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波の音が気持ち良いなんて夏だけじゃないだろうか。手を擦りたくなるほど寒い上に、周りに人もいないか らか、冬はこの音が少し寂しくなるような気がする。ひとりで何かを考え込むには良いのかもしれない、なん て昔思ったことがあるけれど、どうやら私には少し難しそうだ。この凍えるような身体を海に捧げて、自分と 向き合えるほど、私はまだ大人ではない。 「冬の海って好きじゃないなぁ」 「行きたいって言ったのじゃろ」 「だって、仁王くんと行ったら少しは好きになると思って」 それでもひとりで海に来るよりは遥かに楽しいし、気持ちが良い。寒さだって少し和らぐ気がする。彼が隣 にいるからだろうか。彼が隣に存在しているというだけで、何だか身体の内側が少し温まる気がする。もちろ ん身体の外側に触れる風は冷たい。体感温度は変わらず寒いまま。けれど気持ち次第でその意識を変えるよう とすることは私にだって出来る。 「随分と可愛いこと言ってくれるの」 「本当のことだもん」 「で、実際どうなんじゃ?」 「んー、微妙」 「何じゃ、可愛くないの」 「ふんだ」 心が温かければ身も暖かい、などという言葉をよく聞く。その意味も何となく分かる。現に今、私だって 彼のおかげで温かくなったような気がした。それでもやっぱり寒いのは冬の海という環境のせいだろう。こ れでは到底、冬の海を好きになれそうにはない。たまに「海を見ていると、その壮大さに自分の悩みなんて ちっぽけに感じる事が出来る」というようなことを聞くが、そういったことも感じられない。これも冬のせ いだろうか。何だか涙が出そうになる。これも寒さのせいだろうか。鼻が冷たくなるのを感じながら、言葉も 出せない。何も喋らず、ただその地平線をゆったりと眺めるだけ。 「俺は嫌いじゃないぜよ」 「何が?」 「今日みたいな冬の海」 「意外、仁王くんって寒いのも苦手だと思ってた」 彼は何も言わずにふっ、という笑みを漏らしただけ。そして砂浜をゆっくりと歩き出す。この不安定な砂の 上だって、夏にサンダルや裸足で歩けばとても愉快になれるのに、その愉快を通さない靴を履いているだけで 、何だか砂を拒否している気分になって少しばかり罪悪感が生まれしまう。けれど、彼の足跡のすぐ横に私の 小さな足跡が砂に刻まれていくのは何だか悪い気がしない。いつかは波で消えてしまうということは分かって いても、こればかりは夏だろうと冬だろうと少し楽しい。 「も寒いの嫌なんじゃろ?」 「嫌だよ」 今だって手を擦り合わせて息を吹き掛ける。気休め程度にしかならないその温もりに、私は一体何を求めて いるのだろうか。いや、その温もりには何も求めていない。求めているものは、本当はただひとつ。 「そんなこと言うとるくせに手袋はしとらんの」 ふと彼を見ると、これまた何もかもお見通しのような顔で私を楽しそうに見ていた。わざと家に置いてきた 手袋が可哀相。いや、これでようやく報われるだろうか。同時に私の冷たくなってしまったこの手も、ようや く一筋の光にたどり着いた。 「仁王くんの意地悪」 「は分かりやすいんじゃ」 「始めから分かってたんでしょ?」」 「まぁの」 「意地悪!」 「ほら、怒らんと手出しんじゃい」 憎まれ口を叩きながらも、素直に右手を出してしまう自分がまさに憎い。寒いから、というわけじゃなく、彼 がようやく手を繋いでくれることが嬉しくて、すぐに手を差し出してしまったのだ。その手が温もりに包まれ ると、驚くほど熱い。彼の左手はこんなにも温かかっただろうか。手を繋ぐなんてこと、もちろん初めてではない。なのにまるで初めてその手に触れたかのように 、ドキドキしてしまう少女のような自分が少し恥ずかしい。きっとこの予想以上の温もりのせいだ。 「の手は相変わらず冷たいの」 「仁王くんが珍しく温かいから」 「俺はコレじゃ」 「あ!ホッカイロ!」 「おかげで手はポカポカぜよ」 「・・・ずるい!」 彼のポケットから出て来たのは手に収まるほどのホッカイロ。その小ささとは反して、ずいぶん熱を持っ ているようだ。これなら彼の手がいつも以上に温かいのも頷ける。けれど、まさかひとりホッカイロで暖を取 っていたなんて、少し寂しい。ずるいとは言ったが、それはひとりで暖を取っている彼がずるいと言うわけで はない。彼をいとも簡単に温めてしまうホッカイロに対して、ずるいと思ってしまった。私だって彼のことを 温めてあげたいのに。 「をあっためるためじゃよ」 しかし、彼のこの言葉のあと私はすぐに後悔した。ホッカイロにずるいなどという妬みの感情を抱いてしま ったことに。彼を温めてくれた存在だというのに、そして温まった彼は私を温めてくれたというのに、何て醜 いことを思ってしまったのだろう。お願いだから寒さのせいにさせて。 そして充分に暖かくなったホッカイロは私の左手にやってきた。これではもう寒いなんて言えない。実際、心 だけじゃなく手もポカポカなので寒いという感覚は今ではもうそんなにないけれど。 「でも、これじゃあ仁王くんの右手は冷たくなっちゃうじゃん」 「俺は大丈夫ぜよ」 「何で?」 「人もほとんどいないからの」 「いや、意味わかー」 頬を撫でる風が特別冷たいからだろうか。私の唇を撫でる彼の唇は火傷してしまうほどの熱を持っている 。それとも彼の唇に触れた私の熱さが伝染したのだろうか。唇が重なっている今ではどちらか分からない。離 れてもまだ余韻が残る私の唇は、身体全身に熱を持たせる魔法にかけられたみたい。 「・・・大胆だね」 いつもそうだけど、今日はもっと大胆。こんな壁も仕切もない世界で、さらりと口づけをしてくるなんて思 わなかった私は、マフラーで顔を半分隠して恥じらいごと誤魔化すことしか出来ない。 「こんな広いとこでにこんなこと出来るの、冬の海だけかもしれんじゃろ」 けれどそんな小細工さえもあっさり奪ってしまう彼。少し顔を上げて唇が風に触れたと思えばまたすぐに熱 を帯びる。この寒暖差が何だか病み付きになりそう、だなんて。 嫌いだった冬の海にさよならを告げれば、そこには春の風が吹く。 |
静かな青に初恋
( と一緒じゃったら冬の海も寒くないぜよ )