少しだけ背伸びをして買ったソファーは、青山を歩いているときにふらりと訪れたインテリアショップで一目惚れした。ワンルームのせまい部屋に合う大きさだけど、それでもわたしの身体をすっぽりと包み込んで余る程には大きい。ふわふわと雲みたいな座り心地もお気に入りだけど、なんと言っても脚のディティールが最高にかわいいと思ってる。部屋を借りた当時は友人や恋人、他人が部屋に来ることをあまり想定していなかったから、誰かが来たときは必然的にこのソファーに頑張ってふたり並んで座るか、ひとりはラグやクッションの上に座るかになるけど、蘭ちゃんが来たときは蘭ちゃんがソファーに座って、わたしが蘭ちゃんをソファー代わりにするかのように座ることが圧倒的に多い。背の大きい蘭ちゃんに「せまくて嫌でしょ?」と聞けば「全然」とむしろご機嫌顔で言われる。
「そんなに見ないで」
「んー?」
燦々と降り注ぐ陽の光は、肌をじりじりと刺激する。少し前まで、部屋にいる時はキャミソールとショートパンツ、それにアイスを食べていれば何とか凌げていたけど、最近はそれらに加えて冷房も必要になってきた。外に出掛ける時はサンダルがメインになって、何もしていなかった爪先に彩りを持たせたくなったのは自然の摂理だと思う。
ソファーの上で片膝を立てて、先日買ったばかりのネイルポリッシュを塗る。元々この夏の足のネイル用で選んだから少し華やかな色のものにしてみた。偏光パールが入っていて、瓶を眺めているだけでもそのうつくしさに恍惚してしまう。後ろから抱き締めるように座ってる蘭ちゃんが少し邪魔だなと思いつつも、ハラリと落ちてきた横の髪を耳の裏にかけ直してくれるからやっぱりやさしい。お礼を言えば「どーいたしまして」と相変わらず楽しそうな声が降ってきて、そのままわたしの髪を反対側に寄せてくれた。当たり前みたいに与えてくれるやさしさに少しうれしくなったけど、片足5本塗り終わってこちらが一息ついたタイミングで、耳に息を吹きかけられ頸動脈を撫でるようにくちびるを滑らせてきた。驚いて色気のない声を出してしまったと同時に、持っていた瓶を落としそうになっているわたしの後ろで、口角に弧を描いている蘭ちゃんが容易に想像できる。火照った心臓を誤魔化すために自分の脳をフル回転させ、無理矢理何か会話をしようと思った。
「ネイルって足の爪にやるのも意外と難しいんだけどさ、竜胆くんってこういうの上手そうじゃない?」
「あ?」
「なんか器用そうなイメージあるよね」
「…」
「え、蘭ちゃん?聞いてる?」
「…ちょっとそれ貸せ」
「え?!」
まさかそんな事を言うなんて微塵も思ってなくて、驚いているわたしの頭をひと撫でしておまけに短いキスをひとつ落としてソファーを下りる。ラグの上に腰を落とした蘭ちゃんの親指が、わたしの足の甲にやわらかく触れて、残りの4本は添えるように足の裏に触れられた。少し冷たい指と普段誰からもなかなか触れられることの無い場所だけに、緊張が止まらない。でも、頬を撫でるみたいにやわらかく触れてくれるから、たくさんの感情が交錯して、わたしの心臓を余計に忙しくさせる。
「塗り方よく知ってるね」
「の見てたからなあ」
「すごい、上手でびっくりする」
鼻歌を奏でそうなくらい楽しそうにやってくれている蘭ちゃんが少し意外だった。そういえば、この角度で蘭ちゃんの顔ってあまり見たことがないよう気がする。頬に影が落ちそうなくらいまつげは長いし、鼻筋はスッと通ってる。肌もわたしよりキレイで白いんじゃないかと疑ってしまうくらいで、バランス良く配置されたパーツがうつくしさを形成している。ずっと眺めてられるなとぼんやり思っていると「っていうかオマエ、爪もだけど足小せーなぁ」なんて言ってくるから「標準サイズだよ」と普通に返したけど、顔を見過ぎてることに気づかれたのかと思って一瞬焦った。
意外と言っては失礼かもしれないけど、すごく丁寧に爪の際まで塗ってくれるから、むしろわたしが塗るより上手な気がしてしまう。わたしみたいに集中しなくてもキレイに塗れてしまうところがまたすごい。花が咲くみたいに華やかになっていく爪が、パールの輝きでより眩しく感じる
「でーきた」
「え、すごいキレイ!ネイルサロンでやってもらったみたい」
「完璧だろー?」
「うん、ありがとう」
10本うつくしく彩られた爪に驚嘆が隠せない。子どもみたいに足をプラプラさせてしまい、昂る気持ちが抑えられず頬のゆるみが止まらない。どのサンダルでどこに行こうかな、と考えるのさえ余計楽しく感じる。今年の夏のデートスポットはどこが人気かとテーブルの上に無造作に置かれていた雑誌を手に取ろうとすると、蘭ちゃんが乾いていないネイルに触れないよう足首を掴んできた。一瞬だけ視線が交わって、疑問を投げかけるよりも早く、流麗な動作で内側の少し出っぱっている脛骨の末端にくちびるが落とされる。びっくりして思わず足を勢いよく自分の方へ戻そうと思ったけど、当然それは蘭ちゃんの力強い手によって阻まれ、ソファーが少しだけガタッと揺れた。
「足…汚いから」
「んー?汚くねぇよ」
戸惑いと羞恥で全身の血液がどんどん熱くなっていく。肌を這うように脹脛、膝と蘭ちゃんのくちびるが優婉さを孕みながらゆっくりと近づいてくる。大きな骨張った手がわたしの膝を包みこみ遊ぶみたいに撫で回すので、静止するように自分の手を重ねて抵抗の意志を示してみた。けど、その手はあっという間に下に置かれていた蘭ちゃんの指に力強く絡めとられる。膝を閉じて阻もうとしても、過程と結果は先程と同じで無駄な足掻きとなって終わった。あっという間に太腿までやってきたくちびるは、内出血を示す赤い痣を生み出していく。
「え、ちょ、ちょっと待って」
もう片方の脚にもと言うようにランダムに灯っていくその赤は、まだ焼けていない肌をより白く見せているような気がして眩暈がしそうになった。時折蘭ちゃんの髪が脚に触れてくすぐったい。せっかく塗ってもらったネイルが崩れたら嫌だと、距離が縮まった蘭ちゃんの肩を叩いて静止の合図を送る。こちらを見上げたふたつの瞳孔を、ようやく真っ直ぐにとらえることが出来た。いや、出来たというよりとらえられたと言った方が正しいかもしれない。時も呼吸も止まったみたいに瞬きをすることさえ忘れてしまう。
「もちろんご褒美くれるよなあ?」
座っていても立っていても、いつも身長の高い蘭ちゃんが上からわたしを見てくることの方が必然的に多いから、下から見上げられるのが新鮮で仕方ない。熱くなってしまった耳の輪郭をなぞり、首筋をスーッと指で触れる程度にやさしく撫でられたかと思うと、うなじを力強く掴まれて勢いよく引き寄せられる。もう一度「待って」と言いかけた言葉は、すべてを言い終わる前にお互いのくちびるが勢いよく重なった衝動で潰されてしまったらしい。いつの間にか情欲を抱いてしまったわたしの愚かな双眸が、ゆっくりと閉じていく。
「そんな顔されて言われても待てねぇよ」
