風や陽の光を存分に感じることが出来る窓際一番後ろの特等席。でも、この席が特等席なのはそんな理由だけじゃない。前回の席替えで思わず手にした神様からのプレゼント。顔を上げれば鮮やかな赤がいつだって見える。華奢に見えながらもちゃんと鍛えられている背中が恋しい。私だけが独占出来る唯一の特権。例えばプリントが配られる度に見える彼の指だとか、端正な横顔だとか、それだけでも充分私の鼓動を荒立てる要素になる。


「赤司くん、今日こそは一緒に部活行こう」
「それは無理だ」
「えっ」
「僕は職員室へ寄ってから行く。先に行っていろ」


 放課後のHR終了後の教室内は活気で満ちている。その日の授業が全て終了し、これから一緒に帰ろうだとか、駅前のファミレスに寄っていこうだとか、部活に行こうとだとか。同じクラスで席だって前後、おまけに部活だってマネージャーではあるけれど同じチームメイト。一緒に部活に行くことは不自然ではなく、むしろ自然だと思う。それなのになかなか縮まらないこの距離。今まで一度だって一緒に部活に行ってくれたことはない。それどころか、部活でも必要以上の会話を繰り広げたことさえないような気がする。それでも、好きな人であることには変わりない。
 よく、周囲からこの恋は無謀な恋だと言われる。学校中、いや洛山以外の人間だってきっと多くの人が彼の存在を知っている。彼には欠点が見当たらない。私みたいなごく普通の凡人が彼を好きになったところで現状なんて何も変わらないかもしれない。私みたいな女の子はきっと他にもたくさんいる。でも、赤司くんを好きになったことで生まれるドキドキだったりワクワクだったりするこの楽しい感情を置き去りにしておくことなんて私には出来ないのだ。


「赤司くん、この問題教えて」
「…こんな問題も分からないでよく洛山に入れたな」
「はい、すみません」

「赤司くん、はいタオル」
「これくらいのウォーミングアップで汗なんて流すわけないだろう」
「そ、そうですよね!」

「赤司くん、将棋教えて」
「僕は時間の無駄になるようなことはしたくない」
「どういう意味?!」

「赤司くん、今度私とデートしてくれませんか?」
「断る。そんな時間は無い」
「じゃあ、せめて一緒に帰って!」



 今まで何度距離を縮めようとしてきただろうか。一度も隣を歩けたことがないような気がする。なんとなく、住む世界が違うのかもしれないということは分かっている。でも、それでも惹かれてしまったこの思いは止めることなんて出来ない。
 ただ、それでも悩む時はある。実る可能性が低いこの恋にいつか光が射す日が来るのだろうか、なんてそんな誰にも分からない答えを求めて葛藤する日々だって無いわけじゃない。でも、その度に私の下らないかもしれない話を聞いてくれたり、応援してくれる人がいるから、諦めないで頑張る事が出来る。


「筋肉だろ、筋肉!」
「ちょっと筋肉バカは黙っててくれないかしら?意味分かんないし」
「まぁ確かに赤司は一筋縄じゃいかないだろうーけどさ」
「でも、のその猪突猛進なところ、私たちは好きだけどね」
「そうだよー、の良い所はくじけないとこじゃん」


 体育館に響き渡るボールをつく音やバッシュが鳴る音が一段落する練習の休憩中。部員はそれぞれ座り込んで休んたり、タオルで汗を拭ったり、スポドリを飲んだり。そんな貴重な時間を割いて励ましてくれる先輩たちにはいつだって感謝の思いでいっぱいで、その度に勇気を貰える。そうだ、私の数少ない長所は諦めないところ!さて、今日はなんて話し掛けようかな。今日はもしかしたら少しは、喋ってくれるかな?なんて、そんなことを考えるだけだって楽しい。



▽▲▽



 しかし、そんな意気揚々としていた私にウイルスという名の風邪が侵入してきた。おかげで学校を2日も休むことになってしまう悲劇。赤司くんの背中を2日も見れないなんて、つまらなくて仕方がない。
 自分ひとりが休んだあとの学校は些か緊張する。たった2日休んだだけなのに久しぶりに感じる教室に行くと、友人たちが労いの言葉をかけてくれた。まだ治りかけのガラガラ声でマスクの下から「ありがとう」と伝えると机の上にはこの2日で溜まったプリントがキレイに置かれている。あとでクラスメイトが教えてくれたのだが、なんと赤司くんがまとめて置いてくれたらしい。すごく嬉しくて汚い声で赤司くんに感謝を伝えると「気にするな」とだけ言われた。生まれて初めて風邪を引いて良かったかもしれないと思った。

 その日の部活は、体調は完璧ではないとは言え、張り切って仕事をすることが出来た。
 そういえばドリンクの粉のストックを確認しておかなければと部室で備品の箱を探していると、ロッカーの上の方に置かれている。この箱は以前、赤司くんが東京に帰った時にお土産かなんかで部員に買ってきてくれた和菓子のキレイな箱なのだ。爪先立ちをしながら手を伸ばして少しずつ手繰り寄せると、あと数センチできっと傾いて落ちてくる。その瞬間を掴む作戦を決行しようとひとり戦っているとガチャリと扉が開く音がした。視界を動かすと、扉の近くに立っていたのは赤司くんだった。突然の赤司くんの登場に動揺した私は、計算通り箱が傾いてきたにも関わらず、キャッチすることが出来なかった。もちろん、私の頭に落ちてくる前に赤司くんがやってきて守ってくれたなんていう、青春物語みたいなことは無い。赤司くんの反射神経なら出来なくもなさそうだけど、箱は結局私の頭の上に落ち、中に入っていた備品はバラバラに床に散る。紙の箱で良かったと心底思った。これが缶なんかだったら私は今頃悲鳴をあげていただろう。箱が床に落ちる音だけがやたらと響く。


「ごごごごごごごめんなさい!」
「全く…相変わらず仕方ないな」


 床に散ってしまった備品たちを拾い集めていると、なんと!赤司くんが手伝ってくれた。洛山バスケ部のキャプテンともあろう人になんてことをさせてしまっているのだろうという罪悪感と、二人きりでいつもより近い距離にいれる感覚の矛盾に些かの戸惑いが生まれながらも胸は熱い。
 拾い集めた備品を箱に戻し、慌てて立ち上がる。どうしてこの備品箱を使おうとしたんだっけ?そんな疑問さえ浮かんできてしまうほど動揺してしまった。いつもあんなに赤司くんに話掛けてるはずなのに。いつもより少し距離が近いだけで、こんなにも恥ずかしくて顔を見ることさえ叶わなくなってしまうなんて。感謝の言葉がマスクに吸い取られてしまう。俯きがちに伝えることしか出来ない感謝が少し悔しい。地面と目を合わせていると、赤司くんの足元が見えた。縮まった距離に鼓動が早くなるならどれだけ良かっただろうか。頭の上に乗せられた手は、一体誰の手だろう。この空間には今、赤司くんと私しかいない。


「僕と話すときは僕の目を見ろ」


 命令口調なのにどこか柔らかい雰囲気を出せるのは彼ならではだと思う。反対に、優しい言葉なのにどこか逆らえない気にさせられるのも彼の特徴のひとつである。どちらかと言うと後者の感覚を味わう方が多いけれど。
 導かれるように顔を上げると赤司くんの双眸と出逢う。なんだか久々に彼の目を真正面から見ることが出来たようで、目が離せない。


「顔が赤いぞ」
「えっ」
「熱でもあるんじゃないか?」


 頭の上に乗せられていた彼の掌が私のおでこに触れた。やだ、きっと汗かいてベタついてる。開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだろうか。離れたいけど離れたくない。離れたくないけど離れたい。結局どうすることも出来ないまま、催眠術にでもかかったように身体は固まって言うことをきかない。


「ほ、ホントに大丈夫だから…!その、ご心配お掛けしまして嬉しいっていうか申し訳ないっていうか…」
、」
「は、はい!…え?名前?」
「洛山のバスケ部の一員なら自分の体調管理くらいしっかりしろ」
「す、すみません…」


 頭の中がオーバーヒートする。心の中が遊園地のジェットコースターより激しく上昇下降を繰り返してぐるぐる回る。名前を呼んでくれた嬉しさと、叱られた申し訳なさのどちらに集中すれば良いのかが分からない。


「いつも元気なお前がいないと調子が狂う部員だっているからな」


 瞳孔が開くのを自分自身が一番鮮明に感じた。赤司くんは結局何をしに来たのだろう?そんな思考はとっくの昔にストップしている。愚かにも微かに希望が灯ったような気さえして、胸を高鳴らせてしまった。
 何度も何度も頭の中でリピート再生される私の名前を呼ぶ声と言葉。おまけにそんな笑顔を残していかれたら、この気持はやっぱり加速する以外、どうしようも出来ない。