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「勝負よ、敦くん!」 彼女のこの声は体育館中に甲高く響いた。普段は男の運動部らしい暑苦しい声しか聞こえないこの体育館で、 彼女の凛とした声は意志の固さを象徴しているようだった。彼女は紫原の前に立ち、その小さな身体で可愛ら しくぴょんぴょんと跳ねている。 「おいおい、何だよアレ」 「あ、福井先輩。おはようございます」 「何でと敦が1オン1やってんだ?まぁ1オン1にもなってねーけど」 「それがですね・・・」 部活が始まる少し前。部員は全員揃っているわけではなく、徐々に人が集まってくる。先に体育館に来ている 人間は準備をしたりウォームアップなどを行ってる時間だ。練習中に比べれば遥かに穏やかな時間である。そ んな時、部員の一人が菓子折りを持ってきた。ここ陽泉は様々な出身者の人間が多いため、各自実家に帰 ったり、実家から大量の食材が届くと部活に持ってくる人間が多い。そして今日は九州出身の人間が、実 家から送られて来たお菓子をおすそ分けに持ってきたのだ。もちろん、成長期の彼らだ。みんな喜んで食べ、大量にあったそれは残 りひとつになった。しかし、ここでこの場にいる全員がある事に気付いた。それはお菓子に目がない存在の紫 原敦。そしてその彼の恋人であり、同じくお菓子が大好きな。お菓子は残りひとつしかない。さて、どうしたものだろうか。 「証拠隠滅で食ちゃえば良いアル」 「いや、待て劉。あの二人がこの甘い匂いに気づかないわけがない」 この場に3年がいなかったため、2年でありスタメンでもある氷室と劉を筆頭に、全員がどうしようかと考えていた。 しかし、タイミング良く・・・いや悪くと言うべきか。紫原とがやってきてしまったのだ。そして目敏くお 菓子を発見した二人は目を輝かせながら飛びついた。けれどもお菓子はひとつしかない。普通なら、恋人同士 でもあるこの二人だ。お互い譲り合いをすれば何ら問題はない。 「敦くん。一応聞くけど・・・譲る気は?」 「んー・・・ない」 そう、この二人は相手と同じくらいお菓子が好きなので、譲り合うということをしなかった。そしてお互いが譲 り合うなんてことをしない、ということも既に長い付き合いから分かっている。お菓子が絡むと二人の間には 遠慮や優しさなんてものがなくなってしまう。そこでは提案したのだ。・・・無謀にもバスケで勝負しようと。 「という感じです」 「何だソレ。つかもよくそんなこと言い出したな」 「まぁ敦の強さは誰もが分かってますから。特別ルールですよ」 勝負は10分。紫原がボールを持ち、それをが奪えば勝ちという単純なルールだ。は紫原を押そうがくすぐろうが何をしても良いことになっている。しかし、それでも余裕だと思う紫原は「しょーがないから片 手で持っててあげる」と言い、掌にボールを乗せたり指でくるくると回している。元々負けず嫌いな部分があ るはいくら恋人と言えど、いくら敵わないと分かっていても、その魂に火がついてしまった。 「だからって・・・無理だろ」 「いや、分からないですよ」 は女性の平均身長くらいの女の子だ。紫原の身長には到底敵わない。先程からピョンピョンと跳ねてはい るが、ただ跳んでるだけで届くどころか掠りもしない。紫原はただ退屈そうに立っているだけで勝てるのだ。 しかし、時たまの顔を見ると、少し汗を流しながら必死で自分へ向かってくる。そんな姿が可愛らしく 思えて、ボールの位置を低くしてみたりすると、は餌に釣られた金魚のようにそこへ向かってくる。けれ ども紫原にボールを渡す気はもちろんない。届きそうになったところでボールを再び高く上げるとがとても悔しそうな顔をする。その顔もまた愛らしくて、紫原は意外と退屈しないで済んでいた。 「つか・・・ただカップルがイチャイチャしてるようにしか見えねーんだけど」 「まぁ敦はそうでしょうけど、彼女は真剣ですよ」 「そんなにお菓子が食いたいのかよ」 「いや・・・多分敦は違う考えも持ってると思います」 「え!?あの敦が!?何を!?」 氷室の考えは的中していた。彼は続けて自分の推測を福井へと話す。「敦はしたたかな部分がありますからね ・・・特に彼女には。恐らく自分があのお菓子を手に入れて、それをじーっと見つめてくるであろう彼女に半 分あげたりするんじゃないですか。で、彼女が喜んで笑って自分の元へ抱き着いてくる・・・という思考でし ょう。え・・・?まぁ確かに敦は単純ですから、そういうことを計算でやったりするタイプじゃないですけど。でも、 ああいうタイプこそ、したたかであざとい部分があるんですよ。でも彼女も敦を惚れさせた子ですから。敦の 思い通りに行くとは限りませんよ」氷室はまるで可愛い後輩を見守るように笑顔で喋っていたが、福井には 氷室の笑顔も紫原と同じ種類に思えて仕方がなかった。そして、その話を聞いている間も紫原は楽しそうに、は一生懸命だ。けれども5分経った時、事態は動いた。 「こうなったら・・・えい!」 は一直線に紫原へ直進したかと思いきや、そのまま紫原に抱き着いたのだ。瞬間、周りのギャラリーたち も虚をつかれたのか、驚いたのか言葉を発することはしない。そして、それは紫原も同じだった。彼女であ るは休み時間中や部活中など、人前で紫原が抱き着いたりキスをしようとしたりすると、必ず嫌がるよう な子だった。嫌がるというよりは恥ずかしがっているようなので、その様子も紫原からしてみれば微笑ましい。 けれども必ず拒否をされるので、そんな彼女がこんな人前で抱き着いてくるのは驚きで仕方なかった。 「彼女・・・捨て身ですね」 「おう・・・」 そう、は恥じらいも何もかも捨てて、どんな手を使ってでも勝負に勝ちたい。そんな思いが行動に表れている ようだった。しかし、これからの未来が容易く想像出来る氷室や福井は、のそこまで勝ちにこだわる根性にあっぱ れと思いつつ、これから襲ってくるであろう未来に不憫さを感じて仕方がなかった。 「ねね、敦くん」 「え・・・何?」 「ちょっと顔下げて」 急に抱き着いてきた彼女、そして上目遣いで自分を見つめてくるその愛らしさと驚きに、紫原自身はまだポカ ンとしている。とりあえずの言う通りに頭を下げて顔を近づければ、先程より狭まる距離。心臓の音が速 いのは自分だけなんじゃないかという不安に珍しくも若干駆られる紫原。けれども次の瞬間、今度は一瞬心臓が止まっ たような衝動を味わう。この静かな体育館内で、ちゅ、という可愛らしい音がやけに響いたような気がした。 「うお・・・!キスしやがった・・・」 「はは、良い手ですね」 近づいてきた紫原の顔だが、それでもにはまだ高い。彼女は爪先立ちで背伸びをして、紫原の頬にくちび るを落としたのだ。そして落ちたのはのくちびるだけでなく、紫原が手に持っていたボール。あまりの驚 きに、紫原は掌に置くようにして持っていたボールを落としてしまったのだ。はその隙を逃さず、ボールが落ちたことを確認すると、勢いよく紫原から離れ、落ちたボールを手にした。 「やったー!敦くんに勝ったー!」 ボールを掲げて高らかに叫ぶ彼女。その姿は誰から見ても愛らしいし、正当な方法ではないとは言え、紫原か らボールを奪った数少ない人間だ。はお菓子の元へ向かい、微笑みながらそれを手に取る。けれども後ろから迫ってくる大きな影がに襲い掛かった。 「な、何・・・!?何でもして良いって言ったの敦くんじゃん」 「・・・何で?」 「え、何?」 「何で口にしてくんないの?」 「ええええ!?そっち!?」 ゆっくりと近づいてくる紫原。それに合わせるようにはゆっくりと後ずさる。しかし、紫原の一歩のほう が明らかに大きいので、その差はいとも容易く縮まる。どうして彼は拗ねているのだろうか、どうして彼は拗 ねているのに笑っているのだろうか。は背筋が凍りつくのを感じ始めていた。 「し、仕方ないなぁ。はい」 「?」 「半分あげる。本当は最初からそうしようと思ってたし」 「・・・食べさせて」 に拒絶の言葉を紡ぐなどという選択肢はない。その選択肢は紫原の目によって壊され、半分を紫原の口に 差し出すしか、今を生き抜く方法がないように感じた。自分の指にあるお菓子を食べる紫原に、可愛いといよ りも何故か心臓が急に速まるような感覚を覚える。見下ろしてくるその目が、妙に熱っぽいのだ。 「ありがと」 「う、うん。だ、だからもう離れ・・・」 「でもさー、可愛いし嬉しいんだけど・・・あそこまでされたら我慢出来ないし」 「我慢って・・・何!?」 この至近距離では逃げることは出来ない。は先程のボールを取った時の俊敏さを思い出すが、それも紫原に よって容易く押し潰される。の身体も同じように、紫原に抱きしめられることによって押し潰される。そん な紫原の腕の中で、は周りの部員の憐れみの目をいくつか見つけた。助けて!という視線を出しても、 誰も目を合わせてくれない。 「もう逃がさねーし」 紫原の復讐は監督の荒木が来るまで止まることはなかった。 |
刹那に瞬く星に
さよならを
(口にしてくんないなら良いよ。その代わり俺からいっぱいするから)