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休日の午後、とても穏やかでゆるやかな時間はただ何の感情も持たずに過ぎていくだけ。いつからこの時間が至福ということを忘れてしまったのだろう。焦り、不安、戸惑い、あらゆる負の要素が地面に散らばっているようで、そこから足を動かすことも出来ない。 静かなカフェで目の前に座って足を組みながら本を読む彼は、実に優雅である。その佇まいは何度傍にいても見惚れてしまうほど。いっそのこと、そんな彼がじっと見つめる本になれたら。でも、彼にそんなに見つめられてしまったら私はきっと彼から視線を逸らすことも出来ず、動くことも出来なくなってしまう。 「何だい、そんなに見つめて」 「んー、赤司くん素敵だなぁって」 「唐突だな」 パタンと閉じられた本はもしかしたら私を恨むかもしれない。けれど、私だって本にヤキモキなんて妬きたくないもの。せめて少しくらい、私にも彼の時間を頂戴。なんて本に張り合う自分を少し情けなく思いながら、目の前のカフェラテに口をつける。あったかいので両手で持ちながら少しずつ飲むと、店員さんが描いてくれたせっかくのラテアートが少しずつ歪んでしまう。 「唐突じゃないよ、いつも思ってるもん」 「それはどうも。でも、僕は今のを素敵とは思えないな」 「えっ」 「何か悩みか考えていることでもあるんだろう」 「な、何で分かるの」 「は分かりやすいから」 「だから本読んでたの?」 「…ひとりで考えるのも大事だが、僕に話したいなら遠慮せずに話して良いといつも言ってるだろう」 テーブルに置いた歪んだラテアートと目が合う。まるで鏡のようだと思ってしまったということは、今の私も少し歪んでいるのかもしれない。本にヤキモチだなんて、阿呆らしい。自分の世界に浸ってしまったせいで、置いてけぼりとなった彼は私を責めることさえしないのに。おまけに彼はその素晴らしい洞察力で、私が何かを考えていること。そして私がそれを彼に聞いて欲しいと本当は思っているということを、コーヒーを飲むのと同じくらい当たり前のように見抜いた。 「すっごくしょーもない事なんだけど、それでも聞いてくれるの?」 「もちろん、の話なら何だって聞いてあげるよ」 そういえばそうだ、彼は今までも私の話を何だって聞いてくれていた。ずっと欲しかった服を買ったことだとか、仕事でちょっとしたミスをしてしまったことだとか、お気に入りのコップが割れてしまっただとか。数々の下らないような話にだって、ただ相槌をうつとかではなく「じゃあ今度はそれを 着てきてくれるかな」だとか「失敗は誰にでもある。それを次にどう活かすかだ」だとか「怪我はしなかった?今度一緒に新しいのを買いに行こうか」とちゃんと聞いてくれるのだ。 「あのね、私ってこのままで良いのかなーって」 「このまま、と言うのは?」 「上手く言えないんだけど、」 例えば資格のCMじゃないけれど、平凡と仕事をしている毎日。平凡に日々が過ぎていく毎日。仕事が好き、なんていう感情は今のところあまりない。特にキャリアを目指しているわけでもないから、目の前にある作業をただ淡々とこなしていくだけ。不自由はしていない。むしろ順風満帆。ありがたいことに友人にはそれなりに恵まれ、幸せなことに、こんなに素敵な彼だっている。 けれど、何かが物足りない。そして、同時にそれだけでは埋めつくされないほどに広がる将来への不安がある。 「言いたいことは何となく分かったよ」 「赤司くんが誰よりも努力して仕事だって頑張ってるの分かってるけど、それが何だか羨ましい」 「まぁ楽しいことばかりではないけど、毎日は充実しているよ」 「だからかな、赤司くんって輝いてる」 「でも、それはのおかげでもあるんだよ」 私の存在価値を示してくれるような言葉に、少し救われたような気がした。でも、それでもまだ自分に自信が持てない。今の自分は嫌いではないけど好きでもない。何故なら、将来を生きていくための武器が何もないのだ。未来への不安が拭えないから気持ちだけ焦る。何か役に立つ資格でも取ってみようか。料理教室だったりパン教室だったり、英会話だったり何か習い事でも始めて、生活を充実させようか。 どれも思うだけで、なかなか行動には移せない。移したところで数回やってみて終わる程度のものも多い。 すべて自分自身の問題ということは分かっている。 平凡、それでも普通に生きていける毎日に感謝はしているけれど、どこかに存在する不安。じゃあ、どうしよう。もっと今の自分に自信が持てたら、もっと今の自分を好きになれたら。どんなことでも良い、もっと誰かに今の自分を認めてもらえれば− 「せめて、将来が見えたらなぁ」 「将来?」 「そう、一年後、三年後、五年後、十年後…その先も今と変わらなかったらって思うとちょっと怖い」 この先もずーっとこのまま。今だってそれなりに楽しいのだから、それはそれで良いのかもしれない。友達と自由にランチに行ったりも出来るし、飲みに行ったりだって出来る。けど、きっとそのあとに襲って来る不安、それらと今以上に戦わなければいけない。輝いている女性は今のご時世たくさんいる。ただ、私には輝けるほどの武器が何もない。十年後、二十年後、その先の私は、何の魅力も持たずにただ毎日を何の感情も持たずに過ごしているかもしれない。つまらなくて、不安で、意味のない毎日。 だから、どんなことでも誰でも良いから私の存在を受け入れて欲しい。私がいないと困る、そう言ってくれる人が欲しい。 「それは心配しなくても大丈夫じゃないか」 「何で?」 せめて誰かに必要とされれば、それだけで世界は変わる。 「の将来は僕の奥さんだろう?」 表面が歪んだカフェラテを次はどうやって飲もうかなとぼんやり思いながら、耳に降り注いだ言葉。驚いて顔をあげると見慣れた彼の優しい笑顔と出会う。けど、聞き慣れない言葉が脳に響く。 そういえば、私はいつか結婚するのだろうか。彼という存在が傍にいても、今までそのような話をしたことなんて全くと言っていいほどなかった。だからだろう、「結婚」という言葉を意識したことなんてあまりなかったような気がする。おまけにそんな雰囲気を漂わせる言葉を、コーヒーを飲みながらのブレイクタイムと何ら変わらない表情で言うものだから、ますます意識が追いつかない。それではその言葉が冗談なのではないかと疑ってしまう。けれど、彼の目がそうではないことを物語っている。 「え、どういうこと?」 「出ようか」 席を立ち、お店を出ていく彼を慌てて追い掛ける。ちゃんと手を差し出してくれるところは相変わらず。そのやさしい手に、ぎゅっと自分の手を重ねると彼は実に楽しそうに、満足そうに微笑んでいた。その横顔でさえ、女の私より美しい。 彼の隣を歩く時、私の足は靴を履いてないかと思えるくらい軽やか。いつまで彼の隣を一緒に歩くことが出来るのだろうか。自分自身への情けない不安は抱えているくせに、そんなことを思ったことは不思議と一度もない。彼との未来に終わりを一切考えなかった私は、もしかしたら彼と永遠に一緒にいたいと図々しくも心の奥底で望んでいたということだろうか。 「大体、僕が傍にいるのによく将来が見えないなんてことを言えるな」 「ご、ごめんなさい」 「ただ、そう思わせてしまった僕にも責任はある」 「ううん、私贅沢だったのかも」 「いや、その責任はちゃんと取るよ」 的確な言葉はくれない。意味深な言葉だけを残して私の反応を見るのは本当に彼の悪い癖。ぽつりぽつりと与えられるヒントのような言葉で、私が彼のことしか考えられなくなるのがきっと嬉しいのだろう。そう思えばまだ可愛らしい。そうじゃなくても私は彼のことをたくさん想っているというのに。 私は彼の将来に、彼の人生に必要な人間だと思って良いのだろうか。何も持っていないこんな私でも、彼には必要とされているのだろうか。 「さ、さっきからどういうこと?どういう意味?」 「僕が決断を誤ったことなど一度もない、そうだろう?」 「そうだけど、そうじゃなくて」 「続きはまた今度。ちゃんとした時までおあずけだよ」 あれだけ悩んでいた不安はどこへやら。彼が「前に1回行っただけでやめてしまった料理教室にでもまた行ってみたら?きっと今回は続くと思うよ」という言葉にそうかもしれない、と当たり前のように納得してしまった自分に少し違和感を感じた。 おまけに今は少しワクワクしている自分もいる。今までとはまた少し違う「彼のために」という 感情が私を生き返らせる。そうか、どんなことでも目標があれば「今」も「未来」も充実してくるのかもしれない。 遠くへ旅立っていった将来への不安にさよならを告げ、左手の薬指にやってくる幸せにこんにちはを告げる日まで、あと少し。 |
カーテンが
リボンになる
( 一年後、少なくともの苗字は変わっているよ )