Second

 好きな人といっしょにいることが出来れば、天気なんてあまり関係無いと思うようになったのはいつからだろう。アメリカでよくストリートバスケをしていた時、雨になるとバスケが出来なくて何度も嫌になった。けど、残念そうにするオレに「雨が止むの待とう?」とやさしく言ってくれたを見たら、沈んでいた心が軽くなって晴れやかになったのを今でもよく覚えてる。はきっとそんな些細なこと意識もしていないし覚えてもいないだろうけど。

 生憎の曇り模様が視界をどんよりとさせる日曜日の午前。と駅で待ち合わせをしてスーパーへ行った。しばらくしてから知ったことだけど、オレとのマンションは同じ最寄り駅にあるらしい。先日キャンパス内で会った時「そういえば辰也ってご飯どうしてるの?ちゃんと食べてる?」という話題になり「適当に済ませているよ」と答えたら、面倒見の良いに「健康な若い男子が適当じゃダメだよ!今度の休みに何か一緒に作ろう!そして作り方を習得してしっかりご飯食べること」と言われてしまった。オレのことを考えてくれていたのが嬉しくて「じゃあ、お願いします」と言った時、どんな献立にしようかなと斜め上を見上げながら考えているが可愛らしくて、しばらく横から眺めていた。

「にんじん買ったし、玉ねぎも買ったし…買い忘れないよね」
「…カレー?」
「ピンポーン!よく分かったね」
「カレー粉買ってたじゃないか」
「あ、そっか」

 駅の目の前にあるこのスーパーにはよく行くのか、野菜や肉などお目当ての食材がどこにあるのかをすべて熟知していた。今更だけども自炊をしているんだと思うと不思議な感覚になる。特に器用だった記憶はないけど、楽しみながら料理をしているのだろうということは推測できた。知らない間に、知らない時間を過ごしている。当たり前なことだけど、それがすごく惜しいと思ってしまうほど、深いところに潜ませたこの想いは日に日に大きくなるばかりだ。

「荷物持つよ」
「ありがと」

 買物袋を受け取る時、指が触れ合っただけなのにオレの胸の鼓動がこんなにも速くなることを彼女は知らない。こんな感情、もうとっくの昔にどこかへ置いてきたつもりだった。幼い頃に経験したこの感情、今思えば初めてこんなに心臓が熱くなったのものせいだったと思う。日本に戻ってきた高校時代の真ん中頃には、もうこんな感情とっくに無かった。女の子と指が触れあったり手を繋ぐなんてことがそこまで特別なことだと思っていなかった。それなのに、どうして今になってこんな不格好な形になって存在しているのだろう。スーパーのチラシをじーっと眺めながら歩いていたは、夢中だったのか段差で躓き転びそうになった。短く小さな悲鳴と唐突に掴まれた腕に、ただでさえ忙しい心臓が悲鳴を上げたみたいに驚いた。「ごめん、びっくりしてつい」と笑いながら言う彼女に「歩くときはちゃんと前を見なきゃダメだよ」と言うと「はーい」とどうしてか分からないが、嬉しそうに顔を綻ばせながら返事をした。


▽▲▽




「カレーは良いんだよ。残ったカレーでドリアにもうどんにも出来るし」
がこんなに料理出来るとは思わなかったよ」
「別に出来るわけじゃないよ。ただ普通にやるだけ」

 部屋にを招いたのはもちろんこれが初めてだった。玄関で靴を脱いだあと、すぐにきちんと揃えオレの靴も一緒に揃えてくれるところ、昔から全然変わってない。LA時代に彼女がオレの家に遊びに来た時も、彼女は毎回同じことをしていてオレの親から褒められていたのを覚えてる。あれから数年が経った今、まさかこうしてふたりでキッチンに並んで立つとは思っていなかったから、狭い空間にふたりで立つのは些か緊張する。
 そんな幼稚なことを考えているオレを余所に、要領よく野菜を切ったりお湯を沸かしたりご飯を炊くの姿はひとりの同年代の人間としても、とても立派に見えた。彼女に言われてにんじんを切るもイマイチ上手く切れていないオレからしたら、憧憬の眼差しを向けてしまう。

「辰也って思ったより器用じゃないんだね」
「そう言われると返す言葉がないな」
「ちょっとはタイガを見習いなよ〜」

 トン、と包丁がまな板に当たる音がやたらと響いて聞こえたのはオレだけであって欲しい。そしてそれとは正反対に、彼女のくちびるから出たタイガの名前が驚くほど穏やかに聞こえてしまうのはどうしてだろう。奥のほうにそっとしまっておいた、隠しておいた胸の中にある感情が激しく渦を巻き始めた気がする。

「タイガ?」
「タイガってああ見えて料理上手なんだよ」
「…そうなんだ」

 自分でもおそろしいくらい声のトーンがひとつ落ちたことが分かった。「前に家行った時にふるまってくれた即席料理が美味しくてびっくりした…と同時に嫉妬しちゃった。タイガのくせにぃ〜って」と明るく語る彼女に返す言葉が見つからない。こういう時に限って気の利いた言葉がひとつも出てこない。「それはオレも食べてみたいな」とかそういう他愛もない言葉で良いのに、醜い感情が邪魔をして何も生まれてこない。そして、彼女はすこし鈍感なところはあるけど、そんなオレの心の機微に気づかないほどオレを知らなくはない。にんじんを切りながら何か喋らなくてはと思っているけど、まな板を叩く音だけがせまいキッチンの中で反響しているみたいだ。そんな中、やさしく「辰也」と呼ばれたので彼女の方を見遣ると、突然口に何かを入れられた。

「おいしい?」

 うさぎの形をしたりんごだった。いつの間に切っていたのだろう。隠し味、と言って買った赤いりんごは可愛らしいうさぎの形へ変化を遂げ、オレの口に半ば強引につめ込まれた。

「拗ねちゃった?」
「え?」
「仕方ないじゃん、辰也が秋田にいた時だし」

 すこし勘違いをしているのだろう。けど、今はこれで良い。「器用に作ったね」と言うと「ありがとう!いつも失敗しちゃうんだけど今日は上手く出来たの。だから辰也に食べさせたいなって思って」だなんて、そんな可愛らしいことを言うがやっぱり好きで、こんなに近くにいるのに抱きしめることも出来ないのが辛くて仕方ない。

「アメリカからタイガが帰ってきたら今度は3人で鍋パでもしよう」

 タイガは今、バスケの関係で再びアメリカに渡った。昔は色々あったけど、高校でのバスケの対戦を機に今では兄弟としてタイガの成功を願っている。もちろん、再び会ってバスケをしたり話をしたいという感情もある。けど、どうしてだろうか。今はまだ帰ってきて欲しくないと思ってしまうのは。
 ひとりっこのオレにとって、タイガは本当に可愛い弟のようだった。タイガが喜んでくれるなら、と色々な物事を我慢して来たこともあるけど、それでタイガが嬉しくなってくれるならオレはそれで充分だった。タイガはやさしいから、いつもオレのことを気にしてくれたけど、そのやさしさは時にオレを追い詰めることもあった。タイガの前では良き兄でありたいと、無理をしていた時もあった。そんなオレにすぐに気づいて甘やかしてくれたのはだった。姉のように思ったこともあるけど、タイガにも当時バスケで世話になったアレックスにも曝け出せない、情けないオレを見せられるのは不思議との前だけだった。
 
「教えるなんて偉そうなこと言っておいて今更だけど、味どうかな?」
「美味しいよ」
「本当?」
「嘘なんてつかないよ。すごくオレ好みの味だしね」
「良かったー、人に自分の料理食べてもらうの初めてだったから緊張しちゃった」

 いつもひとりで使ってるローテーブルをふたりで挟んでカレーを食べる。ただそれだけなのに、この時間が永遠に続けば良いなんて。ひとくちひとくちを噛みしめる度に思う。ああ、本当にオレだけが好きなんだなと。


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