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「もう敦くんとちゅーしたくないの」 彼女のこの一言は、目の前にいる男を固まらせた。 目の前の男、2mを超える大男をも簡単に固まらせ、黙らせることが出来る。 彼、紫原敦という男は例え人前だろうとどこだろうと、彼女であるに抱き着いたりキスをしたりを平気でする。 もちろん、それが学校の廊下であろうと、部活中であろうとだ。紫原という男はただ何も考えずに本能のまま動いてい るのだろう。しかし、彼女であるは普通の女の子だ。人前でそんなことをされれば普通に恥ずかしがる。 抱き着かれるのならまだしも、人前でのキスはとにかく激しく拒む。結局は紫原に押し負けてしまうことも多いのだが。 「・・・何言ってんの、」 「そ、そんな怖く凄んだって言った通りだもん!」 そんなある日。ついにが紫原に面と向かって「キスはしない」と宣言した。急な発言に、それも拒絶の言葉に 最初は驚いた紫原だが、流石は一流のスポーツマンといったところだろうか。すぐに冷静さを取り戻し、疑問をへ ぶつけ一歩一歩近づく。それに合わせるようには一歩一歩下がっていく。しかし、そんな追いかけっこのような事 が何時までも続くわけがない。紫原はその長い腕での細い腕を掴み、強くはないが逃がさない程度の力をこめた。 ちなみにここは教室であるが、周りは痴話喧嘩程度にしか思っていないらしく、特に誰も気にしている様子はなかった。 「何で?」 「な、なんでも!」 「何ソレ。言わなきゃ離さねーし」 理由は単純・明快だった。しかし、は何となくそれを言うのを躊躇った。彼女の中で恥ずかしい、という思いが あるからだろうか。頑なに言おうとはしない。もちろん紫原も諦めるつもりはない。しかし、部活まで時間がないと 感じたはマネージャーとして遅刻するわけにはいかないと思い、ついに理由を口にした。 「・・・なんだもん」 「え、何?聞こえなーい」 「ちょっと屈んで!」 紫原が屈んでもたかが知れており、女子の平均身長であるは少し背伸びをして紫原の耳元で理由を話した。 周囲から見れば内緒話をしているただのバカップルだろうが、慣れているクラスメイトはここでも微動だに反応しない。 「あのね、敦くんはよく甘いもの食べてるでしょ?」 「うん」 「私ね、実は甘いもの嫌いなの」 「うん」 「だからね、敦くんとちゅーすると私の口の中も甘くなっちゃうのがちょっとなーって」 「うーん」 「だからね、ちゅーしないことにしたの」 「・・・何ソレ。つーかだけが決めることじゃねーし」 「あ、ちょっと!まだ話を聞いて!」 「・・・何ー?」 「だからね、甘いものを食べるのをやめたら良いと思うの!」 は輝くような笑顔で言っていたが、紫原は反対に露骨に嫌そうな顔をする。が恥ずかしがっていたのは、 紫原とキスをすると自分の口の中も甘くなってしまう、ということを口に出すことであったので、これさえ言ってしま えば後は何ともない。スッキリとした面持ちで紫原の正面に立ち、人差し指を立てる。まるで良いこと言った!かと でも言うような態度だが、そんなことが紫原に通用するほど彼は物分りが良いわけではない。 「・・・何かそれ色々おかしくなーい?」 「え・・・な、何が!?」 「まずさ、甘いもの嫌いだっけー?」 「き、嫌いだよ!」 「でも、前に俺と一緒にチョコ食べてなかった?」 「(ギクリ!)」 そう、紫原の言う通りの今言ったことは全て真っ赤な嘘である。キスをしたくないとも思っていないし、甘いもの だって紫原の言う通り食べることが出来る。むしろ甘いものはの好物でもあるのだ。では、何故そんな嘘をついた か。紫原という人間に対して、何故そんな嘘をついたのか。もちろん紫原自身も、が今まで言ったことは怪しいと感じている。 「ああ、部活に遅れちゃう!さらば!」 紫原に事実を突き付けられ、動揺し慌てたはその場から去ることを選んだ。この「さらば!」という言葉には若干 周りのクラスメイトも「さらば!って何だよ・・・」と言いながら反応していたが、紫原自身はむしろ逆。 全く何も反応せずに動かない。彼女が急に猛ダッシュで走り去ったことに驚いたからだろうか。 彼女が去った瞬間に手を伸ばせば届いただろうし、追いかければ追いつけただろう。しかし、どうせ数分後に部活で会 うのだからその時にどういうことか一応聞いて、その後に思いっきり「ちゅーをしたくない」と言ったお仕置きしてやろうとう思うと、 今度はご機嫌で教室を出て行った。 *************************** 「ハァ・・・ハァ!ス、スイマセン!失敗しそうです・・・」 彼女が走りついた先は体育館だった。本気を出して全速力で走ったからか、かなり息切れをしている。 そこには既に何人かの部員がおり、スタメンメンバーも紫原以外は揃っていた。息切れをしている彼女の背中を そっとさそり、水を差し出すのは紫原とも仲の良い氷室だった。マネージャーと選手、逆だろうと誰もが思うだろうが メンバーの目は不思議と温かい。 「やっぱり無理そうか」 「敦くんのクセに意外と鋭いんですよ!」 「クセに、って酷い言いようアルな」 「とにかく、これ以上は私の身がもちませんんん!」 「で無理なら厳しいんじゃねぇ?」 「しかし、あと少しの気もするんじゃが・・・」 実はこれらはスタメンメンバーよりへ与えられていたミッションであった。 先日、試合会場で使われていた体育館から「最近ゴミが大量に落ちている」という連絡が、各学校へされたのだ。 そのゴミというのは、コンビニの袋や弁当の空箱、お菓子のゴミなど様々とのこと。流石にその辺でゴミを捨ててしま うような人間は部内にはいないと思う陽泉高校であるが、絶対にいないとも言いきれない。そして中でも可能性が 一番大きいとしたら、普段から常にお菓子を食べている紫原である。もちろん紫原がゴミをポイ捨てしたりはして いない、ということは常に近くにいるが一番よく分かっている。このミッションの真の理由は別にあるのだ。 それは紫原の必要以上のお菓子摂取だ。彼女でありマネージャーでもあるを含め、紫原のお菓子食べ過ぎには 誰もが少なからず心配をしていた。そこで体育館からの連絡は丁度良いきっかけだと思い、スタメンメンバーたちは 紫原のお菓子摂取量を少しでも減らそうとミッションを決行した。しかし、紫原のあの性格から、ただでは自分たちの言うことを聞かないだろう とメンバーたちは思った。そこで紫原が溺愛しているの言うことならば聞くだろうと思い、に依頼をした。 そして紫原と仲の良い氷室が、ただ言うだけでは説得は難しいと思いに「キスしたくないと言え」と何とも思いきった 指示を出したのだ。 「もー無理ですよ」 「諦めちゃいかーん!我が部期待の人材じゃ!体調管理はしっかりしてもらわなきゃの!」 「ふーん、そういうこと」 「え!?敦くん!?」 いつの間にかの後ろに立っていたのは、既に練習着に着替えを済ませていた紫原だった。 の頭に手を乗せているためか、自身はとてつもない圧迫感を感じていた。まるで壊れかけの人形のように ギギギ・・・とゆっくり首を回すとそこには何故か嬉しそうな顔をした紫原がいた。にとってはその顔は逆に 怪しい笑みに感じて仕方ないのだが。 「ごごごごめんなさーい!ヒネリ潰さないで!」 「ヒネリ潰しなんてしないし」 「敦、は悪くないよ」 「そうアル。むしろよく犠牲になってくれたアル」 「うわああ!私、まだ犠牲になってません!」 「つーか何で笑ってんだよ」 「えー、だってがキスをしたくないって言ったの嘘ってことでしょー?」 軽く半泣き状態であったの動きはピタリと止まった。確かに、先程までのことは嘘である。嘘をついたのにこうも 笑顔でいられると逆に怖くて仕方がない。この怖さは何度も経験したことがある。は直感で危機を感じ、 紫原の掌から脱出を試みようとするが、それは容易く阻止される。 「わ、私仕事する!」 「まずは今日嘘ついたお仕置きのちゅー」 紫原は彼女の頭の上に置いていた掌を彼女の首筋に移動させ、一気に抱き寄せ言葉通りちゅーをした。 しかし、それはいつも部活の時にはしているのとは少し違い、軽く唇を合わせるだけのものではなかった。 彼女の薄いピンク色の唇を貪るようにするその行為に、周りのメンバーはただ呆然とするしかなかった。 「ちょ、敦く・・・っ」 唇が一瞬離れたので「な、何するのー!?」と言おうと思っていたの言葉はあっさり紫原によって塞がれてしま った。本日2度目の濃厚なキスに2年コンビは平然としているが、3年コンビは顔を赤らめギャーギャー騒いでいた。 もちろん、の顔が出来るだけ見られないように、顔の角度まで紫原が計算しているのは、恐らく氷室しか分かって いないだろうが。 当事者であるは顔を赤らめる余裕すらなく、何とか紫原のジャージをきゅ、と掴むしかなかった。 それが伝わったのか、はようやく解放され肩で息をすると、紫原の体にそのまま抱き寄せられた。 「ねー、今日もう帰って良い?」 「っざけんな!お前何しに来たんだ!」 主将である岡村には刺激が強すぎたのか何か言える様子ではなかったので、副主将である福井が何とかフォローした。 紫原は「ちぇー」と言うとを体から少し離し、その真っ赤な顔に愛らしさを感じながら、今度は額に唇を落とす。 結局は紫原のお菓子過剰摂取も何一つ解決してはいないのだが、今のには既にそんなことを考えられる思考回路は ない。 「今日の夜、楽しみだねー」 紫原に耳元で囁かれ、彼女が恥ずかしさで気絶しそうになるのにそう時間はかからなかった。 |
生贄の果ては
天国と地獄