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「涼太くんって基本優しいよね」 林檎の皮をシャリシャリ剥く音と重なるように、の透った声は黄瀬へと届いた。音が二重になったというの に、不思議と黄瀬に不快感はない。それは彼女から生み出された声の方が遥かに響いて聞こえたからだろうか、 の言葉は黄瀬へしっかり届いていた。 「え?」 「あ。手危ないよ」 器用に林檎の皮を剥いていたのは黄瀬である。途切れることを知らない赤い線が、綺麗な螺旋状になっているこ とが、の目を少しばかり輝かせる。 今から数分前、黄瀬が持ってきてくれた林檎と小さなナイフを手にとろうとしただったが、珍しく黄瀬の腕 が制止の合図を告げたのだ。「のキレイな手が傷ついちゃったら嫌だから」なんて歯の浮くような言葉を冗 談混じりに浴びせる。は心の中で「いつもやってるのに」と思っていたが、その心を読まれたかのように「 いつもがご飯とか作ってくれたりするから、たまには俺にやらして?」と黄瀬の言葉が優しく降り注いだの だ。答えなど待たずに林檎を剥き出した黄瀬を、彼女は林檎のように頬を赤く染めて見ることしか出来なかった。 「何スか、急に」 「んー・・・まぁ前から思ってたけど私にもそうだし他の女の子にも優しいし」 「あ、もしかして妬いてる?」 「妬いてないよ。妬いたらキリないもん」 「えー・・・たまには妬いてよ」 少し拗ねながらも笑顔でいるのは彼の余裕の表れだろうか。その間も赤い螺旋は繋がったままだ。けれども 、は別に黄瀬の余裕を崩すのが目的だったわけではないので、特に気にはならない。むしろ思っているこ とを素直に言っただけなので、黄瀬に対して特別な反応などは求めていなかった。ただ、本当に無垢な感情か ら生まれた言葉なのだ。自分に対しても優しいし、他の女の子にだって優しさを見せる。例えばの買い物 にだって快く付き合うし、部活を見に来る女の子たちにも愛想良く応えている。空気が読めなそうに見えて、 大事なところではちゃんと考えているはずだ。 「まぁ女の子には優しく、とは思ってるっスけどね」 「紳士だね」 「えー、そうっスか?」 「うん。誰にでも出来ることじゃないし」 ―あ、途切れた。は螺旋の赤が白い皿の上へ落ちるのを確認した。けれども、それは途切れたわけではな く、林檎の身が全てさらけ出されたことを告げる合図だった。は目を輝かせながら林檎と黄瀬のその器用 な手を見つめていたが、黄瀬の目は正反対とでも言えそうなほど、落ち着いていた。冷めている、というほど でもないが、何かを憂いているような目をしている。そのせいか、黄瀬が林檎とナイフを置く音がやたらと響 いて聞こえた。 「もしかしたら偽善かもしんないっスけどね」 周りから良く見られたいから。誰かのためというわけではなく自分のため。自分を守るために、優しくするん だ。決して言葉にはされない彼の言葉が、の心にドスドスと刺さっていくようだった。何故ならは黄瀬 が女の子の相手をしたあとに、たまにため息を漏らしている姿を見かけたことが何度かある。人気者で良いじゃ ないか、と思う反面おそらく彼にしか理解出来ない苦しさがあるのだろう。 「そう・・・かな」 「あ、でも今はがいるから大丈夫っスよ」 会話が上手く成り立っていない上、言葉の真意を正確に理解することは出来ないが、曖昧には感じることが出来 る。きっと人気がある分、たくさんの苦しみを味わってきたのだろう。上辺だけでしか判断されず、各々が勝手 に理想の黄瀬を創り上げる。勝手に期待されて、勝手に失望される。そんなことが煩わしくて、自分のことを偽 善と決めつけてしまっているのかもしれない。 否定の言葉はの唇からは生まれない。けれども肯定の言葉も紡がれない。にはハッキリとした正しい答えが見つからないからだ。けれども、分かっていることはひとつだけある。 「でも、偽善だろうが何だろうが涼太くんの優しさで嬉しくなったり幸せになる人もいると思うんだけどなぁ」 「え?」 「ほら、林檎!剥いてくれてありがとう。しかも食べやすく切ってくれたし」 「・・・」 「ね?」 「・・・だって・・・の口、小っちゃいんスもん」 は林檎をひとつ摘んで口の中へ放り込んだ。シャリシャリとかみ砕ける林檎は、の口にピッタリの大き さである。彼女が幸せそうに「おいしいね」と言えば、黄瀬は今まで自身の中に住まわせていた卑屈な感情や醜 い思考が、一気に排除されたように感じる。ああ、馬鹿馬鹿しい。そう思えるほど、愉快な笑みが止まらない。 ただ彼女に喜んでもらおうと思ったのに、自分が嬉しいだなんて。 「ー!」 「うわ、急に抱き着かないでよ!」 横に座っていた彼女をぎゅうぎゅうと抱きしめ頬を擦り寄せている黄瀬の姿からは、先程までの落ち着きが微塵 も想像出来ない。しかし、このような一面も間違いなく黄瀬の一部である。言葉とは裏腹に、も黄瀬の眩しいくらいの髪を撫でた。まるで大きな子供をあやしているかのようである。しかし、黄瀬のことを可愛い、と思えるのは一瞬だけである。 「でも・・・俺、には優しく出来てる自信そんなないかも」 「え!?」 どうして? どうして台詞だけは自信の無さを孕んでいるというのに、意地の悪い顔をしているのだろうか。 優しくない? 優しいと告げたのに、本人はどうして優しくないというのだろうか。 の疑問は頭の中をぐるぐると回るが、その答えは存外簡単に閃いた。確かに彼には優しくない時がある。 優しくないどころか、今のその顔の通り、意地が悪いのである。 「好きな子に優しく出来るほど、余裕なんてないっスよ」 こうやってぎゅうと力強く抱きしめたあとに、耳元で囁く声をくれるのはからすれば優しさなんかじゃな い。ただの心臓を速く鼓動させる凶器でしかないのだ。凶器という言い方をすると物騒かもしれないが、に は破壊力抜群の凶器にしか感じられなかった。いつも押し潰されないように必死で抗うものの、結局飲み込まれ てしまうのである。 「ど、どういうこと?」 「といるといつもドキドキするってこと」 こちらの心臓のほうがドキドキしている。のその言葉は黄瀬の唇によって弾けた。同時に聞こえる可愛ら しい音と柔らかな感触に、一気に熱が襲ってきたのか、は黄瀬の胸へ顔を埋めた。けれども降って来るの は「可愛いなぁ」という余計顔を上げられない言葉で、居た堪れない気持ちになってくる。彼は分かってやっ ているのだ。それなのに、黄瀬のその大きな手で頬を撫でられれば、操り人形のようにの顔が自然と上が っていく。待ってましたと言わんばかりの口づけに、恥じらいなどは容易く葬り去られる。身体の大きな黄瀬 に、の華奢な身体は軽々持ち上げられ、彼女の白い肌はベッドのシーツと同調するかのように重ねられる。 その上に黄瀬が重なれなば、もう甘く優しくない時間の準備は完了だ。 「責任、きちんと取ってもらうから」 肌を重ねる時だけ、彼は少し優しくなくなる。 |
流星群の中で
甘い毒矢が笑う
(でも、優しくないくらいが丁度良いんスよね?)