教室の時計の針をただ何も考えずに見ていたら、授業終了のチャイムが鳴った。休み時間になると、他のクラスや他の学年の女の子がこの教室にやってくる。このクラスは「テニス部の丸井ブン太と仁王雅治がいる」ということで有名らしい。そんなふたりを見にくるだけでなく、勇気を持って告白をしにくる女の子たちも多い。そのほとんどが仁王くんお目当てらしく、廊下側の一番前と後ろの席に座ってる男の子たちが毎回と言っていいほど仁王くんを呼ぶ役目になっている。彼らも慣れっこなのだろう、女の子が「あの、仁王くんを…」と口を開いた時点で、仁王くんを呼ぶという仕事の出来る男たちだ。その声に反応して、仁王くんはいつもポケットに手を入れて入れだるそうに背中を丸めながら教室を出ていく。あんなに告白をされてばかりで疲れないのかなとも思うけど、ちゃんと対応してるところはえらいと思ったしすこし意外でもあった。。

「すごく失礼なこと言うけど、仁王くんってどうしてあんなにモテるんだろう」
「お前…マジで失礼なヤツだな。仁王もだけには言われたくねーだろうに」
「だから最初に失礼なこと言うって自分で言ったの!」

 わたしの斜め後ろ、つまり仁王くんの後ろの席に座っているのがブン太で、休み時間になるとそのまま3人で話していることも多い。けど、毎回と言っていいほどブン太とわたしが会話をしていて、それを仁王くんが眠そうに聞いているか、ブン太と仁王くんが話してる会話をわたしが聞いているかのどちらかで、仁王くんとわたしが直接話すことは滅多にない。だから、わたしは仁王くんのことをあまり知らないし、他の女の子たちが抱くような仁王くんの魅力もよく分かっていない。

「まあ俺もなんでアイツばっかモテるんだってたまに思うけど」
「もしかしてヤキモチ?ドンマイ」
「お前ぜったい適当にドンマイって言ってるだろ」

 わたしから言わせれば、ブン太だってそれなりに人気があると思う。告白を受けているのは仁王くんの方が多いかもしれないけど、他のクラスの女の子に「さんって丸井くんと付き合ってるわけじゃないんだよね?」と言われることはよくあるし、後輩の女の子に「丸井先輩って…す、すきな人とかいるんでしょうか?」と聞かれることもちらほらある。クラス替えしたばかりの頃のクラスメイトからは「丸井くんの幼馴染とかうらやましい〜!」ってよく言われてたっけ。

「それより俺はお前の方が心配だ」
「え、なにが?」
「お前の浮いた話、ひとっつも聞いたことねえ」
「…失礼じゃない?」
「いやいやマジで。俺これでもずっとお前のこと心配してるんだぜ」
「そういうブン太はどうだって言うの?」
「俺?俺はそれなりにモテるから」

 事実なだけに何も言えない。それなりにモテるくせに仁王くんにヤキモチをやき、たまに告白されるとわたしに自慢してくる。毎回のように嬉しそうにしているからOKしたのかと聞けば断ったと言う。ブン太の思考回路はたまに理解が出来ない。
 もちろん、ブン太に彼女がいた時も今までに何回かあった。どれも女の子から告白をされて付き合ったみたいだけど、長くは続かなかったらしい。“幼馴染”は立ち入ってはいけない領域かと思ってブン太の恋愛事情にはあまり首をつっこまないようにしていたけどなんとなく気になって、どうして別れてしまうのかを聞いたことがある。ブン太は「あー…俺ダメ男だから」と答えた。笑いながら軽そうに言っていたけど、すこしさみしそうな顔をしていたのを今でもよく覚えている。今まで誰とも付き合ったことがないわたしは、どうしてそんなに簡単に付き合って別れてしまえるのか不思議で仕方なかった。

「何じゃ、俺がどうしてモテるのか分からんのか?」
「うげっ、仁王」
「今日の子もすごい可愛かったね」
「2年で一番可愛いって噂されてる子じゃね?赤也が言ってた気する」
「まあ顔は可愛かったかもしれんの」
「顔は、って…お前ヒドイ男だな!なんでお前がモテんのか俺にもさっぱりわかんねーよ!」

 仁王くんにはいくつか噂があって、それこそ彼女が何人もいるだろか、本命は作らないけど遊ぶ女の子は何人もいるだとか、今は誰とも付き合っていないとか本当に色々。仁王くんのことをまだよく知らないから、それらの噂が本当なのか嘘なのかも分からない。ブン太なら何か知っているのかも分からないし、わざわざブン太にそんなこと聞くほど興味があるわけでもない。
 ただひとつ言えるのは、ブン太がいなかったらわたしは同じクラスでも仁王くんと関わることはなかったと思う。





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 帰りのホームルームが終わると、クラスメイトのみんながそれぞれ違う動きをする。うまく言えないけどそれを見るのがなんとなくすきだった。その日の授業からようやく解放されて急いで塾や部活へ行ったり、女の子たちが「どこ行く?」なんて話していたり、みんな色々だ。わたしは部活には入っていない帰宅部だから、普段だったら本屋とかに寄り道して家に帰ったり友人と一緒にどこかに軽く寄ってお茶をして帰ることが多い。けれど、今日は久々にやってきた日直当番で仁王くんと一緒に教室にふたりで残っている。あまりこういうことは言いたくないけれど、仁王くんはびっくりするほど日直の仕事をしてくれない。今だってひとり机に肘をついてわたしが黒板を消しているのをただ眺めてるだけ。おかげで上の文字を消しているわたしの爪先立ちの脚は今にも攣りそうだ。
 
「え、あ、ありがとう」

 現れはじめの夕焼けを遮るように急に影が出来た。さすがに不憫に思ってくれたのだろうか、仁王くんが救済にやってきてくれたようだ。今日一日ほとんど何もしれくれなかったんだからこれくらい当たり前と思う自分もいれば、素直に感謝を抱く自分もいる。片方の手をポケットに入れながらもちゃんと黒板を消してくれる仁王くんは違和感だらけで仕方なかったけど、やさしいんだなって思った。
 
「仁王くんって、背筋伸びるんだね」
「何じゃソレ」

 いつもの飄々とした表情をすこしだけ崩して、くしゃっとちいさく笑った仁王くんを初めて見た。う、わ。仁王くんってそんな風に笑うんだ。仁王くんがモテる理由が少しだけわかったかもしれない。それに、いつも猫背だから気がつかなかったけど、仁王くんって思っていたよりずっと背が高い。当たり前だけど、肩幅とかだってわたしとは全然違うし、袖から伸びてる手は白いのにちゃんと男の子の手だ。男の子なのにうつくしく感じてしまって、ブン太以外の男の子と近距離になることがないからか、なんだかすこしドキドキして胸が苦しい。
 
「俺に見とれとんの?」
「…え!」
 
 不意打ち、というかいきなり図星をつかれてしまって言葉がうまく出てきてくれない。そんなわたしなんてお見通しかのように仁王くんはいつもの笑みを浮かべてる。やっぱり、これ以上仁王くんと関わるのは危険だと自分の頭の中で警鐘が鳴る。なのに、不思議と目が離せない。仁王くんの白い肌がオレンジ色に染まってしまいそうなほど濃い夕焼けが、きっとそうさせているんだと無理矢理思うことにした。
 
「べ、別に。ただ、仁王くんが人気あるのなんとなく分かった気がして」
「今更俺の魅力に気づいたんか」
「いや、やっぱり勘違いでした」
「素直じゃないぜよ」
「わたしが可愛げないことくらい、知ってるくせに」
 
 今までで仁王くんと一番しゃべってる気がする。しかもブン太がいないのに。そういえば、仁王くんとふたりになるのって初めてだ。最初は気まずいと思っていたふたりで過ごす時間も、ブン太と話す時と同じくらいふつうに出来てる。ただ、ブン太とはやっぱり違くて、こんなこと他のクラスメイトの男の子にも思ったことないけど、仁王くんと話しているとやたらと心臓の鼓動がうるさい。静かにしてよ、と言っても落ち着いてくれない心臓をどうしたら良いか分からなくて、とりあえずもうほとんど消え終わってる黒板をまた消すことにした。
 
「…お前さんはどうなんじゃ?」
「何が?」
「浮いた話も聞かんからの」
「それ今日ブン太にも言われたよ。みんなしてヒドイ」
「あいつは心配しとるんじゃろ」
「うーん…っていうか「あいつは」って仁王くんはどう意味で言って、」

 間違った。まさかこんなに目が合うなんて思ってもなくて、つい仁王くんに視線を向けてしまった数秒前の自分を馬鹿だと罵ってやりたい。仁王くんが黒板消しをやさしく置いた音だけが、わたしの中で透き通って聞こえた気がした。目が合ってしまった瞬間、言葉を最後まで紡ぐことが出来ず、何かされたわけでも言葉で遮られたわけでもないのに、ただ、まっすぐ見つめられているだけなのに目が離せなくて、息さえも奪われているような感覚だ。今まで見たことがない仁王くんの表情が、わたしのこころをぎゅっと掴んでは離してくれない。

「俺?俺は逆じゃ」
「逆って、」

 ようやく絞り出せた言葉はうまく出てきてはくれなくて、中途半端になった。仁王くんはいつだってそう。わたしがクエスチョンマークの言葉を投げかけると、必ず笑う。口角をすこしだけ上げるけど、いつだって確信だと思えるような答えをくれたことなんてない。しばらく流れる沈黙が肌に刺さるようでいやだ。しばらく、と言っても実際は数秒なはずなのに、わたしには数十秒、数分のように思えて、なんでも良いから何か言ってほしい。そうじゃないとわたし、窒息しちゃうよ。

「俺があいつを安心させちゃるぜよ」
「意味わか」
「わかっとるじゃろ?」

 窓から流れる風のように穏やかに手が伸びてきて、反射的に避けようと思ったけどもちろん動くことなんて出来ない。わたしの頭に手をやさしく乗せると、仁王くんはそのままラケバを持って教室を出て行ってしまった。まだ、日誌書き終わってないよ。
 なにを告げるのか分からない今日最後のチャイムが、せまい時間から解放されるみたいに鳴り響いていた。