「あ、ブン太おかえりー」
「おう。今日の晩飯なに?」
「ハンバーグだよ。おばさん今お風呂だからあっためるね」

 部活の練習が終わって家に帰ると、ちょうどキッチンで皿を洗っているがいた。特別でもなんでもない、いつもの光景だ。週に何回かはがこうして家で洗い物をしてたりご飯を食べてたり弟たちと遊んだりしてる。俺にはしか幼馴染がいないから、こういう感じが世間でも普通なのかどうかは分からない。けど、俺にとっては当たり前のことだからこそ、この日常が突然消えたらきっとすごく戸惑うんだと思う。そんなことを何の脈絡もなくふと考えた。
 レンジからハンバーグの良いニオイが部屋に広がる。「今日はわたしも寄り道しないで帰ってきたからすこし手伝ったんだ」と言いながら出された我が家のハンバーグはやっぱり美味い。の家には多分、家庭の味がない。もう何年も隣に住んでる俺だって、の母親を1回か2回しか見たことがないくらいだから、今も仕事であまり家にいないんだと思う。むかし、それこそまだ小学生くらいだった時にがウチでご飯を食べた時「ここで食べるご飯はあったかくておいしい」と言っていて、当時の俺はバカだから「何意味わかんないこと言ってんだ、こいつ」くらいにしか思わなかったけど、誰かが傍にいてくれながら食べるご飯はやっぱり美味い。

「ここ」
「ん?」
「ソースついてるよ」
「…わざとに決まってんだろい」
「なに子どもみたいなこと言ってるんだか」

 ご飯を食べたあと、俺はぼんやりと今日も練習キツかったなとか宿題何かあったっけ?なんて思いながら風呂を済ませ、タオルで髪を乾かしながら自分の部屋に戻る。今日の帰り道にイヤホンから聞いていた歌をついつい口ずさみながらドアを開けると、ベッドからすらりと伸びた脚が見えた。がまるで自分の家のベッドのようにくつろぎながらマンガを読んでいる。

「うわっ、お前びっくりさせんなよ」
「あ、この漫画おもしろいね。新しい?」
「あー、確か先月出たばっかのやつ」

 いつもだと、は夜ごはんを食べてウチのリビングですこしゆっくりしてから、電気がまだついていない暗い自分の家にひとり戻る。けど、今日は珍しく違った。驚きはしたけど、俺の部屋にがいるのは珍しいことじゃない。むしろ、よくマンガを読みに来るので違和感は決してない。ただ、はたまに友達とか自分の親とか、誰にも聞かれたくない、誰にも言いたくない話を俺にする時に纏ってる独特の空気感を出してる時があって、今日はそれが思いっきり出てる。今まで聞いてきたのはテストで悪い点を取ったとか友達とケンカしたとか、そういう話。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
「何だよ、そんな深刻そうな顔して」
「ブン太って今まで何人と付き合ってきたの?」

 脚を伸ばしながら漫画を読んでいた態勢が一転、ベッドの上で急に正座をしてきた。俺たちは「そういう話」をあまりしない。俺たちは、というよりがあまりそういう話を俺に聞いてこない。前に「なんで付き合うのにすぐ別れちゃうの?」って聞かれたくらいだ。俺に彼女が出来ると、噂とかでその話を聞いたであろうは多分気を遣って俺との距離をすこし置く。一緒に登校する日は減るし、家には来るけど部屋までは入ってこない。見えないけれど鮮明な線を、引く。

「なんだよ、急に」
「なんとなく興味があって」

 今まで俺のそういうことに興味なんてなかったくせに急に何言ってんだ。そういえば、俺ものそういう話は聞いたことがない。彼氏がいたことないっていうのはなんとなく分かってるけど、この年齢にもなれば好きな男のひとりやふたりいたっておかしくないはず。なのに噂の欠片でさえも聞いたことがない。

「んなのいちいち数えてねーよ」
「うわ、いやな感じ〜!」
「ま、お前も早く彼氏のひとりやふたり作れって。出来たらの話だけど」
「…もし、わたしが誰かと付き合ったらブン太は安心するの?」

 てっきり「余計なお世話」とか言われると思ったのに予想の斜め上を行くような答えが返ってきて少し驚いた。おまけにいつもの冗談みたいな雰囲気じゃなくて、目が真っ直ぐだ。重なった視線を逸らしたいのに逸らせない。まばたきをするのが躊躇われるほど、視線が行き場をなくして迷子になってる。

「安心…つーか、まあそうだな。え、まさかお前誰かと付き合うの?」
「うーん、ちょっと気になる人がいるってだけ」
「…誰?」
「仁王くん」
「…は?!仁王?!仁王ってあの仁王?!」
「うん、あの仁王くん」

 これまた予想外の人物の名前に、さすがに驚きを隠せなかった。そもそも、仁王とがふたりで喋ってるのなんてほとんど見たことがない。教室で話していてもふたりの間には必ず俺がいる。俺は気持ちを落ち着かせるためにそのへんにあった雑誌を取り、パラパラとめくることにした。スニーカーの特集が組まれているページがたまたま開いたので、とりあえず眺めながら冷静を装う。やばい、全然頭に入ってこない。
 話を聞くと詳しくは教えてくれなかったけど仁王から何かしらの動きがあったらしい。仁王のことがすきなのかと聞くと「別に普通」だとは言う。じゃあ何で付き合おうと思ってるのか問えば「彼氏のいる友達はみんな楽しそうだし、しあわせそうだし、可愛く見える」と言う。そりゃあ、普通の恋人だったらそうかもしれないけど。

「…やめとけ。お前の手には多分おえない男だから」
「本気じゃないから、遊ばれたとしてもなんとも思わないよ」

 仁王の噂は色々流れてる。良い噂も悪い噂も。正直それらの噂が正しいのか間違ってるのかなんてことは分からないし、同じクラスで同じ部活で多分家族より一緒にいる時間が長いのに俺は仁王のことをよく分かっていない気がする。悪いヤツだとは思ってないけど、幼馴染であるの彼氏となるとまた別の話だ。

「初めての彼氏、ならもっとちゃんと選んだ方が良いんじゃねーの?」
「…もし泣かされたら、ブン太がなぐさめてくれる?」

 いつもの軽いノリで返せば良いのに、どうしてかそれが躊躇われてうなずくことすら出来なかったから聞こえないフリをした。だって、今まで全くと言って良いほど想像しなかったことをいきなり想像してみてと言われたところで、立派な答えが返せるほど出来た人間じゃない。形にならないふわふわとした意味のない言葉で適当に答えることさえも出来なくて「…え、なんか言った?」とわざとらしく聞き返した。「もう〜人の話くらいちゃんと聞いといてよ」と言われたので「いや、この特集結構おもしろくてさ。見る?」なんて思ってもないことを言うと「見ない!」と言っては部屋を出て行った。が腰かけていたところだけ、ふとんがすこし沈んでる。
 よくわからない感情が交錯して、まぶたを閉じても眠れなくて、夜にひとり置いていかれると思った。