静かに読書をしている緑間を、些細な行動や動作で邪魔をするのが、の休日の日課になっていた。珍しく二人が 所属しているバスケ部の練習が休みの時は、大抵このように緑間の部屋で過ごすことが当たり前になっている。しか し、今日はそんな当たり前の休日とは少し違っていた。




「おい、
「・・・」
「全く、何なのだよ」




今日はやたらとページが進むな、と本を読んでいた緑間は些か疑問に思った。そう、珍しくが邪魔をしてこない のだ。いつもはくっついてきたり鼻歌を歌ったりと、読書の時間を妨げてくるというのに、今日は全くその気配がな い。いつもと違うことが起きると、やはり気になるものである。ふと、は一体今何をしているのだろうかと思 った緑間は、部屋を見渡す。そうすると、部屋の隅で丸くなっているが目に入った。




「そんなところで何をしている?」
「何もしてない」




はその小さな身体を丸め、膝を抱え込むように座りこんでいる。まるで何かにいじけているようだ。まさか を放置して本を読んでいるからいじけているのではないか、なんてことはもちろん思わない。そんなことはいつもの ことであり、どうせ本を読んでいようと邪魔をしてくるのだから。そう思った緑間は、静かにふうと息を吐き、読ん でいた本を裏返しにして床においた。




「こっちへ来い」




緑間が静かにその言葉を吐き出すと、はその言葉に誘われるように、光りの如くの速さで緑間の元へ飛びつくよ うに抱き着いた。緑間は、その勢いに些か驚くものの、抱き着いてきたをしっかりと受け止め、自然の流れのよ うにの頭を撫でてやる。は緑間の胸の中で何やら小さく唸っている。




「どうかしたのか?」
「うー・・・見てよ、これ!」




は勢いよく、緑間の鼻に触れそうなほどの距離で自身の手を見せつけた。あまりの勢いと意外な行動と、あまり の近さに緑間は一瞬驚きを見せたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻し、のその手を掴んで、自分の胸元くらいまで下げさせた。




「何だ」
「何だって、爪!つーめ!」
「爪?・・・ああ、人差し指の爪が少し欠けているな」
「欠けてるどこじゃない!剥がれちゃったんだから!」




爪をあまり伸ばしていなくとも、何かにぶつけてしまった拍子で爪が欠けたり剥がれてしまうことは意外とよくある。 は、ここへ来る前、自分の家を出る際に玄関のドアノブに激しく人差し指をぶつけてしまっていたのだ。痛い、と思 っただけで家を出た時は全く気づかなかった。しかし、緑間の家にたどり着いた瞬間、その悲しい事実に残念ながら 気づいてしまったのだ。




「痛いのか?」
「今は痛くない」
「なら良いだろう」
「良くなーい!」




は緑間と同じバスケ部に所属しているが、もちろんプレイヤーではない。爪が剥がれたからと言って、部活に支 障が出るわけではないし、日常生活に支障をきたすほどのことでもない。それでも、にとって爪が欠けることはおろか、剥がれるなんてことは、とんでもない悲劇になってしまうのだ。




「テーピングをしていないからそうなるんだ」
「真太郎くんじゃないんだからテーピングなんてするわけないでしょ!」
「じゃあ諦めて伸びて来るのを待つんだな」
「うわーん!待てないよー!こんな爪嫌い!」




も普通の女の子である。爪の形を整えたり磨いたりすることが好きだった。ツヤツヤになった形の整えられた爪 を見るのが、少し自分に自信がつくように感じられて好きだった。たまにネイルなんかをしたりして、女の子気分で いる時間などもたまらなく好きだった。それなのに、にとってその幸せな時間は、たった一本の爪が崩壊を呼んだだけで、見る見る崩れてしまう。




「馬鹿なのだよ」
「ひどい!真太郎くんならこの気持ちを分かってくれると思ったのに!」




緑間は先程からずっとの手を掴んだまま、それを穴が開くほど見つめている。自分で見せつけたにも関わらず、 予想外に長く見られている自分の可哀相な爪。何だか顔を見られるのと同じくらい恥ずかしさを覚えてしまったは、頬を少し赤らめながらも、自分の手を見ている緑間を見ていた。そしてふと、緑間が手から視線を外し、顔を上 げた瞬間、二人の視線の焦点が重なり目が合う。




「真太郎く」




もう、そんなに見ないでよーと言おうとしたの言葉は、緑間の唇に飲み込まれてしまった。静かに交わされたそ の唇の触れ合いに、ときめきと嬉しさを抑えられず、目を閉じることが出来なかった。手は相変わらず掴まれたまま、 時折指を撫でてくるようなその感覚に、心臓の音が少し速くなることを隠せない。離された唇は寂しさを覚えるもの の、手は触れ合っているままなであるので安心出来た。




「目くらい閉じろ」
「だって・・・ビックリしたから」




しかし、は次の瞬間もっと驚く光景を目の当たりにした。自分の手を掴んでいる緑間が、その人差し指に唇を当てて いる姿が目に写ったからだ。正直、唇に触れられるよりも心臓の音が荒々しく速くなる。普段の彼からは全く想像出 来ないその行為に戸惑いを隠せない。




「え、どうしたの!?そんな王子様みたいなことして」
「黙れ」
「うう、怒んないでよ」




王子様というキーワードを出した瞬間、緑間の顔に怒りマークがつくのが見えた。黙っていれば美形なのだか ら王子様みたいなのに、という言葉は、自身を危険にさらしてしまうと思い、はその言葉を掻き消した。




「俺は好きなのだよ」
「え?」
「例え1本不細工になったとしてもな」
「(不細工ってちょっとひどい)」




滅多に自分のことを好きと言ってくれない彼が、こんなにも真っ直ぐ言葉をぶつけてくれるなんて。爪のことだと しても、とてつもない喜びがこみあげてくる。この勢いで「も ちろん、お前こともだ」なんて言ってくれないかしらドキドキ、というの願いはもちろん叶わない。緑間はそん な単純な男ではないのである。そんなことは自身が一番よく分かっているので、特にショックを受けることもな い。むしろ緑間に好きと言ってもらえた自分の不細工な指さえも愛おしく見えて来るくらいだ。




「真太郎くん・・・」
のこの手や爪はバスケに向いてそうなのだよ」
「・・・ええ!?」
「シューター向きだ」
「ちょっと!そういうこと!?」
「さぁな」
「冗談だと言ってー!」




まさかバスケに向いているから好きだと言って来たのか、そんな戸惑いを隠せないまま、私のときめきを孕んだこの 純情な心を返して!と言うようには緑間へ詰め寄る。そんな素直で単純なに緑間は愛しさを感じ、いつもの 様子に戻った彼女に安堵しながら、のその腕を掴む。




「冗談ではない」




好きだと言う言葉はな、という緑間の台詞は口づけによって消されてしまったが、そんなことは言葉に出さなくとも には充分伝わっている。珍しく意地悪な顔をした緑間に、爪の先から蝕まれるように愛されるのが、今日のの休日なのだ。




貝殻は幸せを唄う

(もちろん爪だけではない、存在全てが愛らしいのだ)