朝であろうと昼であろうと夜であろうと、彼といる時はいつだって楽しいし、いつだってドキドキする。 例をひとつ挙げてみよう。駅で待ち合わせをして、そこから電車に乗って目的地まで行くこの時間。そんな 何気ない、目的を果たす前のこの時間でさえ、私にとってはかけがえのない時間なのだ。


「ごめん・・・!待った?」
「そんなに慌てなくて良かったのに」
「だって、少しでも・・・」


 早く会いたかったから、という言葉は飲み込む。待ち合わせ時間の15分前、彼から「南口にいるよ」という 連絡が入った。イコール、彼はもう待ち合わせ場所に着いていて、既に私を待ってくれているということ。少 し走ればそれだけ早く彼に会える。そう思ったら無意識のうちに足が勝手に地面を蹴ってリズミカルな音を奏 でていた。言葉を飲み込んだのは単純に恥ずかしいから。そんな真っ直ぐな言葉を伝えて「え?」と聞き返さ れるのも恥ずかしいし、流されてしまっても恥ずかしい。もし「オレもだよ」なんて嬉しい言葉をくれたとし ても恥ずかしい。どんな反応だろうと、結局私が恥ずかしいのだ。けれど、彼には私の考えていることなんてお 見通しだろう。言わなくても分かってくれているに違いない。走ったせいで崩れてしまった髪を手で直そうとす ると、彼の手がすっと伸びてきた。その長い指と優しい手で私の髪を直してくれるものだから、ついついドキ ドキしながら下から彼を見上げてしまう。たまに肌に触れる彼の指が妙にくすぐったくて、鼓動がドクドクと 加速する。


「うん、可愛い」
「・・・ありがとう」


 もう一回、少し強い風でも吹いてくれないだろうか。そしたらまた髪が少し乱れて、彼が優しく直してくれるはず。そんな欲張りなことを考えながら、改札を通り駅のホームへ進む。ヒールを履いている私を心配して くれているのか、下りの階段になると必ず手を繋いでくれる。ヒールなんていつも履いているから、階段だろ うと何てことないのに、ついついその手をぎゅうっと握り返してしまうのだ。これじゃあ私はヒールを履いて ひとりで階段を降りる事が出来ない女になってしまうじゃない、なんて本当は彼の優しさが嬉しくてたまらな いのに、その気持ちを必死で隠す。もちろん彼が手を繋いでくれるのは階段を降りる時だけじゃない。ただ、 気づいたら手を繋いでる事の方が多いので、階段を降りる時は手を繋ぐ瞬間を意識出来る数少ない場面なのだ。それに 彼が手を差し出してくれるだけで、駅の階段なんかでもまるでお城の中のように感じてしまう。 お伽話の世界に出てくるお姫様になれたみたい、なんてひとりで勝手に舞い上がってしまうけど、それさえも居心地が 良く感じる。


「うわ、電車混んでそうだね」
「あまり乗りたくはないけど、仕方ないな」


 朝の通勤・通学時間でもないのに電車の中には驚くほど人がいる。彼に支えられていざ、大群の中へ。何とか 乗れたものの、まだまだ人は次々と乗って来る。思いっきり押されながらも、彼がちゃんと私の腰に手を回し てくれているので安心だ。扉が何とか閉まり、ようやく電車が走り出すと身動きは一切取れなくなる。ちょう ど彼と抱き合うような形のまま固定されてしまっているようで、何だか少し恥ずかしい。けれど、彼が支えて くれるというこの安心感はいつまでも終わらないでいてほしいものだ。彼はどう思っているのだろうと、下か らこっそりのぞくと彼の視線とバチっと重なってしまった。満員電車に乗っているとは思えないほど涼しい笑 みを浮かべている。普通の人より身長が高めの彼だからか、混んでいても上の手すりを掴むことが出来る。そ んな当たり前の何でもない光景でさえ、彼が男らしくて頼もしく見えて仕方ない。普段は嫌で仕方ない満員電 車も、彼と乗るなら悪くないと思えてしまうなんて、もうこの恋の病は末期も良いところだ。


「この駅でさっきより人が少なくなったね」
「それでもまだまだすごい人だな」
「うん、路線沿いの駅で何かイベントでもやってるのかな?」
「あ、。こっちおいで」


 乗換が多い駅になると、電車内は少しだけ隙間が出来るほどになった。今まで堂々と彼にピタリとくっつく ことが出来ていたのに、今はもう叶わない。開いていないほうのドアの付近に少し隙間が出来たので、彼が私 をそこへ誘導してくれた。しかし、乗換が多くたくさんの人が降りるということは乗って来る人も多いという こと。またもや多くの人が押し寄せてきた。けれど、不思議と圧迫感はない。周りの人達は苦しそうにしてい る人もいるのに、私はこの電車内で何ひとつ不便に感じない。そう、彼がさり気なく私が潰されないように守 ってくれていたのだ。


「どうかした?」
「・・・ううん、ありがとう」


 私の熱い視線には気づいたみたいだけど、私が感動していることには気づいていないようだ。感動、なんて言っ てしまうと少し大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、他に当てはまる言葉が見つからない。嬉しくて、胸が 内側からじんわりと熱くなってくるような、そんな感覚。ああ、もっと人が乗って来たら彼の胸に顔を埋めて このドキドキする気持ちも彼に預けることが出来るのに。そんな馬鹿みたいなことを考えている間に、電車は 走り続け、駅へ止まってはまた走る。私たちが立っている側のドアが開き、邪魔になるので一度降りたが、そ こからまた電車へ乗る人は先程までに比べると少なく感じた。


「やっと落ち着いたかな」
「うん、いつも通りって感じだね」


 ようやくこの電車のいつも通りの混み具合になっただろうか。座れる程まではいかないけれど、ひとりぶん の席はいくつか空いていたりするし、私も彼の隣に並んで立てるくらいの隙間が出来た。吊り革に掴まる前 に電車が発車すると、その反動で少しふらついてしまう。バランスを崩し、私が咄嗟に掴まろうとしたのは吊 り革でもなく手すりでもなく、彼の腕だった。けど、それより先に私がバランスを崩したことにいち早く気づ いた彼は、すぐに私の腕を掴んで力強く引き寄せてくれた。


「ご、ごめん」
「どういたしまして」


 どうしてか分からないけれど、少し恥ずかしくなって戸惑いながら言葉を述べた私とは正反対に、彼は穏や かにくすくすと笑っている。「背高いと電車乗るときとか少しは楽で良いね」と言うと、楽々と吊り革が下が っている手すりを掴みながら「まぁ良いことはそれだけじゃないけどね」なんて意味深な笑みを零しながら言 った。


「他に良いことでもあるの?」
を支えることも余裕で出来るからね」


 そんなの別に背が高くなくたって出来そうじゃない、なんて可愛らしくないことを思うことでしか、 自分のドキドキを抑えることが出来なかった。こんなに人が多いところで、そんなこと言わないで欲しい。 彼からしたら何でもない台詞かもしれないけど、彼からしたら何でもない台詞のそのほとんどが、私の心を この電車よりゆらゆらと揺らす。
 人も疎らになり、ふたりで並んで座れるほどの余裕も出て来たので隣に並んで腰掛ける。もちろん手を繋 いで。何となく、何となくではあるのだけど、彼のどこかに触れていたくなってしまうのだ。


「もうすぐ着くよ」
「うん、楽しみ」


 彼と眺めるこの映り変わる景色を一枚一枚写真におさめたいくらい。彼との時間は目的地に着くまでも大事 な時間のひとつなのだ。
 ようやく目的地の駅に着いた。デートはこれからなのに、辿り着くまでの時間が終わってしまったことに少 し寂しさを感じてしまう。でも、彼は私のそんな想いさえも分かってくれているのだろう。電車を降りる時も 手は離さないでいてくれる。しかし、改札ばかりは抜けられない壁とでも言うべきだろうか。流石に手を繋い だまま通り抜けることは出来ない。この、手が離れる瞬間というのはいつでも少し寂しいものである。温かさ が失われ、冷気を一気に感じる瞬間。夏でも冬でも、それは少し冷たくて寂しい。何回経験してもなかなか慣 れることはない。では、どうしてそれを毎回乗り越えることが出来るのか。それはすぐにまた、彼が必ず手を差 し出してくれるからだ。改札を抜けた先で待ってくれている彼に追いつくため、私もICカードをかざし早々と 改札を抜ける。そして彼の元へ辿り着けばゴール。いや、ようやくスタートだ。


「じゃあ行こうか」
「うん」


 再び彼と並んで歩けばまたひとつ、しあわせの道が出来る。





その旅路が
まるで
恋のように


(さぁ、終わりを知らない幸せな旅へ出よう)