにひとり暮らしの私の部屋に来た時に、料理 を振る舞ってくれたりお皿を洗ってくれたりとしてくれたことがあるので、もし彼と結婚したらたまに家事を 手伝ってくれる優しい旦那様になりそう、などとぼんやり思ったことはある。でも、まさかその相手が自分だと は思わなかったので驚いたのだ。周囲からは恋人同士なのに?と聞かれることがよくあったが、私はその問いに 答えることが出来なかった。


「あぁ、その式場だったらゲストの人たちにも喜んでもらえそうだね」
「うん」


 でも、私は彼と今みたいな恋人関係がずっと続いたとしても、結婚をしなかったとしても不満はなかった。彼のこ とが大事だという、確かな自信があったからだ。自分より大事かもしれないと思える存在がいることは、何より の幸せであり支えでもあった。
 そんな想いを抱いていたところにまさかの結婚。驚いたものの、当然嬉しかった。けど、同時に襲ってきた不安もある 。これが俗に言うマリッジブルーというやつなのだろうか。彼と結婚するのが私で良いのか?という疑問に侵食 されるほど襲われ始め、不安になってしまったのだ。
 おそらく彼と関わりのあるほぼ全員が彼を完璧な男だと褒め讃えるだろう。既に部下を持つ くらい仕事も出来て、冷静で周りを見ることも出来て、おまけに紳士的で優しくて気も利く人。その上、容姿も 文句なしなので女の子からの人気が高いということもバレンタインデーなどでよく分かる。そもそも結婚以前に 、何故そんな人が私と恋人という関係を築いてくれたのかも不思議である。けれど、今まで一度も「私のどこが 好きなの?」なんてことは聞けなかった。そんなことを聞いたら面倒臭い女だと嫌われてしまうのが何よりこわ かった。


「・・・、やっぱりどうかしたのか?」
「何、で?」
「心ここにあらず、だから」
「ごめん、なさい」
「別に怒ってるわけじゃないよ」
「・・・・・」
「・・・出ようか」


 広げていたウェディング情報誌やパンフレットを鞄にしまい、彼のあとに続くように店を出た。自然と握ってくれるその手は 温かいのに、どうしてこの手を握り返すことが出来ないのだろうか。どうしてこの手を信じることが出来ないの だろうか。違う、信じられないのは彼じゃない。私自信の心だ。

 今まで何度かデートで来たことがある、海が見える公園まで連れてきてくれた。周りには指を絡ませて仲良 さそうに歩いてる恋人同士や、犬を散歩している恋人同士。ベビーカーを押しながら歩く夫婦。どの男女もみん な輝いて見えて、何だか自分が惨めったらしく感じるような気がして俯きたくなった。


「それで、何があった?」
「別に、何もないよ」
「僕にそんな嘘が通用すると思ってるのか?」
「う・・・」
「僕たちは夫婦になるんだ。だから遠慮せずに言ってごらん」
「お、怒らないで聞いてくれる?」


 彼に叱られたことはあっても怒られたことなんて一度もない。それでも怒らないでと念を押したのは、彼にと ってはバカバカしいと思われるであろう悩みだからだ。いや、怒られるというよりは呆れられるような気がして 少し怖い。でも、彼の言う通り私たちは夫婦になるのだから。今までの恋人同士とはやはり少し違う。家族にな るのだから。


「本当に私で良いのか、不安で・・・」
「え?」
「赤・・・征十郎くんが結婚するの、私で良いのかなって」
「意味がよく分からないな」
「だから・・・!征十郎くんの結婚相手、私で務まるのか不安なの・・・!」


 最後の方は自分でもよく分からないが何故か逆ギレみたくなってしまって、急に居た堪れない気持ちになっ てますます顔を上げられなくなってしまった。頭の良い彼のことだ。絶対私のことなんてお見通しだったはずな のに、どうしてこんなことわざわざ言わせるのだろうか。・・・ああ、そうか。
 ここで私はようやく気づいた。彼が私が抱えている悩みやモヤモヤの正体を吐き出させてくれたことに。今ま で心で渦まいていた、気持ちの悪いこの感情を本人の前で吐露することで、私の底に引っ掛かっていたものを取 り除こうとしてくれたのだ。


「何だ、そんなことか」
「そんなことじゃない!私にとっては大事なことなの!」


 今思えば、こうして赤司くんに想いを感情的にぶつけることはなかったように思う。先ほども述べたように、 例えば私が無理をして体調を壊した時などに彼が私を叱ってくれたことはあっても、冷静な彼が私に対して一方 的に怒ることはなかった。もちろん、私も彼に対する不満なんてものは付き合ってきたこの数年間でほとんどな かったように思う。だから、私は彼に怒りという感情をぶつけたことがなかった。それ故、私たちは喧嘩というものをしたこ とがなかったのだ。彼と一緒にいるようになって初めて、二人の間にこんなにも淀んだ空気が流れているような気がする。でも、そんな空気を 生んでしまったのは私なのだ。私が何とかしなくてはいけない、と思いながらも零れ出そうな涙を止めるのに必 死で何も言えない。けれど、彼はやっぱりそんな私を理解してくれているのだ。


「大丈夫。僕に愛されてるんだから自信持って」


 頭に乗せられた彼の手は、先ほど繋がれた手と同じ温かさである。
 正直、彼にあんなことを言ったら「そんな下らないことで悩むなんて馬鹿馬鹿しい」くらい言われるんじゃ ないかと思った。でも降ってきたのは予想外の優しい声音と言葉である。頭に乗せられた手と、その耳を澄ま したくなるような声と言葉に驚いて顔を上げると、こらえきれなかった涙が一粒だけ地面へと落ちた。


「この僕が愛する女性はこの世でだけなんだから」


 この僕、と言っているあたり相変わらず自分への揺るぎない自信はあるようで、何だか安心して今度は笑みが 零れてしまった。そんな私を見て、彼もようやくホっとしたような笑みを浮かべてくれた気がする。普段あまり 表情を変えない彼の些細な変化も、今ではすっかり分かるようになってきた。ああ、本当に心配してくれたんだ なぁと実感出来て、それがまた無性に嬉しかった。


「本当?」
「僕が信じられないとでも?」
「ううん」


 さっきまでの不安が嘘のように取り除かれて、気づいたら私から彼の手を握っていた。彼のたった一言でこん なにも簡単に不安が拭い去られてしまうなんて。
 彼の温かいこの手を握って、支えてもらうだけじゃなくて少しでも彼を支えられるくらいの女になって、これからは彼と ずっと一緒に生きていきたい、そう強く心に願った。





純白を救った
その手に誓う


(もうそんなことで悩まなくて良いくらい、僕がを幸せにしてあげるよ)