どんなに疲れてようが、ここが私の帰る場所。帰る場所があるだけでどんなことでも頑張れるような気さえす る。一日の疲れを全て癒してくれるそんな場所。それが彼の腕の中だ。特に一緒に寝ている時の幸福感は翌日に なっても余韻が残ったまま。寝る前の他愛のない会話だって、一日の最後を色鮮やかにしてくれる。隙間がない くらいくっついても、彼はそれを受け入れてくれる。そして朝を迎えれば、いつも私より早く起きている彼の優 しい顔が目に映る。一日の終わりだけじゃない。一日の始まりまでも私の心に花を咲かせてくれる。


(ん・・・あれ?)


 しかし、今朝はいつもとは少し違った。
 どこどこのカフェのケーキが美味しかっただとか、歩いていたらヒールが壊れただとか、私のどうでも良い話 を彼は寝る前に微笑みながら聞いてくれている。そのせいか、ほとんど私が喋って終わることが多い。そして散 々喋って、喋り疲れて私が先に寝るというのが毎回の流れである。なのに、翌朝はいつも同時に起きるか彼の方 が早く起きていて、私の寝顔を観察していたり、たまに朝ご飯なんかも作ってくれたりする。
 けど、今日は違う。初めてかもしれない、彼の寝顔を見たのは。


(わ、寝顔初めてみた)


 初めて見た彼の寝顔はなかなか衝撃的だった。元々整った顔だということは充分承知していたけれど、寝顔を 見て改めて、彼の顔の美しさにドキドキした。私より美人だ、という悲しいような、でも心ときめく鼓動が自分 の脳を余計活性化させる。彼の寝顔を見れたおかげで一気に目が覚めたような気がしたのだ。キレイな顔立ちだけれ ど、どこかあどけなさも感じるような無防備な寝顔。彼に隙なんてものが存在するとは思っていなかったが、今は こんなにも純粋でキレイで微笑ましい、隙だらけの姿だ。


(写真撮りたい・・・!)


 もしかしたらもう見れる機会がないかもしれない。そう感じた私は彼のこの寝顔を記録に残したいくらいだった。けれど 、彼にしっかり腕枕をされて抱きしめられている私の身体はなかなか動けそうにない。そもそも、こんなに近くで彼の顔を 見ることでさえ、普段なら滅多に出来ない。何故なら私は彼の顔が近づいて来たり、見つめられると恥ずかしくて顔を逸 らしたり目を閉じてしまうからだ。彼にとってはそれが逆に都合が良いのか、そのままキスをしてくることが多い。 でも、当然私は目を閉じているので、彼の顔を近くで見ることは出来ない。


(あ、そうだ・・・)


 彼に抱きしめられているこの腕から抜け出すことはもちろん出来る。けれど、それを私の中の私が許さない。 彼を起こしてしまうかもしれないし、せっかくだからもう少し彼の顔を近くで見ていたい。そういえば顔は私の 頬をよく包むように触れてくれるけど、私は彼の顔に触れたことがないかもしれない。そおっと彼の頬に手を伸 ばしてみた。彼の腕から伝わってくる温度と同じくらい温かいような気がした。


(何か新鮮かも)


 触れた彼の頬に、私の頬の赤さが伝染してしまうんじゃないかと言うくらい、何故か私の身体が熱くなってし まった。どうしようもない愛しさが込み上げてきて、体温が上昇してしまったようだ。彼の頬に触れ、唇の端に 指を置いてみる。ああ、この唇がいつも私の唇に重なっているのかと思うと余計心臓が激しく動いた。自分は一 体何をやっているんだろう、とふと冷静になる自分もいるが、そんな自分はドキドキと彼の存在に胸を高 鳴らせている自分には勝てない。身体をズラして、彼の方へ擦り寄るように近づいてみた。あ、もしかしたらこ れが寝ている時にキスしたくなる瞬間なのかも。いつもなら私からキスなんて出来ない、もちろん出来るわけがない 。でも、彼が目を閉じて何も意識がないのなら、出来るかもしれない。瞬きをするのも忘れ、彼の顔を見つ める。


「・・・そんなに見つめられると流石に照れるな」
「え・・・!?」


 まさか言葉を発してくるなんて思っていなかった彼がゆっくり瞼を開いた。その動作がスローモーションに見 えるほど、美しい。けれど、時が止まったように感じたのはそれだけではない。彼が起きていると思ってもいな かった私は、一瞬固まったあと、動揺に襲われた。何に動揺しているかと聞かれると難しい。起きていないと思 っていた彼が起きていた。至近距離で彼と見つめ合うことになっている。もしかしたら、私がキスをしようとし たことに気づいているかもしれない。そんな色々が混ざり合って、私の顔を余計紅潮させた。


「お、起きてたの?」
「うん、ちょっと前だけど」
「じゃあ起きてくれれば良かったのに」
に見つめられてる気がしたんだ」


 目を閉じていても感覚で理解したらしい。おまけに私は彼の頬に触れていたのだから、私がしていること、し ようとしていることなんてきっと彼なら分かっていたのだろう。なのに沈黙を貫き通すなんて、狡いとしか言い ようがない。恥ずかしい思いと少しの悔しい思いが入り混じり、そんな自分を隠すために彼の胸に隙間がないく らい擦り寄った。でも、そんな私も彼はお見通しなようで、彼特有の優しい笑みが私の耳をくすぐり、彼のしっ かりとした手が私の頭を抱き寄せた。


「キスしてくれるのかと思ったよ」
「キ、キス!?まさか、しないよ」
「そう。ちょっと期待してたんだけどな」
「え・・・!あ、ごめ」


 慌てて誤魔化したつもりだが、もちろん誤魔化せていないことは百も承知だ。でも、まさか彼が少しだけ寂し そうに「期待してた」と言うと、こちらにも罪悪感というものがほんの少しだけ生まれてしまう。期待されてい た、と言うと少しおかしいかもしれなが、あと少しの勇気を出して彼の唇に向かってみれば良かったのかもしれ ない。けど、私にはまだ勇気が足りなかったのだ。何だか申し訳なくなって謝罪の言葉を伝えようとしたが、 それは彼の言葉と微笑みに遮られた。


「良いよ、」


 そして彼は少しだけしょんぼりしている私もお見通しなのである。頭を心地好いリズムで撫でられると同時に 朝にしてはやたらと甘い掠れるような声が耳に入った。今日は私の目覚まし時計代わりがやたらと多い。ずっと ドキドキという衝撃を与えられぱなしだ。


「俺からにするから」


 降ってきた唇は、今朝もいつもと同じ幸せな一日の始まりを告げる。





朝食は
りんごひとつ


にキスをしないと一日が始まらないんだ)