ふたりだけの0番線の別verです。



 近くの踏切がカンカンと鳴く音、東京の都心と比べたら短いホーム、目の前に広がる空と海の青。今日は海との境界線が美しいグラデーションになるくらい空が青い。右の方に見える江ノ島が、むかしに比べて小さくなった気がしたのは、きっとわたしが大人になった証のひとつだ。
 中学生の頃に使っていた駅は今でも当時の面影が残っていて、あまり変わっていないように感じた。そのことにやたらとホッとする自分がいて、いつから「変化」という現象に怯えるようになってしまったのだろうと少し考えてみる。年齢を重ねてしまったせいだろうか。あれからもう10年以上経った。

「ちゃんと上手く撮ってねー」
「それはモデルによるじゃろ」
「ひどい」

 いつかのボーナスで買ったミラーレスの一眼カメラを持って、中学生の頃の思い出が溢れるこのエリアにやってきた。当時はなんの感情も抱いていなかったこの景色も、大人になると変わって見えるのが不思議だ。グレーのコンクリートがにょきにょきと溢れる都会の中、駆け足で通り過ぎる時間の中で埋もれながらも必死でもがきながら過ごしているというのに、ここは世界が違うみたいにゆっくりとした時間が流れている。むかしと変わらない。色褪せた木のベンチは相変わらず、この光景を見守るかのように佇んでいる。

「ねえねえ仁王くん、このベンチ覚えてる?」
「…さあの」
「えー記憶力わるっ」

 この場所は10年以上前のあの頃、わたしたちが恋人同士ではなくなった場所だ。ホームのあのベンチに座って別れ話をした時のことを今でも鮮明に覚えてる。その情景は全く色褪せてくれず、今でもカラフルに色づいて再生される。そのベンチに座って、海を眺めるとなんだか胸の内側と目頭が自分の意志とは反してゆっくりと熱くなってきた。別に悲しいとかそんな感情もう今更ない。なのに明確な理由もなく泣きたくなってしまって、瞬きすると涙が零れそうだから、ゆらゆらと漂う水平線を眺めてみた。
 
「なんで、いきなり泣きそうな顔しとるんじゃ」
「わかんない」

 ファインダー越しにのぞいたわたしの表情がおかしいことに気づいた仁王くんは、シャッターを切らなかった。ノスタルジーだよ、なんて適当なことを言ってその場を誤魔化してみる。けど、多分仁王くんにその嘘はバレてる。昔から、中学生のあの頃からやたらと人を見透かすのが上手だったから。

「じゃあ、そのまま泣かんでくれるかの」
「男なら泣いて良いよって言って見ないフリしてくれるんじゃないの?」
「…俺はもう、どうしてやることも出来んぜよ」
「知ってる」

 ベンチから立ち上がり、無人のちいさなホームをふたりで端から端まで歩く。平日の昼過ぎという中途半端な時間のせいか、昔わたしたちが着ていたチェックのスカートやスボンを纏う制服姿の子たちはどこにもいない。駅のホームにも線路沿いの道にも電車の中にもだ。あの頃のわたしたちも、きっともうどこにもいない。目を閉じれば自然と再生されてしまう過去の思い出は、決まって絵の具で塗ったみたいな鮮やかな海の青と涙。

「俺を置いてしあわせになるなんてはヒドイ女じゃの」
「祝福してくれるよね?」
「いつからそんなズルい女になったんじゃ」

 わたしはあの頃、仁王くんが好きで好きで仕方なかった。まだ中学生だったけど、人を好きになることがこんなにも楽しくてしあわせなことだと思ってなくて、毎日が海の水面に反射する光みたいに輝いていた。仁王くんはあの頃から雲みたいにフワフワしていて、掴みどころがないように思えるけど、本当はやさしい人だということをわたしは知っていた。いや、別れたあとに改めて知った。

「仁王くんは嘘がヘタになったね…ううん、昔もヘタだった」

 すぐ顔に出るわたしと違って、あまり表情を崩さない仁王くんの語るすべては、当時のわたしのすべてと言っても過言ではなかった。だから唐突に別れ話をされた時の仁王くんの言葉を信じたくなくて、でもきっと真実なんだろうと思って幼いわたしはただ泣くことしか出来なかった。泣きじゃくるわたしを置いて、ひとり電車に乗ってしまった仁王くんの後ろ姿が涙でボヤケて、苦しかったことも覚えてる。

「結婚、おめでとう」
「ありがとう」
「嘘じゃないぜよ」
「…知ってる」
「ブン太と、しあわせになるんじゃよ」

 そして、数日後にわたしはこの駅でブン太から告白された。ブン太はわたしと仁王くんが付き合っていることを知らなかった。ブン太だけじゃない学校の誰も知らない秘密の恋だった。だから、仁王くんとわたしの関係はわたしたちの中でしか存在していない。最初は申し訳ないと思いながらも、仁王くんとの思い出を上書きするかのようにブン太と付き合っていた。けど、傷心だらけだったわたしにとって、ブン太という存在は何よりも大きくなり、だんだんとブン太への思いは本物になっていった。まさか、結婚するなんて思ってはいなかったけど今思えば運命だったのかもしれない。そう、わたしは自分のブン太への思いに気づいた時、奇しくも仁王くんの最後の嘘に気づいたのだ。

「わたし、しあわせになるから」

 周りよりもすこし大人びていた仁王くんは、まだ中学生だというのにわたしとブン太のしあわせを優先してくれた。けれど、それに気づいたところで今更どうかしようとは思わなかった。仁王くんだって、きっとそんなこと望んでない。自惚れなんかじゃなくて、仁王くんはきっと自分と付き合うよりブン太と付き合った方がわたしはしあわせになると、分かっていたのだ。




▽▽▽



「お、よく撮れてんじゃん」
「でしょー?」
「仁王に着いて来てもらったんだっけ?」
「うん、赤也くんもジャッカルも仕事が忙しいって言ってて」
「平日だもんな」
「次に仁王くんに電話したら暇だって言うから」

 後日、撮ってもらった写真を現像した。あの日は、結婚式の披露宴で流すムービー作りのため、仁王くんに付き合ってもらっていたのだ。「そこ、懐かしいな」とブン太がのぞいてきたのは、あの駅のホームが映っている写真。わたしと、ブン太が始まった場所だ。わたしにとっては懐かしいだけじゃ終われないこの場所は、写真で見てもやっぱり美しい。あの時の情景が蘇ってくるようで胸が締めつけられるみたいに苦しい。

「あれ、お前なんで泣きそうな顔してんの?」
「わかんない」

 ―たぶん、しあわせだからかな。わたしがそう言うとブン太はぎゅっと抱きしめてくれた。事実、写真にはしあわせそうなわたししか映っていない。それからいつ撮ったのか分からない写真がいちまい。鎌倉方面に去っていく緑色の電車と夕陽に染まりかけてる海。
 あの日はブン太との始まりの想い出に浸りに行ったわけじゃない。本当は、駅に置いてけぼりにしたわたしの青春をひとつ、終わらせに行ったのだ。