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今も尚、昔ながらの情緒が溢れる京都で人が多く行交う賑やかなこの街、烏丸の路地裏にひっそりと佇む喫茶店。外国のアンティーク調なインテリアたちがモダンな雰囲気を醸し出している。女性が好きそうな食器や飾りも置かれているが、不思議と居心地は悪くない。彼女との待ち合わせや、ディナーを終えた後に二人で立ち寄るお気に入りの場所のひとつとなっている。 「さて、。どうして今日僕に呼び出されたかは分かっているよね」 「まぁ何となく…はい」 東京から東海道新幹線のぞみで約2時間半弱といったところだろうか。現在の文明を考えると遠すぎるわけではない、けれど近い距離では決してないこの距離が非常にもどかしい。彼女は京都の市内に在住勤務、僕は東京に在住勤務。世間で言う所謂「遠距離恋愛」に該当するのかもしれないが、会う頻度は割りと多いため、そのように感じたことはあまり無い。ただ、それでもすぐに会うことが出来る距離にいたらー。手を伸ばして肌の温もりを感じて触れて抱き締めることが出来る距離に彼女がいたらと思うことは多々ある。彼女の温度が欲しいと、東京からはあまり見ることが出来ない星に柄にもなく願いながら、掴むことが出来ない夜の冷たい空を仰ぐ。誰も待っていない暗い部屋に帰路する日々は慣れはするものの、やはりどこか冷たくて寂しい。 「それで?言い訳があるなら聞くが」 「赤司くん、誤解してる」 「誤解?」 「私が赤司くん以外の人に靡くわけない。赤司くんが一番分かってるよね?」 人間とはなんと滑稽で独占欲に満ち溢れた、悲しい生き物なのだろう。彼女が僕の知らないところで異性に会うというだけで、胸の中がこんなにもざわついてしまったのだから。まさか、この僕がまさか、と何度も自問自答をしたが、そんな小さい惨めな感情を抱いてしまうのは自信が無いからだという虚しい結論に達した。しかし、自分がそんな男だなんて格好悪過ぎて認めたくない。故に彼女を責めるという、男として最悪なことをしている自覚はある。 「黄瀬くんはお願いしてたものを届けに来てくれただけ。そのついでに夜一緒にご飯行っただけだよ」 「お願いしていたものとは何だい?」 「それは言えない」 「…黄瀬がわざわざ行かなくても、僕に渡して僕がに渡せば良いだろう」 「ダメ!それはダメなの」 せっかく注文したコーヒーが冷めてしまったようだ。白いカップに映えるコーヒーブラウンに自分の情けない表情が浮かぶので、無理矢理表面を歪まして飲んだ。不味い。 先日、久しぶりに昔の仲間たちとストバスをすることになった。そしてその場の他愛無い会話で、初めて黄瀬がと京都で最近会ったという事実を知ったのだ。もちろん、黄瀬の口からだ。から聞いていたら、ここまで意識はしなかったかもしれない。それだけならまだしも、その時の黄瀬の「やべ、言っちゃった」という言葉と表情が僕の心と顔をひどく歪ませたらしい。近くにいた黒子に「赤司くん、顔ヘンですよ」と失礼なことを言われ、自分の中に渦巻いた感情が顔に表れてしまったということを知った。 「それに、昔の旧友が旅行とかでこっち来るってなったら久々だしご飯とか飲みとか会ったりくらいしない?」 「、キミは今、ダイエット中だとかで特に夜に摂取するカロリーを気にしていなかったか?」 「うっ…」 「あれだけ僕がしなくても良いと言っているダイエットをしているにも関わらず、黄瀬と高カロリーの食事をしたかったのか?」 「それとこれとは、」 「残念だが僕にはあまり理解出来ないな」 「…赤司くん、もしかして妬いてる?」 妬く。つまり「嫉妬」ということか。今までの自分の人生であまり抱いたことのない感情と言葉の響きに躊躇わざるを得ない。周りの人間が誰かに、或いは僕に嫉妬心を抱くというのは聞いたこともあるし経験したこともある。だが、理解出来なかった。分からないからだ。僕が他人を羨望し、妬み、不安や恐怖を抱くだなんて、この京都が温度の無い近未来になってしまう程あり得ない。しかし、今、僕が心の中に棲まわせているこの感情に名前をつけるとしたら、間違いなくそうなのだという確信はある。 「そうかもしれない」 僕でさえなかなか会えないのに、他の男がに会えるなんてズルイじゃないか。何も思考を巡らさずにふと口から出た肯定の言葉に、思わずハッとした。これでは彼女の前で自分が情けない小さな男であると宣言しているようなものだ。しかし、彼女から紡がれた言葉は予想外のものだった。「ちょっと嬉しいかも。それに安心しちゃった。やっぱり、赤司くんも普通の男の人だって」そこで初めて、この感情は人間なら誰しもが抱く感情だということを知った。そして、僕がそんな感情を抱けたのは彼女だからだろう。彼女といると、自分の中の世界が新しくなる。今まで経験したことのないあらゆる感情を抱くことが、実は楽しい。それでも「良くない。結局何も解決していない」と駄々をこねる子供のような言葉を返してしまったのは、まだ納得していないからだろう。頑固な僕を理解してか「仕方ないなぁ。本当は秘密にしておきたかったんだけど…」と彼女がぽつぽつと語り始めた。 「実は今度の記念日、赤司くんを驚かせようと思って。赤司くんに内緒で東京に行って色々しようかなって。それで黄瀬くんがたまたま京都に旅行で行くって言ってたから、その機会にそれに必要なものを持ってきてもらったの」 冷めたコーヒーはとても不味いのに、照れたように微笑みながら話す彼女が愛しくて、ますます自分の不甲斐なさを痛感した。だが、彼女はきっとそんな僕を責めるようなことはしないだろうし、きっと無駄な感情ではない。「必要なものって?」と問う僕に、もう色香を漂わせる立派な大人の女性なのに、少女のような屈託のない純粋な笑顔で「それは秘密ー!」というものだから、つい穏やかな気持ちになった。 「ん?今度の記念日というと」 「うん、ちょうど三ヶ月後かな」 「…悪いが、僕はその頃東京にいないだろう」 「えっ?」 「その頃、僕は京都にいるはずだ」 「ええ?!なんで?!」 今抱ええているプロジェクトがあともう少しで一区切りつく。それを機に今住んでいる東京のマンションを引き払い、京都に住み京都で仕事をする手筈を整えている最中だった。 「が言ったんじゃないか。京都からは離れたくない、結婚しても京都に住んでいたいって」 何より、子供じみているかもしれないが、やはり彼女が辛い時に傍にいれないことがたまらなく嫌だった。例えば彼女の具合が悪い時、今年転職をしたばかりの彼女が仕事で落ち込んでいる時、僕との関係や未来に不安を抱いている時。彼女は僕を心配させまいと、いつも僕のことばかりで自分のことをあまり語ってくれない。けれど、語らないだけで彼女が心に負の感情を抱えていることを僕はこれまでの付き合いから理解している。僕しか気づかないかもしれないが、電話でもメールでも必ずどこかに片鱗があるのだ。それに気づいた時に、頭を撫でてやることも抱き締めてやることも出来ない距離が苦痛だった。なんて、格好つけてはみたものの、本当は自分が彼女の傍にいたいだけなのかもしれないが。 「言った、けど」 「まずは僕も京都市内に住むことになるだろう。話はそれからだ」 「話って」 「それから、とりあえず無駄なダイエットなんてもう止めてこれ以上痩せないように」 「なんで?!」 「何度も言っているが、にダイエットなんて必要ない。それに」 瞳孔が開っぱなしの彼女の視線を独り占め出来る悦びを感じながら、追加でホットコーヒーを注文した。ブルーマウンテンの香ばしい香りに酔いしれながら、白い湯気がもう暗くなった窓に映える。 「指輪のサイズが変わってしまうだろう」 店を二人で出ると今宵の美しい三日月が、この京の都を澄み切った光で照らしている。昔住んでいた時も現在も尚感じる洗練された美しい街並み。永住するにはこの上ない贅沢な世界だ。 < BONHEUR KYOTO > |