「あ、」
「え…黄瀬くん!?どうしたの、こんなところで」
「の家がこの駅ってことは知ってたから待ってたっス」
改札を出ると見慣れた姿がひとつ。変装しているつもりなのかもしれないけれど、相変わらずそのスタイルだけで周囲の注目を浴びている。偶然かと思えば私を待っていたというその言葉に少しの疑問を抱きながらも、これ以上この場にいると目立って仕方がないので移動することにした。しかし、どこかお店に入るにしてもやはり隠し辛い彼の存在を懸念し、自分の部屋へと招き入れることにした。
「別に連絡くれても良かったのに」
「んー、ビックリさせようと思って」
すでに関係を断ったと言うのに、何の違和感も無くこうして話せることはある意味楽だ。何せ元々深い関係ではなかったのだから。それは赤司くんの時とも同じ。いつか終わりが来るというのなら、最初から深入りしないほうが傷つかないで済む。傷ついた覚えもないのに、無意識に愛で泣くことを避けていた私を愛で救って欲しいなんて、そんなムシのいい思考は微塵も無い。けど、私も周りのようにもっと可愛いげがあって、もっと甘えることが出来て、もっと幸せだとか、ときめきを感じる付き合いが出来たら、とたまに友人の話を聞いて思うことがある。
「へー、ここがのマンション」
「まぁ黄瀬くんのとこに比べたら微妙だけど、不自由はしてないよ」
鍵でオートロックを開けると扉は簡単に開くというのに、どうして自分はまだどこへも行けないのだろう。いつまで、こんな中途半端なまま生きていくのだろう。正直、中途半端はもうやめると言って関係を遮断した黄瀬くんに合わせる顔なんて今のままではないと思っていた。黄瀬くんにとって私はその他大勢の女性たちとそんなに変わらない存在であり、私が去ったところで彼はきっと困りはしないのに。
玄関の扉を開けて、そういえば朝ちゃんと片付けてたっけ?ということを思い出した。けど、今更彼に対して気取る必要もないと思い気にしないことにした。
「赤司っちも、入れたの?」
玄関の段を上がり彼にお茶でもと思ったところで急に後ろからかけられた神妙な声。そんな声、今まで聞いたことない。まるで知らない人みたいな彼の存在に一瞬動揺した。予想外の問い掛けにも驚いたが、それ以上に彼のその声に少しの恐怖と寂しさを感じてしまったのだ。もしかして、彼は私と赤司くんの関係を誤解しているのだろうか。今日はそのことを責める気で来たのだろうか。私が赤司くんと黄瀬くんを二股していたとでも思ってる?もしかして、私が浮気していたとでも思ってる?いや、彼に限ってそれは無いだろう。仮にそう思っていたとしても、彼は特段何も感じはしない。彼は私がどこで何をしていようと気にしないはず。それに何より彼だって同じようなことをしているのだから彼が私を責めるなんて、ありえない。じゃあ、どうしてそんなに真剣なのか。
「え…!?」
急に腕を掴まれた手は久々に彼の温度を感じた。引っ張られバランスを崩したところをそのまま抱きしめられれば彼の表情を見ることすら敵わない。私は玄関の段を上がっていて、彼はまだ上がっていないというのに、この身長差。久々に胸が激しく鼓動するのを感じたけれど、これはあくまで動揺のせい。
「ちょっと、何?」
「、オレともう1回やり直して」
「何、言ってるの?」
耳元で伝えられる言葉に嘘偽りが含まれていないことは、私でも理解出来た。けれど、何故彼が突然そんなことを言うのかは理解が出来ない。だから、意味が分からないのだ。それに、元々何も始まっていなかったと言うのに、一体何をやり直すつもりなのか。私はあの時、彼の部屋に鍵を置いてきたのに、彼はそれを拾い上げて私の扉を開けようとする。けれど、私の心はもうその鍵じゃ開かないの。
「やり直して、じゃない。新しく始めたい」
まるで別人。けど、疑いたくなるその言葉には間違いなく必死さ、そして真剣さが孕まれている。彼らしくない。こんなに必死でひとりの女に縋りつくような彼は見たことがない。私と彼はどこか少し似ていると思っていた。けれど、それはどうやら気のせいだったようだ。今の彼は私と全然似てない。似ていないどころか、何故か芽生えてしまった嫌悪感が私を苛立たせさえする。彼に対しての嫌悪感ではない。けど、胸の中でぐちゃぐちゃになった想いが、どこかに出口はないのかと必死で心臓をノックしているのだ。
「無理」
「寂しく、ないんスか?」
「…何?」
「今までずっと寂しがってたくせに、何で」
「勝手な憶測しないで」
「オレ、が何で急に関係終わらせたか分かってる」
「言ったんだから当然でしょう」
「違う。それも本心なんだろうけど、それだけじゃない」
彼は鈍感であるように見えて、実は鋭い感性を持っているということには何となく気づいていた。けど、まさか彼がそこまで私のことを考えているとは思ってもいなかった。触れられたくない感情を、自分でも心の奥底に閉まって何重にも鎖をかけて鍵だって閉めたというのに、彼は簡単にそれを壊してしまう。壊れた残骸を拾ってひとつの愛に出来たら、最初から苦労しないのに。
「別に寂しいって思うこと、悪いことじゃないっスよね」
胸に渦巻いていたものが張り裂ける。何だか見透かされているようでひどく不愉快。それも彼にだからだろうか。今まで私のことなんてお構いなしで私を真正面から見ようとしなかった彼に私のことを理解されているようで、気分が悪い。でも、これじゃあ私が彼に構って欲しかった、もっと向き合って欲しかったと思ってるみたいで余計不快感が増す。必死でそんな自分を否定するけど、否定すればするほどその想いがどこにも消えてくれなくて、躊躇いしか生まれない。そんな感情、消さなければ。私は別に彼に何かを求めてなんかいないのだから。
「いい加減にして!」
「」
「私のこと、勝手に決めつけないで」
「決めつけてない」
「寂しいなんて、一言も言ってない。言ったことない」
これではまるで言いたかったみたい。もうそんな自分も捨てたくて、否定したくて、何故か分からないけど泣きそうになって。彼の腕を思い切り振りほどくと、ようやく彼の表情を見ることが出来た。彼の顔を見るのが久々なような気がしてしまうほど、そこに映ったのは想像していた表情と違う。今度は自分が何も理解出来ていないような気がして、彼に負けてしまうような気がして、そんな想いが涙になってしまうような気がして、必死で我慢した。
「やっぱり私のこと、分かってない…っ」
これ以上その場にいることが出来なくて、でも彼を扉の外に追い出すほどの力も勇気もなくて、結局彼の前から逃げた。彼の横を通り過ぎる時に置いていった言葉は、私の弱さしか表していない。自分の家だと言うのに、他人を置き去りにし、鍵もかけずに出て行ってしまったことなんてどうでも良かった。ただ、あの場にいることがもう出来なかっただけ。開いた玄関の扉の先が、どうか私が生きやすい道でありますように。なんて、そんなことを考えているから目的地が見えない。ゴールが、未来が見えない。そんな中、一件の着信が届いていた。散々逃げて、迷って、私がたどりつける場所なんて限られている。
△▼△
「…?どうした、こんな時間に突然」
インターホンを押すと機械越しから聞こえた声は珍しくも驚きを含んでいた。着信があったとは言え、彼が今家にいるなんていう確証はなかった。けど、そんなことを確かめる時間さえも惜しい気がして、夢中でここまで来てしまったのだろう。自分でも何をしているんだろうと思う。結局、誰かに頼らないと生きていけないということを思い知ってしまったようで、この感情を何て呼べば良いかも分からない。
彼の問い掛けにすぐには答えられず、しばらく沈黙しているとオートロックが開いた。それは簡単に、開いたのだ。何を言うわけでもなく、ただ黙って開かれたオートロックを抜ける。高層階に住む彼の部屋までエレベーターで上がる間、必死で自分の気持ちに整理をつけようとする。エレベーターを降りると、ふと視界に映し出された夜景が眩しくて、それすらにさえ涙が出そうになる。もう一度、彼の世界まであと一歩のインターホンを押すとガチャリと扉が開かれた。インターホンを押してから扉が開くまでが早かったような気がする。それに鍵を開ける音だってガチャガチャと乱雑だ。それが彼の様子を表しているようで、胸が締め付けられそうになった。
「まさかが自分の意志でオレの部屋に来るなんて、驚いたよ」
扉が開いた瞬間に出てきた彼は珍しく少し驚いた表情をしていたように思う。でも、その彼の顔をこれ以上は見る事が出来なくて視線を下に落とした。数秒後に彼から紡がれた言葉はもういつも通り。そのことに安心したのか不安を覚えたのかは定かではない。
「逃げてきたの」
こんなことを言う私を彼はどう思っただろうか。彼なら私が何から逃げて来たのか理解しているだろう。あれだけ彼に対しても強がっていたのに、結局は逃げてきたなんて。プライドはないのかと見損なわれても構わなかった。これで彼に落胆されたとしたら、それはそれで気楽だとも思った。もう誰にも頼らず、甘えずに生きていくという決心が今度こそ本当につくからだ。けれど彼は何も言わずに私を扉の中へ促してくれた。一歩入ると今までとは全く違う世界。彼の手によって玄関の扉の鍵がかけられた。その音だけがやたらと響いて聞こえたのは、私の心が開いた音だろうか。それとも、
「オレのところに来たという事がどういうことか、分かってるのか?」
「分か、ってる」
靴を脱ぐ前にされた意思確認は、私の気持ちを確かめるために聞いてくれたのだろう。私だって、再び彼の部屋に足を踏み入れるということがどういうことか、もちろん理解している。自然と向かってしまったこの足が、本能がたどり着いたのは彼のところ。これが答え、これが正解だ。
「逃がさないよ」
逃がさないで、と消え入りそうな声で吐いた私の身体を抱きしめてくれた彼に、すべてを捨てて縋っても良いのだろうか。
