ベッドの上で惜しみもなく投げ出された、スカートから伸びる白い脚。決して細すぎるわけではないけど、充分華奢なその体躯は俯せの状態でベッドに沈んでいる。頬杖をつき鼻歌を奏でながらテニス雑誌をパラパラとめくっているが、あまり興味がないのか読んでいるというよりは、ただ眺めているだけのようだ。当たり前のように自分の部屋の中に存在している彼女は、自分にとっていったい何者なのか毎回考えを巡らせるものの、結局のところ「幼馴染」という陳腐な答えに落ち着いてしまう。けど、きっと求めている答えではないから、いつも納得できずに彼女が部屋に来るたびに同じことを考えてしまうのかもしれない。

「おかえりー」
「ただいま」
 
 練習が終わって帰宅すると、週1くらいの頻度で彼女は俺の部屋にいる。たいていベッドの上で今みたいにごろごろしているか、ソファーの上でスマホを触ってるか、チェアに座って子どもみたいに足をブラブラさせながら宿題をしているかだ。宿題をしている時は、大抵分からない問題があってそれを俺に教えて欲しいというためらしいけど。たまに早く家に帰ると、後から彼女がやってくることも多い。ノックはするものの、躊躇いもなく入ってくる。むかしはそれでも良いと思っていたけど、むかしと今では状況が違う。
 
「今日、仁王くんどうだった?」
「どうって、今日もふつうだよ」

 寝そべっていた身体を起き上がらせ、理解出来ないほどの笑顔で仁王の様子を聞いてくる。もはや「おはよう」と同じくらいの感覚で当たり前みたいに毎回尋ねてくるから不思議だ。ふつうだよ、なんてつまらない答えでも彼女は何がたのしいのか「そっかー」と破顔した。今はもう慣れたけど、しあわせそうな表情過ぎて些か驚かされる。十何年もいっしょにいたのに、そんな恍惚としたような表情を浮かべるなんて全く知らなかったから。「それ、毎回聞くね」と問えば「だってテニス部って練習多いからなかなかデート出来ないんだもん」とくちびるを尖らせて拗ねた子どもみたいに言ってくる。校則では禁止されてる色つきのリップグロスが、余計に彼女を恋する乙女へと変身させている気がする。毛先をくるくるしながら遊んでる指先は、うすいミルキーピンクのマニキュアが塗られているようだ。そんなとこ、じっくり見ないときっと誰も気づかない。

「テニス部の練習が多くて仁王くんとなかなかデートできません。部長さま、何とかして」
「…何度も言うけど、仁王はやめた方が良いと思うよ」
「どうして何度も言うの?」
の手に負えるような男じゃないから」
「じゃあ弦一郎くんだったら良いの?」
「もっと良くないね」
 
 くすくすと笑う彼女が仁王の恋人という存在になって3ヵ月くらいだろうか。たまに俺の部屋に来ては仁王のことを聞いてきたり、仁王とのことを惚気るように話したり。しあわせそうな彼女を見るのは嬉しい反面、それだけの感情で済ませられるほど残念ながらまだ大人じゃなかった。
 中学に入って部活で忙しくなっても、家が近い彼女といっしょにいる時間はそんなに減らなかったような気がする。彼女自身はテニスをしていないけれど、よく試合を見に来てはくれたし、彼女の家が飼ってる犬の散歩をしに海をのんびり歩いたりもよくしていた。けど、そんな風にいっしょの時間を過ごしているうちに、彼女はいつの間にか仁王に恋をしていて、いつの間にか告白をしていて、いつの間にか付き合っていた。仁王と付き合うと聞いたときは、なんとも形容し難い感情におそわれたのを今でも覚えている。どうして仁王なのか、けど仁王以外の誰かだったら良いのか。もしかしたら俺を置いてけぼりにして大人になってしまうことに対して、さみしさを覚えたのかもしれない。
 
「…精市は本当にやさしいよね」
「急にどうかした?」
「お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなーって思って」
みたいな妹はお断りだよ」
「ひどい!こんなに信頼してるのに」
「それはどうも」
「多分、精市と付き合える女の子はぜったいしあわせだと思う」

 お世辞でもなく屈託のない笑顔でそんなことを言われてしまえば、もう天使なのか悪魔なのかも分からない。いや、彼氏がいる身分で、幼馴染とは言え他の男の部屋のベッドで寝転がるなんて無垢な悪魔以外の何者でもない。これ以上の顔を見ているのは良くないと俺の中の何かが警鐘を鳴らして、デスクの上に数学の宿題を広げて向き合うことにした。けど、おどろくほど数字が頭に入ってこない。きっと彼女の寝息のせいだ。言いたいことだけ勝手に言って、すやすやと気持ちよさそうに寝てる。ある意味この神経が理解出来ないけど、羨望の気持ちを抱いてしまうのも否定できない。彼女のように自分の本能のままに生きれたら、どれだけ楽しいだろうか。
 まだそこまで遅くもないし30分くらいなら寝かせても良いかなと毛布をかけてあげようと思ったその身体は、ちいさく丸められている。無防備であどけないその表情はかなしいことに俺だけがひとり占め出来るものではなくなってしまった。ベッドの端に腰掛け彼女の前髪に触れると、最近トリートメントしていると言っていた自慢の艶やかさが良く分かった。睫毛は相変わらず長いしうすく口を開いて寝てしまうところはむかしと何も変わってない。やわらかな頬をゆっくりと指で撫でればくすぐったいのか身を捩るように少しだけ身体を動かした。スカートが揺れて、血管が透けそうなくらい白い太腿が目に入る。数年前までは同じだと思ってた身体だったのに、いつの間にか彼女の身体はやわらかさを帯びていった。俺の苦労も知らないしあわせそうな眠り姫が王子のために塗ったリップを消されるようにくちづけされたら、どんな反応をするのだろう。そんな無理矢理なおとぎ話にするつもりは全然ないけど、その愛らしさと甘美なくちびるに自分のくちびるを重ねてしまったのは、きっと必然だった気がする。

「起きた?それとも起きてた?」

 気配を察したのか、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた彼女はまだ微睡みの中にいるようだ。けど、今の現状を理解したのか瞬きもせずにその瞳孔はまっすぐと俺を捉えている。こんなに近い距離はいつぶりだろう。
 ちょっと前に、自主トレで朝に海岸線沿いを走っていたら犬の散歩をしていると偶然出会った。休憩がてらいっしょに歩いてる時ふと「精市はたまに困ったように笑うよね」と言われたことがある。そのとき隣にいた彼女の顔は水面に反射した朝日が眩しすぎて見えなかったからどういう気持ちでそんなことを脈絡もなく言ってきたのか分からなかったけど、多分今は彼女が言う「困ったように笑う」そんな顔をしているんだと思う。風で窓のカーテンが揺れる音を室内の静寂が引き立てている。

「ごめん」

 情けないけど、きっと今まで得ていた安定のポジションを失うことにずっと怯えていたんだと思う。けど、それ以上に懊悩とした日々を過ごし彼女が遠くに行ってしまうかもしれないという、寂寞めいた世界にひとり残されてしまうことに狼狽えたのかもしれない。もちろん、その裏には彼女の感情も表情も何もかもをひとり占めしたいという醜い感情が隠されてるのかもしれないけど。
 彼女との今までの関係を絶つくちづけになってしまったのか、それとも彼女を引き戻すためのくちづけになったのかは分からない。いや、面倒なことを考えるのはやめよう。今までのことを偽善だと言われても構わない。ただ本能のまま、自分の奥底に秘めていた意志を零しただけだ。

「でも俺、が思ってるよりやさしくないから」