※梵天軸のお話となります


 誕生日でも記念日でもなんでもない日に、赤いリボンでラッピングされた少し大きめの箱がメッセージカード共に突然宅急便で届いた。箱を開けて視界に映ったのは、繊麗としたピンヒール。そして堂々と優雅に輝く漆黒の光沢と、裏に宿る艷やかでまぶしい真紅。その美しいハイヒールは、わたしの虹彩をまぶしく揺らした。



 エントランスから続くラグジュアリーな雰囲気が永遠と続くのではないかと錯覚するほど、このホテルは品の良い調度品や華やかさで溢れている。少し見上げるだけで視界に入る煌びやかなシャンデリアが、この空間をより贅沢な雰囲気に創り上げているようだ。会場の入り口で受け取ったシャンパングラス片手に、オードブルを口に運ぶ。立食パーティーで出てくる料理なんて大抵大したことないと思い込んでいたけど、流石超高級ホテル。エビと野菜のテリーヌやらサーモンとクリームチーズのカナッペやら、正直料理名を聞いても説明できるほど理解していないけど、お酒が勝手に進んでしまうくらい美味しい。
 表向きは会社の記念パーティー。だけど、取引先含めこの場にいる半分くらいの人間はおそらく裏の世界の人間に違いない。社内でも一部の人間しか知らないらしいけど、どうやらわたしが毎日頑張って身を粉にして働いているこの会社は、大声で言えない団体と繋がっているらしい。もちろん基本は普通のIT会社なので、ほとんどの人間は何も知らずに働いているし、わたしだって以前はそうだった。ただの受付のわたしがどうしてそんな会社の重大機密を知っているのかというと、恋人がそちらの世界の人間だからだ。

「おい」
「あ、竜胆くん。久しぶりだね」
「オマエ顔赤くね?もうそんな飲んでんのかよ」
「結構挨拶に来てくれる人が多くて乾杯ばっかしてる」
「あんま飲み過ぎんなよ」

 記念パーティーなんて堅苦しく謳っているようだけど、まだまだ若いベンチャー企業。自由な社風が売りの実力主義な会社のため、個性的なビジュアルの人も多くどんな見た目でもあまり驚かない。今わたしに声を掛けてきた竜胆くんも、普通のつまらないスーツをパリっと来たサラリーマンばかりが所属している会社だったら目立つかもしれないけど、この場ではすごく目立つというわけでもない。ただ、圧倒的な顔やスタイルの良さでやっぱり目立っている。ノースリーブで露わになった腕に、女性陣からの視線が刺さるようで居心地が悪い。

「蘭ちゃんは?今日来てるよね」
「あー…あっちでつかまってる」
「ほんとだ…相変わらず女の人に囲まれてるね」
「オレそろそろ行かなきゃなんねぇけど、変なのに絡まれたりしたら声掛けろよ」
「うん、ありがと」

 竜胆くんが去っていくと、それが合図だったかのように色々な男性が声を掛けてきた。恐らくわたしが受付だから見覚えがあるのだろう。社内の人間だけでも数百人、それに加えて取引先の人間たち全員の顔と名前を把握しきれるほど、わたしは優秀ではない。「受付のさんだよね?」「なんか食べるもの取ってきてあげようか」と代わる代わる乾杯と声掛けが止まらない。もう何回この高そうなグラスを鳴らしたことだろう。グラスの中で揺れるシャンパンゴールドが、何度も口の中で弾けた。最初はあのシュワっとした炭酸と深い酸味、それからこの雰囲気に陶然としていたのに、今となってはただ喉を潤す液体と化してしまっている。

 酔ってはいないつもりだけど、身体の火照りを内側からじんわりと感じたので、タイミングを見計らってテラスへ出ることにした。人は疎らで、丁寧に手入れされているのであろうバラたちがガーデンライトのやわらかい光で美しく輝いている。頬を撫でる風が、熱を帯びている身体に心地よい。パーティー終了まで、この穏やかでやさしい雰囲気に一人包まれて、残っているシャンパンをゆっくり飲みたい。そう思っていたところで、ひとりの男性に声を掛けられた。

「あれ、さん?」
「え?えーと…確かいつも出張のお土産とかを下さる営業部の…」
「そうそう!」

 シャンパン片手に、派手過ぎないストライプスーツで堅苦しさを感じさせない雰囲気から、営業部特有の雰囲気が漂っている。然し、残念ながらどんなに脳を刺激しても肝心の名前が出てこず、ズルいと分かっていながらも首にかけられている社員証を薄目でチラっと見た。確か最近成績が好調と聞く噂のエース営業マンさんだ。乾杯、と一方的にグラスを当てられる。

「少し赤いね。今日ずいぶん飲んだ?」
「そんなことないですよ」
「ねぇ、じゃあパーティー抜け出して二人でゆっくり飲み直さない?」
「え?」
「つまらないでしょ?行こうよ」
「それは、」
「それは無理ー」

 聞きなれた声なのに、後ろから降ってくるいつもよりワントーン低いその声色に、心臓が明確に鼓動する。ハッキリと拒絶の言葉を答えてくれたわたしの恋人は、手に持っていたシャンパングラスをわたしから取り上げると、一気にぜんぶ飲み干してくれた。目の前の営業部エースの彼は、突然現れた蘭ちゃんのあからさまで嘘くさい笑顔の迫力と圧力に飲み込まれているのか、口を開けたまま静止したように動かない。

「あれ、蘭ちゃん」
「あれ、じゃねぇよ。探しただろー?」
「え、なんで?」
「とりあえずここから抜けんぞ」

 露わになっている肩口が、蘭ちゃんの大きな手でギュッと包み込まれるように抱かれる。そのまま誘拐されるように連れて行かれるので、唖然としている営業部の人にとりあえず頭を下げたけど、恐らく蘭ちゃんのインパクトが大きすぎて認識されていないだろう。会場は相変わらず賑わっていて、男性も女性もパーティーという名目もあり今日はみんな華やかだ。その眩しさに自分が霞んでいるように見えてしまっていたけど、プレゼントしてもらったピンヒールのおかげで姿勢は自然と美しくなる。転んでしまわないかの不安もあったけど、今は蘭ちゃんが隣にいるという漠然とした理由ながらも絶対的な安心があるから、堂々と優雅に歩けているような気がしてしまう。「抜けていいの?」と聞けば「この人数なら何人か消えても分かんねぇだろ」と返ってきたので「そうじゃなくて、仕事。蘭ちゃん仕事いいの?」と、蘭ちゃんが後で誰かに怒られたりしないか不安で聞いてみると、薄く弧を描いたくちびるに人差し指をあてている。その表情があまりに艶麗で、何も言えなくなってしまった。

「あれ?ホテルの出口ってあっちじゃ…帰らないの?」
「帰らねーよ。上に部屋取ってるから」
「え?!ここ超高級なのに人気過ぎて部屋が全然取れないって有名じゃなかった?」

 時間も時間だからか、パーティ会場を出るとホテルに来た時は賑わっていたロビーが静寂につつまれていた。人がいないからか、逆にロビーの荘厳さのようなものを改めて感じる。ホテルから出るのかと思いきや、エレベータの前に連れて行かれたので不思議に思っていたけど、まさか部屋まで取っているとは思わなかった。SNSやテレビのニュースでも度々話題になっているこのホテルで、会社の記念パーティが開催されるだけでもすごいと思っていたけど、きっとわたしの知らない権力が働いていたのだろう。わたしの疑問に答える代わりにくちびるが重ねられて、かわいらしいリップノイズが静かな空間に響くように感じた。顔が自然と綻んでしまいそうになったけど、もし誰かに見られていたらどうしようと周りを見渡してしまう。ホテルスタッフの人はともかく、もし会社の人に見られていたら恥ずかしくて仕事になんて行けやしない。

「で、さっきのあの男、誰?」
「えーと…確かうちの会社の営業部で割とエースの、名前は…あれ?忘れちゃった」
「…オマエ、酔ってる?」
「酔ってないよ、多分」
「ふーん…まぁそこまで分かってれば充分だな」

 どういう意図で聞いてきたのだろうと首を傾けて蘭ちゃんの方を見ると「ん?またちゅーしたくなった?」なんて甘ったるい表情で言われるので、そんなつもり全く無かったのに誤魔化したくなるような感情に駆られてしまい、慌てて視線を逸らした。肩を抱いていた大きな手が、慈しむみたいにわたしの頭をやさしくポンポンとする。ヘアアレンジを崩さないよう、大きな骨ばった手からは想像できないくらい繊細に触れてくれるから、こころが少しくすぐったい。

「そう言えばその靴、にすげー似合ってる」
「そうコレ!急に靴プレゼントしてくれて、しかもこれでパーティー来いって書いてあるからびっくりした」
「前にたまたまその靴の店の前通りかかったとき、に似合いそうだなーって思ったけど正解だったな」
「すごい嬉しかった、蘭ちゃんありがとう」
「どーいたしまして、でも足痛いの無理すんのは良くねぇな」
「え?」

 どんな靴でも、新しく履く靴は必ずと言っていいほど今まで靴擦れしてきたので、自分ではそこまで違和感や痛さを感じていなかった。それより、このピンヒールのおかげで背中がまっすぐスッと伸びて脚も美しく見せてくれるような気がするから、自分に自信を与えてくれるアイテムだと思うと余計嬉しくなって、痛さなんて気にしてなかった。「すぐにでも抱きかかえて連れ去ってやろうかと思ったけど」と、わたしが人前でそんなことをしたら怒るからと我慢してくれたらしい。いつから気にしてくれていたのだろう。あの会場ではお互い存在する世界が違っていただろうに、少しでも気にかけて貰えていたのかと思うと、ふたりだけの特別な空間を共有出来たような感覚がして、つい嬉々としてしまう。

「だって蘭ちゃんから貰った靴だもん、履いてたいじゃん」
「うれしーけど、が痛いの無理すんのはオレがヤダ」
「ヤダって…無理してたわけじゃないし靴擦れなんてすぐ慣れるよ」

 ようやくエレベーターが到着した。扉が開くと、重厚だけど洗練さを感じられるエレベーター内にバラが1本飾られている。建物を上下行き来する箱の中でさえ非日常感が溢れている光景に感動していると、腰を抱かれてそのままエレベーターに乗せられた。部屋の中は一体どんな感じなのだろうと期待に胸を膨らませていると、いつの間にか壁と蘭ちゃんに挟まれている。蘭ちゃんの親指はわたしの頬骨の上をそっと撫で、腰に巻きついて余った手はウエストのくびれラインを厭らしく撫でていた。さっきのかわいらしいくちづけとは正反対の、濃厚でとけるようなくちづけが思考を麻痺させる。舌が絡み合う水音は耳殻を刺激するし、甘く漏れる吐息からは、シャンパンの香りが漂う。眩暈がしそうになって、縋りつくように蘭ちゃんの高級そうなスーツにグシャリと皺を寄せてしまったけど、それさえも愛でるかのように上からやわらかく手を重ねられた。

「ちょ、蘭ちゃん、ここエレベーター」
「んー?最上階フロア専用のエレベーターだから誰も来ねぇよ」
「でも他に泊まる人いたら…」
「オレたち幹部の貸し切りだからへーき」

 首筋をなぞるようにベロリと蘭ちゃんの舌が緩慢と這う。お酒とは違う、身体の内側から生まれる熱に身を捩らせると、ピンヒールを履いたわたしの身体は一瞬バランスを崩してしまった。けど、蘭ちゃんの力強いホールドによって転倒は免れる。「酔ってんの?かわいー」と囁くように言われたけど、そうじゃないと言える余裕はわたしには存在してなかったし、そうじゃないと分かってるくせにワザと言ってくる蘭ちゃんのこともわたしは分かってる。

「いつもより蘭ちゃんの顔が近い…」
「キスしやすくて良いだろ?」

 世の女性を虜にし美しく見せてくれる華奢なピンヒールは10cm近くあるため、必然的に蘭ちゃんとの距離も埋まるように近くなった。いつも立っているときは蘭ちゃんがわたしの高さに合わせるように屈んでキスをしてくれるし、たまに意地悪でなかなかしてくれないとわたしが頑張って背伸びする。「一生懸命つま先立ちするオマエもかわいーけど」って言って、まるでもう部屋の中みたいに情欲に溢れた双眸が向けられるから、色々な感情が入り混じって全身をかけ巡る血液が熱くなる。

「つーかほんとどんだけ飲んだんだよ、身体熱過ぎ」
「…蘭ちゃんのせいじゃん」

 睨むような瞳を向けたけど、どうやらそれさえも蘭ちゃんには扇情的に映ってしまったらい。壁に追いやられてもう逃げ場なんて無いし今更どこにも行かないというのに、両耳を塞ぐように顔を掴まれ、お互いのくちびると絡み合う舌から生まれる甘い音が脳を直接刺激する。

「じゃあ責任取ってやるよ」