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誰かが彼のことをポーカーフェイスと言っていた気がする。滅多なことでは表情が崩れない。それは恋人である私に対しても そうだ。あまり驚いた顔も見たことがないし、怒ったところも見たことがない。とにかくいつも優しい笑顔なのだ。それはそれ でとっても嬉しいのだけれども、たまには意外な顔も見てみたくなる。 「・・・・・」 「ん、どうかした?」 そのためにはまずは観察だ。徹底的に観察。一瞬でも表情を崩さないかと、とにかく見張るくらいの勢いでいかなければダメだ。 例えば部活の練習中なんて絶好のチャンスではないだろうか。ここは陽泉高校バスケ部、全国でも有数の強豪校である。 いくらアメリカで技を磨いてきて、強くて上手な彼といえども、このチームにはレベルの高い人間はたくさんいる。 そう、例えばキセキの世代と呼ばれる紫原くんなら彼の表情を崩せるのではないだろうか。 「ねぇねぇ紫原くん」 「何ー?」 「ちょっと本気出して氷室先輩と1on1やってきて」 「えーやだー。疲れるし」 「良いじゃん!練習は人一倍やる紫原くんでしょ?」 「何それー」 私は紫原くんを使ってでも(表現は悪いけど)、彼の表情が崩れるところを見たかった。しかし、この紫原くんもなかなか一筋縄では いかない。とびきり強いくせにバスケが好きじゃない、怠いと言う。そのくせに練習は何だかんだ言ってちゃんとする。 なのに私のお願いは聞いてくれない。全くもって自由気ままな子供のようである。しかし、紫原くんと彼では決定的な違いがある。 「明日から3日間、おやつ何でも奢ってあげる!」 「やる!」 即決だった。そう、彼は扱い方さえ分かってしまえばとても楽なのだ(失礼かもしれないが)。今までありそうでなかった氷室 先輩vs紫原くん。紫原くんは早速氷室先輩の元へと行き1on1を提案しているようだ。そもそも紫原くんが氷室先輩にこの 提案をしているというだけでも充分驚きものだろう。現に周りの部員さんでさえ驚いている。それなのに・・・氷室先輩はちっ とも驚かない。いや、内心驚いているのかもしれないが、それを表情に出すまでには至っていないようだ。 それでも彼なりに驚いたのか、少し沈黙した。だがその直後、楽しそうに「いいよ、やろうか」と言った。 バスケが好きな彼からすれば、驚きよりも紫原くんと1on1が出来るいうワクワクのほうが勝っているのだろう。 「(頼んだわよ、紫原くん・・・!)」 私は全ての思いを紫原くんに託し、2人をじっと見つめた。周りの部員さんも各自練習の足を止め、興味津々と言った様子で見 ている。そんな中、私は氷室先輩だけを見ていた。マネージャー失格と言われるかもしれないけれど、紫原くんの動きやボール なんて一切視界に入っていない。もしかしたら、あの紫原くん相手なら流石の氷室先輩も一瞬悔しそうな顔を見せるかもしれない。 瞬きさえ許されないのだ。しかし、それがあだとなる瞬間が急に来た。 「あ、」 「え?」 「!?」 ゴール下で睨むように氷室先輩を観察していた私を襲ったのは紫原くんがブロックしたボールだ。シュートを決めようとした 氷室先輩を紫原くんがブロックし、そのボールが私の頭上を、いや顔面めがけて飛んできた。その勢いで私は尻餅をつく。 紫原くんの「あ、」と言う声に反応した時は既に遅かった。そもそも氷室先輩だけを見ていなかったら避けることも出来たのだ ろうから自分が悪いのだが。・・・それにしても痛い。バスケットボールは固いし大きいのだ。私の顔よりも大きい。 そんな凶器的なものが私の顔に当たればそれは人目もはばからず泣きそうにもなる。 「い、痛いー!」 「、大丈夫か?」 「うわ〜ちん、どんくさいー」 「ひどっ」 何と言っても鼻が痛い。鼻血が出てるんじゃないだろうか、というくらい痛い。でも氷室先輩の前で鼻血なんて出したくない、 乙女失格になってしまう。その次に痛いのは口だ。口の中は間違いなく切れてる気がする。何だか鉄の味がするから。 その次に痛いのは額から頭にかけてである。とにかくもう全てが痛い。 「敦、悪いけど一旦中断しても良いか?」 「いーよー。俺も疲れてきちゃったし」 「、立てる?」 「は、はい」 「怪我してるかもしれないから、一応よく見た方がいいな」 氷室先輩が私の手を取って立たせてくれて、背中に手を当てて支えてくれる。主将に「すみません、ちょっと彼女の手当してき ます」と言い、救急箱がある部室へと連れて行ってくれた。うう、相変わらず優しい。ごめんなさい、あなたのいつもとは違う 表情が見たくて不注意だった私をお許し下さい。 「えーと、救急箱はどこだったかな」 「あ、そこの右の棚の上です」 そもそも私は何故、こんなことを選手である彼にやらせてしまっているのだろうか。どうして私は呑気に椅子に座って氷室先輩 に指示しているのだろうか。というか、練習中にマネージャーが怪我をするなんて情けない。しかも、自分の完全なる不注意で。 じんわりと目の奥に何かが込み上げてくる。 「・・・どうしたの?痛い?」 氷室先輩は救急箱を持って私の前に座ると、いつもの優しい笑顔で私の頭をいつものように撫でてくれた。そして救急箱から消 毒液を取り出した。何故だろうと思って見ていると「鼻ちょっと擦りむいちゃってるみたいだね」と言われた。 鼻血が出なかっただけマシだが、鼻を擦りむいているのも恥ずかしい気がする。 「ごめんね」 「・・・どうして氷室先輩が謝るんですか?」 「つい夢中になってに怪我させちゃったから」 「氷室先輩・・・悪くないじゃないですか」 「目の前でに怪我をさせてしまったのは事実だよ」 「・・・・・・」 「しかもその可愛い顔にね」 ああ、もうこの人はどこまで甘いのだろうか。恥ずかしくて顔を下へ向けてしまうと「手当出来ないから上向いて」と優しく言 われる。その細いけど長くて綺麗な指で顎を持ち上げられ、嫌でも上を向かされてしまう。視界にはピンセットと白のコットン。 そして困ったように笑っている氷室先輩の顔。 「氷室先輩は基本笑顔が多いですよね」 「そう?あまり意識したことなかったけど」 「いつも優しそうですもん」 「それはが近くにいるからだよ」 「(恥ずかしい・・・!)実は・・・今日、氷室先輩のポーカーフェイスを崩してみたかったんです」 「え?」 「それで紫原くんにお願いして・・・」 何だか言っているうちに罪悪感がしてきて、だんだんと声が小さくなってしまう自分に嫌でも気付いた。ああ、馬鹿だなと思わ れるかもしれない、呆れられるかもしれない、嫌われてしまうかもしれない。それでも氷室先輩には隠し事をしたくなかった。 それに彼のことだから私が考えてることなんて、どうせすぐに見破ってしまうだろう。 「ああ、そういうこと」 「うう・・・ごめんなさい」 「まぁそんなことだろうとは思ったよ。敦にしてはあんなこと言ってくるの珍しいからね」 「(やっぱりバレてた)」 「これでも結構顔に出してるつもりなんだけどな」 「全然出てませんよ」 「そうかな?特にの前では結構顔に出てる気がするけど」 彼は消毒が終わると救急箱の蓋を閉めた。「そんなに大した擦り傷じゃないしからこれで大丈夫だと思う」と言ったあと、 また頭を撫でてくれた。きっと鼻の頭に絆創膏を貼られるのが嫌、という女の子の気持ちを察してくれたのだろう。 こういう気遣いまで彼は完璧なのだ。こんな彼が一体いつ、どこでポーカーフェイスを崩しているのだろうか。 私の前だって?そんなふうにはとても見えない。 「そうなんですか?」 「うん。さっきだってにボールが当たった時は本当に驚いたよ。というかすごく心配した」 「まぁ・・・確かに声は驚いてた感じでしたね」 「ここでが涙目になった時もどうしようかと思ったしね」 「何でですか?」 「その上目遣いの涙目が可愛すぎてだよ」 そう甘い言葉をくれたあとは必ず甘いキスをしてくれる。まだ部活中なのに良いのだろうか?という疑問はすぐに考えられなく なるほどの熱が舌から伝わってくる。口の中が切れているから、そこに触れられる度に痛みが走るのだけれど、そんな痛さも悪 くはないと思ってしまうほど、何もかもが甘いのだ。 「(でもやっぱり地味に痛い)」 苦しくて彼のジャージの袖を引っ張ると、最後に私の下唇だけを食べるような口づけをして離してくれた。いつもそうだけど、 キスをしたあとはとっても恥ずかしくなる。恥ずかしくて顔が赤くなって熱を持って。でも氷室先輩はそんな私をいつも楽しそ うに見ているから、悔しくてまたもや下を向く。彼の指が私の耳に触れると、髪を耳にかけられた。耳に指が当たるたび、くすぐったくなる。 「消毒だよ」 耳元でそう言われてしまっては何も考えられない。氷室先輩のポーカーフェイスは彼曰く崩せたのかもしれないけれど、 結局私には分からないまま。私だけが百面相のように顔をコロコロ変えるのを彼は楽しんでいる。 いつか絶対に彼のポーカーフェイスを崩してみせる!と思いながらも、再び甘い口づけをされては、それは叶いそうにないと思えて仕方がないのだ。 |