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たまたま見つけた裏道に迷い込んでみると、まるで童話の世界をさ迷っているかのような気分になる。この道を真っ直ぐ歩いていったとしても、どこへ辿り着くかは未知数。けれども、それが好奇心をかき立てる。不安なんてものは一切存在しない。そこにあるのは静かな時間の中でも、確実に世界は動いているということ。 「仁王くん、何考えてるの?」 ふたりで歩く時間は静かなことが多い。その静かさをふたりで共有しているのだから、何ら不便なんてものはなく、むしろ愛しい時間に変わる魔法のよう。特に、今みたいに閑静な住宅街を散歩のようにのんびりと歩いている時にはよくある情景だ。私は彼の隣で、彼に触れながら歩く。風や光、車の音や自転車のベルの音。すれ違う親子連れの会話や子供同士の笑い声。どんな音だって私にとってはBGM。今歩いているこの道は私が頻繁に使う道。毎日のように歩いているはずなのに、ひとりで歩くのと彼と歩くのでは目に映る世界が全然違う。彼と歩くというだけで、いつだって新しい発見や出会いがそこには存在するのだ。 「そうじゃのう、んことかの」 「またそんな適当なこと言って」 ただ、たまに彼が何を考えているのか無性に気になる時がある。彼の表情からは何も読み取ることが出来ない。ふとした時に鼻歌を奏でていたり、偶然遭遇した猫と戯れたり。特に猫と戯れている時の彼の顔は優しいだけではなく、楽しそうでもある。隣に私がいるのに!なんて言うほど子供ではないけど、人目も憚らず彼に頭や顔を撫でてもらったりしている猫に少しだけ羨望の目を向けてしまう。でも、彼はそういうのんびりとした、優雅で贅沢な時間を私と一緒に過ごしながら楽しんでくれているのかもしれない。 「適当なんかじゃないぜよ」 「はいはい」 「そういうは何考えてたんじゃ?」 「…今日のご飯、何食べようかなって」 「らしいの」 こんなにも彼について考えているというのに、素直にそれを伝えることも出来ずに色気のないことを口走る。私の口はプライドだけ無駄に高いようだ。けれど「らしい」と言ってもらえたということは、あの彼を欺けているということだろう。付き合い当初は翻弄されっぱなしの私であったが、彼と長い時間を一緒に過ごすことによって、どうやら少しは成長したらしい。今は彼だって騙すことが出来る自分に、ほんの少し優越感を感じながらも、どこか悲しい。せっかくの甘えられるタイミングを逃してしまったのだから。 「それじゃあ私が食べることしか考えてないみたいじゃん」 「俺はが美味しそうにご飯食べてるの見るの好きじゃけどな」 斜め上から降り注ぐ言葉は、おそらく与えられたチャンス。私の甘えを誘うようなその巧みな言葉は、私の喉を詰まらせた。おまけに心まできゅっと締めつける。どうやら「好き」という単純だけど嬉しい言葉に舞い上がってしまったようだ。けれど残念ながら、私にはこの言葉に適する返答が見つからない。「そうなんだ」とは言えないし「ありがとう」と言うのも可笑しい。結局頬を赤らめてモジモジするしかない、とっても憐れな姿を曝すことになる。 「な、何で笑ってるの!?」 「いや、照れとるも可愛いくての」 その笑い声でさえ、私の胸を高鳴らせる。その私の頭を撫でる手つきでさえ、私の体温を上昇させる。もし、ここが外ではなく室内だったら私は思い切って彼に抱き着いているかもしれない。それほどの欲を抑えるのはとても大変。そんな私の気持ちなどお構いなしに、彼は自然と私の手を誘拐する。握られた手から漏れる温度がこれ以上逃げないように、隙間なく繋がれるともう離れたくなくなってしまう。 「仁王くん、やっぱりズルい」 「何がズルいんじゃ?」 私をドキドキさせるところ!と思いっ切り言いたいけれど、そんなことを頬を赤らめたこの状態で伝えてしまったら、それこそ彼を余計に楽しませてしまう。だから何も言わない。顔も彼から背ける。それでも握られた手は離せないのが、やはり惚れた弱みというべきか、残念な話である。 「俺はちと悔しいぜよ」 「何が?」 「俺だけんこと考えとるみたいで」 くちびるの端を微かに上げた彼の表情をすべて見ることは出来なかった。けれど、余韻さえも残るその表情は、とても妖艶で恍惚。瞬きをするのも忘れてしまうくらいの美しいとまで言えるその顔は、ついに私の時間を止めてしまった。童話の世界でもない、少女漫画でもドラマでも映画の世界でもない、確かな現実。迷い込んだこの道で繰り広げられる、彼と私だけの時間。 「ズルいのはの方じゃろ」 耳元に寄せられた彼のくちびるに、触れてはいないはずなのに温度を感じる。先ほど一瞬だけ見えた愉快そうな彼のくちびるは今、私の耳元にある。脳に直接響くようなその声音に耳を澄ませる余裕なんて、とてもない。声を出すことさえも忘れてしまう。いや、私が今声を出したところで、この激しく鼓動する心音には敵わないだろう。 「俺を欺こうとしたんじゃから」 結局、私に彼を欺くことは出来ない。結局、私は彼には敵わない。耳に落とされた言葉を振り払いたいはずなのに、まるで花びらを拾って胸に飾ろうとするかのように留めてしまうなんて、愚かも良いところである。彼を欺こうとし、責められているはずなのに、罪悪感なんて申し訳ないことに全く生まれない。だって、優しい声で囁くから。 「じゃけえ、そんなも可愛いから許しちゃるぜよ」 止まっていた時がようやく動いた瞬間、風が頬を撫でるかのように彼のくちびるが私の頬に滑り落ちた。 |
秒針が
駆け抜ける
(のことばかり考えとるんじゃ、それくらいお見通しに決まっとるじゃろ)