目覚ましがジリジリと鳴り響く30分前に瞼を上げる。ふわふわの軽い羽毛ぶとんに埋もれていたい気持ちを必死で押し殺して、スプリング音が鳴らないようにベッドから静かに降りた。フローリングの床が少し冷たいおかげで脳が覚醒し目がパチっと覚める。まだ夢の世界を彷徨っているであろう彼の寝顔を見て自然と笑みが溢れるのは、彼の寝顔を独占している幸せからだろう。隙だらけなあどけない寝顔は、いつも格好良い彼とは少し違って可愛らしい。
 ひと通り身だしなみを整えてすぐ朝食の準備に入る。彼が日々、仕事という戦場で戦うためのガソリンを栄養と美味しさに変えてあげなければ。朝食は和食だったり洋食だったり。育ってきた環境からか、彼のブレックファストはてっきり洋食オンリーかと思っていたけど、和食も意外と好むということを一緒に暮らすようになって知った。今日は洋食の気分。エッグスラットとパンとサラダ、それからコーヒー。昨晩のポテトサラダの残り物であるジャガイモで作ったマッシュポテトの上に卵をポンとおとす。耐熱瓶ごと湯煎にしている間に、パンとサラダ、それからコーヒーを用意しておくと欠伸を隠しながらやってくる彼。


「あ、起きた?おはよう」
「おはよう、


 まだ眠いのだろうか、少しぼんやりしている彼に微笑みながら顔を洗ってくるように促す。彼が仕度をしている間にテーブルの上にランチョンマットを引いて食卓を彩る。先程までの眠気に襲われていた顔とはガラリと変わり、昨日アイロンがけをしておいた清潔感漂う白いワイシャツの上に、濃いブルーのストライプネクタイを結びながらやってくる彼と目が合った。


「良い匂いで目が覚めたよ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ。正確には火をかける音が目覚ましだったけど」


 こんなありきたりの、ごく普通の光景。カーテンから差し込む光だとか、小鳥が泣いてる音だとか、コーヒーの香りだとか、テーブルの上に置かれた日経新聞だとか。そんな当たり前の朝食の光景が、彼と共有しているというだけで朝日も嫉妬するくらいの眩しさに変わる。彼と一緒に過ごす朝の時間でさえ、つい永遠になってほしいと思ってしまう。もちろんこの時間は永遠にはならないけど、毎日生まれる大切な時間の一部だ。
 完食して一息ついた彼が玄関へ向かうのでお見送りのためについていく。その間に交わす「今日は早く帰れるよ」だとか「今日は飲み会があるから遅くなりそうなんだ」なんて会話が、改めて結婚しているんだということを思わせてくれてひとり嬉しくなるのを彼は知らないだろう。


「じゃあ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」


 当然「行ってきますのキス」なんていう定番なことも欠かさない。「にキスすると、本当どうしてか分からないけれど元気を貰えるんだ」と言われてしまえば、何も言えずに微笑むだけ。最初は恥ずかしくて仕方なかったけれど、しばらく経つと彼の行ってきますのキスも当たり前のように受け入れることが出来ていて、むしろ無いと今では不安になるくらいだ。新婚のうちだけだろうな、と思いつつもずっと続けば良いな、なんて図々しい願いを秘める。
 今日も私たちの幸せのために頑張ってくれる彼を見送ったあと、今度は彼が気持ちよく帰って来れるよう準備に入る。



 洗濯に掃除、夕飯の買い物とあらゆる家事を済ませ、彼のための夕飯作りに取り掛かる。まだ子供もいなので私も働いた方が良いのではと思っていたけれど「が働きたいと思うなら働いても良いと思うけど、別に焦って探したりとかしなくても良いんじゃないかな」と言ってくれたので、時間を上手く使えて無理なく働けるような仕事をゆっくりと探すことにした。
 けれど、陽が落ちすっかりと暗くなった夕暮れに焦りを感じてしまうあたり、まだイマイチ主婦の仕事を上手くやりこなせていないようだ。急いで夕飯の準備に取り掛かる。今日は朝が洋食だったので夕飯は和食。クックパッドを見ながら良さそうなメニューを考える。お味噌汁を作ってる途中、玄関から鍵がガチャガチャと開く音がしたので火を止めて小走りで彼を迎える。


「ただいま」
「おかえりなさい」
「…」
「どうかした?」


 彼の鞄を持つと玄関でいきなり抱き締められた。段差のおかげでいつもより彼との距離が近い。もしかして仕事で何かあったのかなと少し心配していると頬に生温かい感触。今日はただいまのキスもついてきた。然程驚きはしないけれど、このタイミングでのキスは久しぶりだったので少しだけ不思議に思う。


「いや、誰かが送り出して迎えてくれるって良いなぁって改めて思って」
「そう?」
「うん、それが大切な人なら尚更だ」
「私だって大切な人を送り出して迎えることが出来てしあわせだよ」


 ああ、そうやって再びキスをしていたら作りかけのお味噌汁が冷めてしまうのに。